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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



孫文の晩年、夫婦で生活した広州大元帥府


宋三姉妹の父親である宋耀如は1861年海南島生まれの客家、9歳で親戚を頼ってアメリカに渡り大学を卒業している。

大学卒業後25歳で伝道師として1886年上海に帰国したが、キリスト教の伝道の世界でも欧米人との差別にあい、それに嫌気がさしたのかほどなく実業の世界に転身している。

実業家として成功した宋耀如は三男三女すべてをアメリカに留学させ、最初に帰国した長女宋靄齢(あいれい)を交流のあった孫文の秘書とした。

宋靄齢は孔子の子孫という名家の出で財閥の御曹司であった孔祥熙と、ほどなく結婚したので、アメリカから帰国していた次女の宋慶齢が引き継ぎ孫文の秘書となっている。

この孔祥熙は宋靄齢との結婚で孫文と蒋介石という歴史的な超大物の義理の兄という立場を手にした訳で、結婚によって人脈を得て、それによって財をなした男と言われている。

孔祥熙は宋靄齢との結婚で中国国民党政府の工商大臣、大蔵大臣に就任するなどの恩恵を受け、お金には不自由しなかったが、最後まで宋靄齢には頭が上がらなかったらしい。

ただしこの二人にはその派手な生活のせいで汚職の疑惑があり、孔祥熙は86歳、宋靄齢は84歳で共にその生涯を亡命先のニューヨークで閉じている。

次女の宋慶齢は姉に代わって秘書として使えた孫文を次第に愛しはじめ、2年後の1915年22歳で両親の反対を押し切って、当時日本に亡命中の49歳の孫文と日本で結婚している。

当時、中国人の男性は本国に妻がいても、遠く離れた海外では同国人の女性と二重結婚するケースが多かったようだが、孫文は本国にいた本妻の盧慕貞と正式に離婚したうえで結婚している。

1884年に結婚した孫文と盧慕貞の間には3人の子供がいたが、当時いずれも成人しており、その中でも孫科は父親が作った広東政府の広州市長に就任している。

広州大元帥府のプライベートリビングに置かれている孫文夫婦の人形。


その結婚から10年後の1925年3月、宋慶齢32歳の時に孫文は肝臓ガンのために59歳で永眠することになる。

宋慶齢は未亡人になった直後、孫文の弟子筋に当たる蒋介石から猛烈にアタックされるが、その後も独身を通し、夫の意思を継いで中国の統一に残りの人生を捧げるのである。

1964年には70歳で毛沢東に次ぐNO2のポスト中国国家副主席に就任したが、文化大革命が終わった5年後、1981年5月29日88歳で永眠している。

亡くなる直前には中国国家名誉主席という地位を与えられたが、今の中国がいかに彼女を高く評価しているかを物語っているのであろう。

広州大元帥府の中の意外と狭いプライベートダイニングルーム。今から82年前、ここで孫文と宋慶齢が食事を共にしていたのである。


つづく

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