遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 

  


  蝉時雨は夜も止むことがなかった。飲まず食わず歌い続けてわずか1週間で蝉は地上での命を終える。軽くカサカサに灰色になって地に落ちる。蝉の聲は歓喜の極わまりなのだろうか。わたしの耳には ここにいるよ生きているよともにいるよ 空が燃える木が燃える夏が燃える 急いで急いで もうすぐ終るもうすぐ終る ...と聴こえるのだが ほかのひとにはどう聴こえるのだろう。

  きのう 会社で仕事 夜 古本屋に行く アイスクリームを食べる。

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   雷に気圧されて 仕事には行かずじまい 結局 洗濯と夕食のしたくをしただけだった。時間をかけて お風呂に入った。弥陀ヶ原心中を語ってみるが 途中で眠ってしまう。なにをしてもすぐうとうとしてしまう。身体を動かしてみるが 1週間ですでに身体が固くなっている。股関節と背骨についてエクササイズをゆっくり幾度かしてみる。

   スターウォーズ4をWOWOWで見る。シリーズのいちばんはじめのエピソード ルーク・スカイウォーカーがハン・ソロやチューバッカ、C3POとR2Dとともにレイア姫を助け 帝国軍の武装衛星を爆破する...という波乱万丈のストーリーである。みなさまもご存知のように父のアナキンは暗黒面、ダークサイドに捉われダースベーダーとして帝国の手先になっている。その父のかっての友人だったジェダイの騎士オビワンからルークはライトセーバー(光る剣)の手ほどきを受ける。これは日本刀を模したものだそうだ。衣装も着物をイメージして作られた...というのもジョージ・ルーカスはクロサワ監督を敬愛していたからだ。ジェダイもじつは時代劇のジダイからきたのでは....とよけいな想像をしてみる。クロサワ監督の影響は図り知れないものがあって RADAのエクササイズにもニックがこれは....がクロサワの椿三十郎からインスピレーションを受けてつくった...というのがあった。
 
   ところで今日は それより オビワンが爆撃目標にちかづくルークに「(視覚に頼らず)感覚を開け」と聲で伝えるところが印象に残った。ルーカスもアレキサンダー・テクニックを知っていたのかな...というところである。


   

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    キャシーからメールが届いた。コンタクトを取り続けて...と書いてある。海の向こうにキャシーがいる。海と空を越えて細い糸がつながっている。ローリーにもメールを送ろうと思う。

    きのう 会社で昨年12月から今年5月までの部門別損益比較(対前年度)をPCから出してみた。土木は60%UP その他は軒並み売り上げが落ちている。由々しき事態だが そう心配もしていない。売り上げは落ちたが利益は上がったという部門がふたつある。カッターとラインはこのまま売り上げも利益も長期低落傾向がつづくだろう。活路は民間の土木、そしてリサイクルなのだが 収集運搬の売り上げが激減していることがいちばんの問題である。これはA社に頼ってその下請けに甘んじ 自社の顧客開拓を怠ったためで そのことは営業会議その他で再々伝えたのだが 一顧だにされなかった。済んだことはいい、いよいよ 来期から自分のやり方でやってみる。課題は山のようにある。楽しみながらしてみよう。


    アレキサンダー・テクニークが楽器の演奏者にも受け入れられていると知ったのは驚きだった。チェロやフルートの奏者がATをとりいれたことで自分の演奏がかわったと言う。パブロ・カザロスとつながるものがある...という奏者がいる。そのひとは結局 ATの指導者になった。カザロスといえば琵琶奏者 鶴城師を思い出す。鶴城師はカザロスの「鳥の歌」を聞いて琵琶奏者を志した。 そして伝統の悲劇的琵琶語りからひかりと希望の琵琶語りへ..と一歩踏み出されたのだ。

    話は前後するが きのう歌の声が前より楽にでることに気づいた。わたしは車で長時間ひとりで移動するとき 歌を歌う。レッスンというより 元気を出す歌 楽しむ歌 すこし前まで 「エリザベート」のなかからいくつか歌っていた。今は元さんの 青いレクイエムと語り継ぐこと を繰り返し歌っているのだが 歌うときの緊張が解けたように思う。このままATをつづけてみよう。

    さて 今日から会社はお盆休みである。わたしは給与計算その他 仕事があるので12日と16日は会社で仕事 三日間の休みで 手紙を書く 写真をプリントして送る 家のそうじをする RADAとLTTAで学んだことをまとめる。そして 語り手たちの会のトップページをつくる!! むすめたちと遊ぶ♪

      

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   RADAのワークショップで学んだのは 身体と精神と感覚の一体化 インプロヴァイぜーションだけではなかった。オファーを差し出すこと これは芝居やインプロヴァイぜーションのなかで 相手役がインスピレーションを受けられるような 演技の質を高められるようなきっかけを差し出すことである。

   RADAの校長 ニコラス・バーター氏は 「与えるだけ与えなさい」と再々言った。「与えた以上のものが還ってきます」とも言った。昨年の山下さんのWSで 山下さんが 「相手役が動きやすいように(演技しやすいように)なんらかの働きかけをする役者が 客席から観たとき 上手くみえる」と言ったことにつながるように思う。

   これは人生のうえでも あてはまるような気がする。まわりのひとを活かすこと。まりのひとが生き生きと動けるように仕向ける。それには笑顔もあるだろう、声かけもあるだろう。縁の下で支えることもあるだろう。 そのうえに そのひとに 自分で気付かせることもある。それで わたしは話し方を変えるように努力している。たとえば大塚商会や労務士に話すときにこちらから直接 言うよりヒントをちりばめる。向こうから提案しやすくなるようにする するとわたしが考えていた以上の豊かな提案が戻ってくる。

   「....しなさい」 という直截的な言い方、結果をじかに教えるのではなく 考えるように仕向けるのだ。そのほうが おなじことをするのでも 楽しく 意欲を持って 仕事や課題に向える このことに気づいたのはじつは大きな収穫であったかもしれない。


   つまり WSの目的は 自分で気付かせるにある 学校や職場における教育もすなわち ここにある....というわけで長年しみついた 直接話法から切り替えるのはむつかしいが チャレンジあるのみである。この試みの結果 会社や家庭やその他が どう変わってゆくか ゆかないかはのちに報告します。


   きのう パイナップル姫のお城を訪ねました。パイナップル姫は亡き女王の青いローブを召され あたたかく迎えてくれました。姫のそばちかく しずかに控えていた勇敢なるライオンの姿はありませんでした。ひんやりした洞窟のようなお城の広間で 祈りの歌を聴きました。パイナップル姫が冷たい銀のお皿にのせてだしてくれたたのは もちろん パイナップルでした。


   帰り道 偶然 電車のなかでとなりに義妹がいた。昼間 義妹のことを考えていたのだ.....これはなすべきことをせよとの啓示!?





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   神保さんから写真を送っていただいたのでUPします




交流会 このあと ミニワークショップをしました。



大仏寺 ご本尊のまえで 櫻井先生の語り(この写真は森撮影)




今のわたし




聞いてくださるみなさん




終ったあと スタッフのみなさんと (後列中央の浴衣の4人は高校生 前列左端が代表の神保さん 黄のTシャツは小2の高瀬くん) みなさま ほんとうにありがとうございました。
高岡や金沢...小松 またその周辺の語り手のみなさまがゆるやかに連携をとりあって 交流を深め 楽しみながら 語る文化をこの地に根づかせていらっしゃいますように願ってやみません


 
        
宿泊したマンテンホテルのロビー






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   七夕の由来といえば 牽牛星と織女星のふたりが 年に一度の逢瀬をする日というロマンティックなものがたりが知られているけれど 実はふたつの星に技芸の上達を祈る祭りであったのだ。短冊に芋の葉の朝露で墨をすって 天の川とか書いて詩や書の上達を願い 吹流しをたらして 機織や手芸の上達を願った。また紙の着物をつるして 子どもの成長を願い 折鶴は長寿を 投網は豊漁を 巾着は富貴や倹約を願った。3/3 5/5 7/7 思いおこすと みな願いと祈りの日なのだった。ひとびとは 大昔から子どもがすくすく育つことを願ったのである。

   高岡の町はひとはそぞろ歩いてはいたが どこの地方もそうであるように昔ごまめのように走り回りぞろぞろ歩いていた子どもたちの姿は少なかった。あんなにいた子どもたちは どこへ行ってしまったのだろう。明治時代 日本をおとずれた とつくにのひとは みんなでこどもをいつくしみそだてる 日本の風習に驚嘆したという。



   日本の為政者はすこし間違ったのだろうか。子どものいない 教育に力を注がない文明や国は衰退する。 このままでは 日本の未来はそう明るくない。若いひとたちが 安心して 結婚し子どもを育ててゆける国にしないと滅びてしまう。待ったなしなのだ。でも わたしたちも為政者に任せてばかりではなくて まだなにかできる。わたしたちの町でも子育て支援をしているおかあさんたちがいる。そしてそのメンバーのなかにカタリカタリのひとたちも加わっている。もっとなにかできることはないかなぁ.....そんなことを考えながらアーケードの下を歩いていた。




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  7/29のコメントに”音楽にしろ絵画にしろストーリーテリングにしろ ひとりの人間の精神や肉体や感覚を統合したときの 「今」 結晶のようなものに思います”とわたしは書いている。これはキャシーとローリーのWSを受けて感じたことである。RADAのWSが進み その目的がmind,body,senceの一体化とインプロヴァイゼーションと知ったとき わたしは慄いた。まさにわたしはそのふたつを得るための方法を求めて憑かれたように金沢に行ったのだった。mind,body,senceの一体化による生命のスパークそのものがインプロヴァイゼーションである。ゆえにイランさんの教えのほうがより普遍的だった。

  目的はもとからあった。そしてそこに行くみちすじの具体的な示唆はRADAのWSのなかに無数にあった。あとはどのように掬いあげ どのように組みあわせ、ひたむきに継続できるかだ。しかし今回のWSの本質的なものは”自分を知る”ここにあったと思う。自分を知るからこそ開くことができる。差し出すことができる。

  わたしはあるていど 自分は開いている人間だと思っていた。しかし二日目の後半あたりから 感覚をひろげると同時に もと紡績工場であった木造の古い建物の天井がどんどん高くなってゆき 空間が広がり からだが囁きはじめるにも関わらず わたしは逆に内省的になっていった。グループから遠ざかりはじめた。13人というWSには恵まれた少人数でも目的をおなじくする仲間であっても 人間的な軋轢がないわけではない。周辺に身をおいて眺めていたのはしかしそのためばかりではない。....内部に向けた視線、これがわたしの本質だったのだと思った。わたしは開いているように演じていただけかもしれない。会社のなかでの役割を果たすために自分の一部分を拡大していたのだ..と気づいた。こうして自分を受けとめてからあと5日目からはからだは疲れていたが 次第に自由になっていった。

   語る以上 開かなくてはならない。そうしないと受けとめられない、伝わらないからだ。しかし 日常生活で全開にしていたら気狂いと紙一重である。実に気狂いは神と一重なのである。ありのままの自分を時と場所に応じて素直に開くことは、そうむつかしいことではない。 ハナノアナナ と言っていたイランさんのカタコトを思い出す。鼻毛が生えていたって それに白髪が混じっていたって 人まえで鼻の穴をさらけだすことができるか...笑わせ泣かせ mindを揺り動かす語りができるのであれば わたしは厭わない。イランさんのピンクの肌 灰色の耀く目を思い出す。あなたもわたしの師 導き先を歩いてくださるかたです。イランさん....

   高岡で櫻井先生の語りはまさにインプロヴァイゼーションだった。わたしの語りもインプロヴァイゼーションに近かったと思う。....前振り 〆も考えてつくってはいない。けれども 感覚を拡げ 聞き手を感知して語るとそのようになってゆく。先生が笑いながらおっしゃるように語りは出たとこ勝負である。けれども自分のmind,body,senceを信じ 聞き手をだいすきだよ...と全身で感じて語れば 考えなくても ものがたりは 聞き手と語り手とともに懐かしい岸辺 ひとりであってひとりでない ともに喜びや透きとおった哀しみを抱きしめることの許される岸辺に運んでくれるのだった。
  
   ニックさんのいうように 演劇を学ぶことは生活の質を高める。そして語りを学ぶことも同様である。しかるに自分を知るという 苦しくも楽しい自己との格闘の場でもある。このことに幾たリの語り手が気づいていようか。楽しいばかりが語りではないということに、痛みもまた苦しみも そこを通りぬけた至福もまた共有し得るということに それこそもっとも大きな喜びであるということに もっと多くの語り手が気づいてくれたなら.....




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   高岡の....万葉の間で交流会が開かれた。行事が重なり櫻井先生とわたしの他の出席者は8名だったが、不思議なことに気がついた。きのう おはなし会に見えた方と見えなかった方では 波動というのかなんというのか なにかこちらへ伝わってくるいろあいのようなものがはっきり違うのである。こういう感覚はいままでなかった。開いているってこういうことなのかと思う。

   会場の大仏寺さんの都合でおはなし会は14:00、時間に余裕があり もったいないから みんなで遊びましょうと誘ってみた。いくつかのエクササイズをして、ミニワークショップの様相である。みなさん 楽しんでくださって笑い声が絶えなかった。すぐ(デイケアなどで)使えますという方もいた。半分は以前からつかっているものだし 半分は今度のWSで覚えたものだが ニックさんが「与えるだけ与えなさい」と言ったようにできるかぎり伝えようと思う。

   おとなのためのおはなし会
1 二度咲く野菊        貝喰さん
2 おじいさんとおばあさん   神保さん
3 つつじの娘         森
4 美しいワシリーサ      櫻井先生
  休   憩

5 おせん鯨          櫻井先生
6 わたしがちいさかったときに 森
7 この道           みんなで

貝喰さんの二度咲く野菊は優しい語り口だった。きのうとくらべて貝喰さんが交流会で無口だったのは口開けの語りで緊張していたのだと気がついた。もっと早く気がついてあげればよかった。神保さんは朗々たる声で楽しそうに語られた。美しいワシリーサとわたしがちいさかったときにはライフストーリーからつないでいくかたちだった。 櫻井先生のおせん鯨は実藤さんの創作民話で美しく哀しいおはなしだった。わたしはキャシーのお話や小噺、また神話 ライフストーリーなどいくつか考えはしたのだが 8/6であるということから ヒロシマの話をさせていただいた。 6 7 とつないでゆくうちに連鎖反応のようにみんなの顔がくしゃくしゃになって涙がひろがっていった。 男の方のなかにもいらして それを見てわたしは魂がとんでしまったように呆然としていた。語り終わると同時に腰がイタクなり 急速に感覚も閉じてしまった。

    わたしの課題は発声、歯の治療、マイクの遣い方である。 そしてもうひとつ 地元に密着した活動である。学校や幼稚園 デイケアなどでの語りはしているが 一般のおとな向けの語りをする場所をどこかにつくりたい。高岡の会員 神保さんのように 地元とつながり 手をつなぎ ひととひとをつなげてゆく そういう中核になれるひと 人知れずこころをくだき縁の下で支えるひとたちは日本中にたくさんいるのだろう。わたしもそうありたい。神保さん スタッフのみなさん ほんとうにありがとうございました。お会いできた5つのグループのみなさん お元気で。
 
    一週間の旅を終えて 駅の広場のベンチにすこしのあいだ 座っていた。すこしは変わっただろうか、どれだけ得るものがあったであろうか 高岡も金沢もいい町だった。生き生き活動しているひとがいた。 だが ここがわたしの場所なのだ。なにがあってもここで生きていくのだ。オーリガの「....生きてゆきましょうよ」それから 風立ちぬ いざ生きめやも...という一節が心を掠めた。



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   朝 とりあえず 今日のテキスト チェーホフの三姉妹に目を通す。チェックアウトして 駅のコインロッカーにトランクをあずけ お土産やに走り お菓子にお酒に海産物を求め クロネコヤマトで家に送る。ほっとする。それから 日航ホテル裏の着物屋さんをたずねる。黒地に大胆な波模様の見事な婚礼衣装を見せてもらい(おそらく船主の娘のもの) 簡単に着付けをしてもらう。衣紋を抜くと 身幅が狭くても着られると教えてもらった。ずっしり重いが舞台で衣桁にかけても映えるだろう。銭屋五平、娘千賀女のはなしを語るときいいなと思ったが高かった。

   イランさんの授業

外に出る。空と芝生の間で 輪になってボールゲーム ①丸くなる 中心のひとりが名前を呼びながらひとりずつボールを投げる投げられたひとは投げ返す このとき チャッ チャッという。②つぎに こんどは誰かがgoと声をかけて真ん中の鬼と交代する つぎからつぎへと進む ③ワンアンドツーアンドGOといって替わる
④ ワンアンドGOで 替わる

大地に立つ 小さな小さなウィンドウを開く。しだいにひろげ6つのポイントを決め注意深く観察する。それから気を前に出して走る。

このとき 足が痛いのでパスして観ていたが 感覚を開いているとき 木のようにすっくりたっている。大地に根が生えているように自然で大きく見える。

歩く。ターゲットを決める。触れる。匂い 空気感を感じる。ターゲットのそばに近づく。

歩く。ターゲットを決める。もうひとり、そしてひとり。つねにターゲットを視野において感知する。しだいに動きが遅くなる。

感覚をソフトフォーカスにしているとき ひとはまったく無表情ななる。ふだんは表情に隠されている本質的なものが顕れるような感じがあって わたしは怖かった。

感覚をあきっぱなしにしては日常生活はやってゆけない。ではコントロールはどうするか。閉じるときはフォーカスを狭く アイコンタクトはしない。それから瞬時に全開にする。変わるものは笑顔 視線 姿勢 。 

昼休み イランさんと片言ぶっこわれ英語 で話した。1日目 煙草を喫っているところを見られ"Bad people"と言われたのが昨日のようだ。イランさんは”You're sweet girl”それからたぶん あなたのことばはpoemだといってくれたのでわたしも Ilike you,Ilove you.と返した。イランさんがstorytellng
を所望したので つつじの娘をもちろん 英語ではなく日本語で語った。イランさんはじっと聞いてくれた。イランさんと別れるのがつらい。

   ニックさんの授業

インプロヴァイゼーション(即興)

芝居の稽古に入るまえに その前後のシチュエーションをインプロでするのがわたしの好きなやり方だとニックさんは言う。ニックさんは演出家である。たとえば三姉妹において 父の大佐は一年前に亡くなって芝居には出てこないが この父のなくなった場面をインプロでする。そうすると一年後の回想のシーンで役者の演技が生きてくる。三姉妹を演じる役者が泣いてしまうという。

そこで ふたつのグループに別れ ホスト ゲストを決める。ホストがゲストの人物設定(年齢 職業 どんな関係か)自分たちの設定(年齢 どんな家か ふたりの関係)を決める。ゲストはふたつの目的 真の目的と見せかけの目的を決める。ホストはゲストの真の目的を知り ゲストは目的を達成する、早いほうが勝ちというゲーム。

つぎに三姉妹を立って読む。ヴェルシーニン(妻子あり)マーシャ(夫あり)、ふたりは愛しはじめている。しかし、なかなか切り出せない。ここで「ヴェルシーニンがアイコンタクトをとる マーシャがブロックする キスシーンで逆転」という設定で つぎに反対のシチュエーションで同じようにやってみる。全く違う芝居になってしまう。登場人物の開く開かないの組み合わせで無限にヴァリエーションができる。日々万華鏡のように芝居は変わる。さて、語りではどうだろう。やったことはないができそうである。

さぁ もう行かなくてはと思ったとき イランさんがよこさんはストーリーテラーだから語ってもらうのはどうでしょう といってくれたので 今日の高岡のお話会のリハーサル・・ということでもないのだが コカのかめを語った、そしてスイスイ かっこよく退場したのだが 大事な大事なノートを忘れてしまった。

高岡に向かう。特急で20分ちょいである。高岡の駅は素敵にノスタルジックなのだが ・・・エレヴェーターがない。重いトランクと格闘して駅前のホテルに着いた。朝から駆け回って汗にまみれていたのでシャワーをあびて会場にすっ飛ぶ。神保さんと再会! 櫻井先生と再会! 大仏寺でご本尊さままえでのおはなし会、ほたるも舞いました、とても楽しかった。ホテルに戻って乾杯!!

この一週間のことは家に帰って総括しましょう。エキサイティングな一週間だった。



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   朝 起きてきのう市場で買ったスイカを冷蔵庫から出してみる。が、ナイフがない。スプーンもない。でも、食べたい。アタックする。手ですくってかぶりつく。美味い。野生に還ったみたい。インプロヴァイゼーションだ・・と訳のわからぬことをいいいながらひたすらむさぼる。それからホテルを移動した。近江町市場に蒲焼を買いにいったアヤさんをひろい駅前のセントラルホテルにトランクを置いて 芸術村に着く。

   イランさんの授業  
広い芝生の樫の木の下の授業で 新趣向の鬼ごっこをした。それからひとりでできる訓練を教えてもらう。①遠い一点に焦点を定める。目の両脇をはさむようにウィンドウをつくる。その手を次第に広げる。目を遠い一点から離さず なおかつ手の先の視野を見つづける。②芝生の上を歩きながら苦しい嫌な辛いことを考える。だんだん首が下に視野が狭くなる。目の両脇に手をあてウィンドウ(窓)をつくる。その両手をしだいに広げてゆく。走る 目の前に写るすべてのものの名前を叫ぶ。自転車に乗った少年 散水車 とんぼ つばめ 空 車 芝生。マンションの洗濯物 グランドの白い体操着の学生たち  喜びと共感が湧き起こる。

    現実の世界でどれだけ有効かどうかをイランさんに問う。わたしが知りたいのは開いた状態を維持する必要があるか 開いた感覚を閉じるにはどうしたらいいか。


ニックさんの授業

9のアプローチだったか・・?一週間 書き溜めた 宝物のノートを忘れてきてしまったのでノートがみつかったらUPします

   メンバーのミチヨさんに誘われて語り合ったあと 整体で1時間半 揉み解してもらった。村上整体金沢のウノさん ありがとうございました。あなたのドレッドヘア 素敵でした。あたたかいトークもね。・・・さて そのあと 駅ビルの100番街で ヒコくん( どこかで迷子になっているような気がする 思わず声をかけたくなる青年)に会ったので いっしょに近江町市場まで行って食事をした。きのう食べ損なった海鮮丼と和風かに餃子とぶりのにこごりと梅チュウハイを頼んだ。みなさま 近江町食堂?の海鮮丼は美味しかったです。そのあとヒコくんにフレッシュバーガーのレッドジンジャーをご馳走になった。ヒコくんと語り合って楽しかったし さまざまなことが見えてきた。ヒコくんがホテルに・・・が出て怖いというので 四隅に塩を置いておくように なにかあったらTELするように話した。今日のホテルはパソコン付でわりと高かったが 愛情の湧くホテルではなかった。いよいよ あしたが最終日。




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  朝 石川県立美術館のルオー展を見に行く。ルオーはギュスターヴ・モローの弟子であった。五官を開放したらどうなるか 朝の静かな美術館で試してみる。キリストのまえで立ち止まる。これはモローだと直感する。近づいたり遠ざかったりしてみる。近づくとちょうどキリストの目線と目が合うように展示されている。5センチまで近づくと まったく別の顔である。圧倒される。そして たそがれあるいはイル・ド・フランスの夕暮れの空の美しさに涙が出る。白の絵の具の戦慄。イル・ド・フランスの丘のうえにたたずむひとびとの中にキリストが立っている。

  夜 近江町市場でRADAの校長ニコラス・バーターさんの娘 あかりちゃんの一歳の誕生パーティー。その席でわかったこと ニコラスさんの奥様は富良野塾の出身で友人のjunさんの先輩だったのだ。あかりという名前に縁を感じたのもそうした絆があったということ そもそもRADAのワークショップを知ったのもjunさんからであったし ひとのつながりとは不思議なものである。そのうえに突然 ニコラスさんは「壌 晴彦という役者を知っているか 彼はすばらしい役者だ」といったの飛び上がってしまった。ロンドンで壌さんはテンペストのプロスペロを演じたのだそうだ。


ニコラス・バーターさんの授業
Laban efforts

重さ 重い 軽い
空間 直接 間接
時間 早い 遅い
   突然 
状態 縛り 自由

これらのEffortを組み合わせて 歩く

即興劇は自発的に出た者同士で行う。
インプロヴァイゼーション(即興劇)バス停留所で待つ乗客 二つ以上のeffortを組み合わせる。目線があったとき ひとつeffortを変える。

おなじく即興劇 ただし各々のステータスはわからない。

おなじく即興劇 ふたり 組になって ものがたりをつくる ことばひとつずつを発してつないでゆく。

役者同士 良いオファー(働きかけ)を出す リスクのあるオファーを出すことが要求される オファーは大きく また前より しぼまないようにする。 このオファーについては 語りの場合 聞き手に差し出してよいのでは・・また聞き手からのオファーもあるのではないか

ニコラスさんは芝居はストーリーテリングだと言う。

ゆうじさんが立ったので わたしはヒコ君を促した 「いっしょにやろう」わたしたち三人の課題は 「わたること」なにを渡るかオファーを出すのはゆうじさん
わたしに与えられた台詞は「なんとかして渡らなくては」ヒコ君は 「渡れるはずないよ」わたしのステータスは6(最大で10) あとのふたりはわからない。ステータスによって行動の自由が決まる。ゆうじさんの目線で渡るものの幅が決まる。

ゆうじさんはどうやらステータスが低いらしい。そこでわたしからオファー「あそこに木があるわ あの木を倒しましょう 車のトランクに斧が入っているから ヒコさん切って」三人の力を合わせてなんとか木は倒れた。「ヒコさん 先に渡って助けを求めて」わたしのオファー 「増水しているから気をつけて」ゆうじさんのオファー 「わたしも行ってみるわ」と渡りだすが 怖くて途中でしがみついてしまう 「危ない 木が折れるぞ」ヒコさんのオファー 戻るんだ ようやく戻る「早くしないと日が暮れる」ゆうじさんのオファー  ロープを伝わって渡れるかもしれない」わたしのオファー 「ゆうじさん 泳げる? わたし泳げないのよ」
わたしはゆうじさんの肩につかまって ようやく三人川を渡ることができた。

ニコラスさんは言う。「役者がそこにあると信じたものは観客に見える」

イランさんの授業

アレグサンダーテクニークから 背骨について 背骨を動かして前進する。




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  今日は大きな変化があった。チームとして共通の意思を持つもののように動き出したのだ。それに一日目よりホールが広く天井もずっと高く感じられる・・・この兆しは昨日からあったのだが 自分のエナジーを空間に満たそうとする 自分を開き 外界を五官でキャッチしようとすることで変わったとしか思えない。空気もあきらかに変化しだした。密度が濃くピンと張り詰めた感じがある。見えない空気の流れも感じる。

イランさんの授業

グループで歩く バラバラになって歩く 自分のエナジーを前に出す アイコンタクトをする 空間を意識する 他のひとたちの足音に耳をすませる 周囲からの刺激を感じる

アイコンタクトをするとエナジーが途切れる だがそうしたことは克服される 一度にいくつものことができるようになるという。

ボールを入れる ひとつふたつみっつ そして 走る 歩く ケンケン さまざまな指令に従いながら ボールを投げあう。

気持ちがいいほどの緊張感。

からだのくせを確認する。くせは長い時間をかけてしみついた。それに気がつかない わからない。

①首が開放されているか②背骨は広く長く③頭が上に前に伸びているか
頭蓋骨の確認 首筋の確認 肩ひざをまげて 物を取る もとに戻す そのとき頭 首 背中がつながった動きをしているか。

行動を起こす前にWAIT (待つ) 自分に耳を傾ける 自分のからだに聞く 自分の周囲に聞く

再び脱力

頭骸骨 首 背中 椅子に足を乗せる 眠ってしまう 薬指と中指が囁いているのが聞こえる 太極拳とかヨガとかのようだ。つまりはエナジーを無理なく放出するためのエクササイズのようだ。


校長の授業

ロウステータス ハイステータスのつづき

ふたりで組む Aがオファーを出し 会話のやりとりを聞いたひとは ふたりのステータスの温度差を手で指し示す:わたしがヒコ君としたのはホテルの支配人と客の会話

マスターとサーヴァントのエクササイズ つづき

どうやってマスターを怒らせないでand、butでマスターのいいつけを守らないかか!?
サーヴァントの課題 耳が聞こえなくて からだの具合が悪くて 頭がよくて 召使同士喧嘩ばかりしていて その他

マスターが立ち上がってしまう。ステータスが落ちる。マスターが笑い出す。


終わったあと 整体に行く そして七尾行きの電車に乗る。32年前とおなじように赤く燃える夕日をみちづれに列車は走る。だが日本海が見えない。やがて七尾について駅員さんにたずね わたしは32年前降りたのが七尾ではなかったことを知る。JRは今は七尾までしか走ってはいない。わたしが降りた駅は穴水、今は寂れてしまったという。海に無数に立っていた竹の棒は ぼら待ちやぐらというものだった。今から能登線に乗り換えても 今日中には戻ってはこられない、宿もないだろうといわれ 今日はかえることにした。あの日棄ててきたわたしのうす青い影 (月の公園で書いた)弱くてやさしい透明な影を引き受けるほどにはまだ強くはなっていないのだ・・・そう自分に言い聞かせ 金沢行きの電車に乗る。もういちどこられるかどうかわからないが できることなら今一度戻ってこよう。彷徨っている影とひとつになろう。



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   ホテルを出るとすぐお堀通りがある。その名のとおりお堀を埋めてその上に道路をつくったのだそうだ。香林坊という繁華街があるのだが その名の由来をタクシーの運転手さんに聞いた。昔 前田のお殿様のお姫様が重い眼病にかかった。そのころは木の根草の根を煎じて薬をつくるお坊さんがいた。洋の東西を問わず聖職者はそのようなことをしたらしい。さて いくら医者に診せても直らなかった目がそのお坊さんの薬でたちどころによくなった。坊さんの名前は光林といったので光林坊が住んでいたところから この地名がついたのだが 香林坊のほうが繁華街らしいというので名前を変えてしまったという。初老の運転手さんがお祖父さんから聞いた話だそうだ。さて金沢の町は三叉路が多い。これは敵に攻め寄せられたときぐるぐる迷子になってしまうようにそのように作られたのだそうだ。

   同宿の参加者ヒロセアヤさんも女優さんである。9月新国立に出演するというので観に行く約束をした。透明感のある美しいひとである。アヤさんと1時間も早く芸術村に着いた。マインドはエモーションとは違う。マインドとフィーリングが大切である。マインドに相当する日本語はないという説明があったので、スピリッツとマインドとソウルはどう違うかと質問をした。スピリッツを感知するのがマインドであるという答が返ってきた。

   それから7アップというゲームをした。つぎにアクセプトとブロックのゲーム。半分ずつわけて片方は相手をブロックする。片方はアイコンタクトをとろうとする。つぎに相手を替えて二人一組になってひとりが美味しい話うまい話を持ってきて片方がブロックすべて断る。つぎにand,butまず受け入れてそれから断る。つぎにふたりしてプラスプラスして大きな話にしてしまう。

   ホールのなかのすべてのものを指差しながら名前をいう。つぎに同じように指差しながら ・・・ではなくて・・・という。最後にまったく違う名前をいう。
アレクサンダーがなぜアレクサンダーテクニークを思いついたか 彼の半生についての話。ローステータス・ハイステータス 自分をどちらに認識しているか どちらでいるときが心地よいか。社会的ステータス心理的ステータスの違い マスターとサーヴァントのエクササイズ。社会的な成功者はローステータス・ハイステータスをその場に応じていともやすく使い分けられるひとが多いとのこと。

   今日のテーマはきのうにつづいて「自分を知る」「自分の変化に気づく」「 固定観念を捨てる」

   自分の内側を観る→周りに対する興味がわいてくる→ 内観と外観を一致させる。首と頭、背中を自由にするでエナジーが前方に出る。意識して自由にする。
   夜 舞踏とひとり芝居を見にゆく。



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