遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   再び 文体を戻した。きょうは元気いっぱいで仕事ができた。請求書と発注書のチェックも終わった。発注システムの問題点が浮き彫りになる。明日の労務費支払いの入力も完了。同じく明日の連絡会の議題をまとめた。発注先を厳選することに決める。発注者も絞る。Fさんといろいろ相談しながら進めている。

ふたりの間のメールのやりとりのフォントの一部がまた拡大をはじめたのだ。あり得ないことが起っているわけだが だれがなんのためにしているのだろう。そうだ まことの正月元旦の頃、2月のはじめに始まったのだ。 そして5月 リサイクルに踏み出してから 傾れをうったように勢いを増している。

   正直のところ すこし怖い。あ、出版社へ確認のメールを送るのを忘れてしまった。きのうのおはなし会のこと まだ書くことがあったはずなのに怒涛の仕事のなかで もうどこにかまぎれてしまった。そうだ ひとつは 悲劇は悲劇のままでいいと思ったのだ。無理にハッピーエンドにすると 本来ものがたりが伝えたかったものが消えてしまう。そこまで語り手に許されているだろうかと思う。真の美しさはセンチメンタルとはかけ離れたものだ。

   父の13回忌の準備もはじめなければ...水野家の家系図をつくること、小泉家の家系図も必要である。明日は朝から板倉に行く。板倉工場こそ鍵である。5月24日? 起きたことを忘れまい。まいにちまいにち たくさんのものがたりが生まれては消えてゆく 出会いと別れを繰り返しひとは生き 死んでゆく。生は祝祭である。闇と光の交合である。






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   雨が降る前に理科大の花火が終わりました。花やリンゴやハートやミッキーマウス 色とりどりの火花が輝き散ってゆきました。花火はほんとうは冬が美しいのだそうです。花火職人さんは精魂こめた一品を冬の花火大会に出すのだそうです。雪原の花火は美しいでしょうね。

   真っ赤なつつじが咲き乱れているような花火の乱打があって [つつじの娘]を思いました。山を越え恋しいわかものに会いにゆく娘の高鳴る胸の鼓動を思いました。今日中野図書館のおはなし会の内容を送ったからかもしれません。

   みな帰ったあと はじめて語ってみました。絵本の[つつじの娘]を語ったときは7.8分ですが 今日は10分かかりました。まつたにさんのつつじの娘はことばをしぼりにしぼった名文ですが、語るたび納得のいかない箇所が気になったので 長野の昔話から再話してみたのです。まつたにさんの香りも残っていますし 果たしてよくなったかどうかわかりませんが とりあえず木曜の六年生のおはなし会で語ってみようと思います。

   それから[由紀ちゃんの庭]というライフストーリーを語ってみました。これは語るのははじめてです。語っているうちに父が林檎箱を壊してつくったエメラルド色にペンキを塗った木戸やブランコやびわの木が目の前に浮かんできました。なつかしい幼年時代...もうもどらないきらきらしい日々。

   カメラの記憶媒体をなくしてしまって 写真がとれません。それよりたくさんのデータが失われたかもしれないのが残念ですが もう家に帰りましょう。今日はむすめたちとモスに行って ジューシーなフレッシュバーガーをぱくつき、玄米抹茶シェークも珈琲もオニポテもいただきました。それから父の日のプレゼントを三人で買いにいったら 息子とばったり会って服を買わされました。

   会社ではG社に交渉 200万円送金してもらうことになり A社(実は国会議員Kの事務所)にTELして交渉しました。手紙を三通送りました。帰ろうと思ったのが結局夜中の一時まで仕事をしてしまいました。仕事上の一番のトラウマがなんとか片付きました。2.3の懸案も片付きました。身軽になって机周りをかたづけ 今後のもくろみを考えます。来週は病院 機械修理確認立会い もしかすると某社との話し合い。そしてアビームとの交渉 会社のHPの運用更新開始の準備 音楽会 カタリカタリ例会 朝のおはなし会もふたつあります。

   気がかりなことがひとつあります。満身創痍でいまやとても戦闘的になっているわたしは舌鋒するどく押し強く 対手に切り込んでゆくのですが 語り手として今後やってゆけるのでしょうか。やはらかなやさしいこころでは闘えないのです。ふたつの顔 ふたつのこころを持てと言われても妖精ティンカー・ベルでなくたってそれは無理というものです。ものがたりを語るとき 澄んだこころでなければ語りのかみさまは降りてはこないのではないかという危惧がかたすみから離れません。もし語れなくなったとしてもそれでもいい..と思っているのですが。

   請求書のチェックによる注文伺い書のシステム再構築 人員配置のシステムを変えること、リサイクル部門をなんとかかんとか採算ベースに乗せることが急務です。ひとが大勢いれば それぞれが機能的に動かないとたいへんなことになります。人件費がもっとも大きい部分を占めるのだし 企業はひとで成り立つからです。全体を見て 目的地に向かう流れをつくるコンダクターが必要なのです。...各部門の長にどれだけ権限を与えるか 評価をどうするか。ともかく前進あるのみ。




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    15日にプラネットさんのブログ 「星に願いを」が閉じました。(月末まで見ることはできます) プラネットさんはスタジオのオーナーさんで以前から存じ上げていたのですが、二年前の「夏物語」でスタジオをお借りしたとき ほんとうの友になったのでした。

    プラネットさんのスタジオでは語り手たちの会のメンバーのおはなし会がときおり開かれます。あしたも鈴の音さんのおはなし会が開かれます。残念ですが わたしは語り手たちの会セミ21の終了発表会に行くことにしています。左のお気に入りから 星に願いをにとび 星に願いを からスタジオプラネットに飛ぶことができます。

    プラネットさんの日常は わたしの修羅とちがっておだやかで優雅でそのなかに 日々のよろこびや悲しみや遠い思い出が引寄せられていて わたしはうかがうたびにやさしい気持ちになりました。最後のほうはライフストーリーを聞いているようでもありました。わたし自身 このブログをライフストーリーの実況だと考えていますが ブログにかかりきりになったためにできなくなったことがたくさんあったというプラネットさんの感慨もわかるように思います。

    「スタジオ日誌をたのしみにしています、プラネットさん」....そして櫻井先生の日記! 見て 見て に思わず笑ってしまいました。幼な子のような天真爛漫な先生のお顔が彷彿として...写真のなかで白いドレスで微笑んでいる先生を拝見して 語り手は美しく...を心がけなければいけないなと思ったことでした。
黒は着こなせても白いドレスってむつかしいです。


    わたしもすこし疲れてきたかな....ミクシィをはじめようかと思っています。ほぼ自分のためだけに...若い人のあいだではブログからより簡便なミクシィに関心が移っているようです。ほとんど会話 モノログ 子どもの日記みたいな一人称が多いのですが 基本的に仲間うちで見るものなので ことばが足りなくても通じてしまうようです。わたしには息子のミクシィはちんぷんかんぷんでした。
  

    ブログやHPの日記を書いたり読んだりしているとき どこか心の通じるひとたちと ともに同じ空の下で一喜一憂しながら生きているという実感があって...それが好きだったのでした。わたしは、語り手ですから 語り手としての視点で書いてまいりましたが、語りのことで書くことは今の時点では尽くしたようにも思います。つい最近語り手は語り手である以前に 母であり 妻であり 職業人であり 弧を描いて天をめざす存在であり 旅人であるのだと目が覚めたように思いました。あしもとを見ることをしましょうと思います。頭で考えるのでなく そこからなにかが立ち上ってくるように思います。
    

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   朝 面接にきたY君の目は優しく澄んでいた。TELで聲を聞いたとき なにか惹かれるものがあったのだが話しているうちに Y君もある感覚の鋭敏なひとであることがわかった。2.3日前...とY君は言う。「金縛りにあって ぼくの目の前に金髪の外国のきれいな女のひとの顔がありました。ぼくをじっと見つめていました。3回金縛りがきて 消えろ 消えろと強くこころに思っていると消えました」Y君のことばにはうなづけることがあった。わたしが若い頃であった金縛りもたいてい一度に3回きたからである。今は清めの祈言を知っているのでその祈言を唱えれば退散する。

   あるときは やはり金縛りがきて おばあちゃんに手を引かれ神社だかお寺だかに行く夢を見たそうだ。あとでちょうどその時間におばあちゃんが亡くなっていたそうだ。Y君はおばあちゃんにいちばん可愛がられていたそうだ。やさしい時間がながれて わたしはいつとなしに 給料計算の日の苦しさについて話していた。なぜそうなるのかも話した。なぜ一見のアルバイト志望の青年にこんなことをい話すのかわからなかったが いつのまにか涙が滲んでいた。

   それから 約束の石心亭に行く。周囲は雨に濡れしたたる緑 重厚な造りで巾二間もある大谷石の階段をのぼってゆく。ロビーは割烹にしてはとても広い。和室に案内される。部屋から庭が見える。和室だが足を下におろせるので楽だ。広めの漆塗りの脇息に凭れるとお殿様気分である。やがて食前酒と唐黍豆腐が運ばれてくる。懐石料理は少量ずつ運ばれてくるが 話が盛り上がるとともにおなかもくちくなってくる。いい時間を過ごした。お客さまをもてなすにとても素敵なスポットだ。

   対手はやはり自営業を営む婦人で 事業をはじめてからなにかというとTELをかけて相談してきたので わかることはお教えしてきた。 今回こちらがお世話になったのでランチに招待したのだ。50過ぎで車の免許をとり、パソコンを覚え、いまやネットバンキングを駆使しパソコンで帳簿をつけている。そしてご主人の言いなりから次第に自分の見解もはっきり打ち出すようになった。彼女の進化はまなざしにもはっきりあらわれていて わたしは彼女の努力のほどを思った。互いに自営業を営む妻の役割 それにともなう葛藤はいいも悪いも深く味わっているので話は尽きることがなかった。

   営業会議に出席した。うちの営業も相当変わってきた。週に一度の会議で一週間の予定と予算を発表する。1週間後 じっさいの活動について報告と反省をする。会議をはじめてから 仕事がどんどん決まりだした。公共事業を一本とるという目標発表の週 実際に安全施設工事を受注したし また土木工事を一本とりたいと言っていたKさんも確約をもらった。偶然ですという声にわたしは「偶然ではない」と発言した。オブザーバーとして 「できるだけ具体的なビジョンを持ち 目標と予定を組んでください」と意見をのべる。

   強いイメージをもちそのために努力すればイメージは具現化する。スポーツ選手のイメージトレーニングはそれゆえである。また、「回してゆければよい」と思って営業しているということばに「回してゆくだけでは現状と変わらない。子育て世代はこれから教育費もかかってくる。努力して利益をあげなければ社員のみなさんに還元できないでしょう」と話す。労務比率はむかしの25パーセントからどんどん上昇している。単価は安く 仕事は少なくなっているのだ。仕事がうすいときは50パーセントにもあがる。これでは会社はやってゆけない。

   各自 各部門がまず自分の食い扶持を稼ぎ出し ぜったいに赤字をつくらない覚悟が必要である。つぎに現場社員に「ただ現場をするのが自分の役割だという時代は終った」と話した。「顧客との密接な対応 顧客をよく見る目 分析もまた必要なのだ。」ただ闇雲に仕事をするのと 考えて考えてするのでは結果として大きな差が生じてくる。

   夜 板倉工場機械の修理が終った報告を踏まえF機械にお礼と追記のメールを送る。かなり苦心惨憺の文面だった。一ヶ月契約書の入金日から入金が遅れているG社に20日までに一部でも資金を調達し支払ってくれるよう TELする。監督に「勝手に金額を下げる交渉に応じてはゆけない」ことを諭す。それから入金が遅れ勝ちな顧客の営業担当に 「こんどの工事の契約書に支払い条件を確約する」よう指示する。おそくなって帰ると むすめたちの様子がおかしかった。どれかひとつをとればひとつは失う。ほんとうにこれでよかったのか わたしにはわからない。


   中野図書館から問いあわせについて答を聞いた。中野図書館の見解は 絵本として活字になった民話の再話については ことばを補ってもかまわない。写真をつかうときは著者の承諾がほしいということだった。妥当である。さっそく手配しなければならない。




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40時間 とおしで仕事をした、ぜんぜんえらくもなんともありません。ためてしまったこともあるし やるべきことだから。給料日 社員さんや雇員さんたちのそれぞれと話ができて楽しかったしよかったとおもう。夫をうらんでるなどと書いてしまったが(あなた ごめんなさいね) みなさん縁があってうちの会社に辿りつかれたのだ。ひととき身を預けるひともいれば 社員になってながく留まるひともいる。社員になったひとがやめることはあまりない。

   若いひと 老いたひと 教養のあるひと せっかちさん ぼーっとしているひと まっすぐなひと 草むしりがすきなひと スモーカー 禁煙者.... 今日またひとり面接に来る。 さぁ いらっしゃい ここであなたの力を発揮し そして会社にあなたの息吹を力を加えてください みなさんの力がひとつになって この会社が伸びてゆくように 磐石になるように 社会の器のひとつとして 街のひとびと町のひとびとの暮らしにかかわり すこしでも暮らしやすくさせていただけるように 循環型社会の礎の石のひとつになるように あなたの仲間、社員やバイトや関係会社のひとたちを支えあなた自身が耀くように あなたの力を発揮してください。

   中野図書館に問い合わせをしている。書籍のなかの写真をつかっておはなしをしていいか 絵本を語るとき (伝承の再話) 絵にたよっているところなど 補って語ってよいか。さぁ ここで 選択である。返答によっては語り手はみずからのことばでみずからのお話を語るかそれとも全く一言一句暗誦するかを迫られるかもしれない....そして語りは本にいざなうための布石に過ぎないのか、それとも口承の文芸なのか ...図書館の方針によっては 居場所を失う可能性もでてくるかもしれない。


 

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   何人もひとが入ったので時間がかかった給与計算 いちばん神経をつかいなおかつやりたくない仕事がもうすぐおわる。すこし夫を恨んでいる。泣きつかれるといやとはいえなくて来るひとみなを引き受けてしまうのだもの。とうとう一晩過ごしてしまった。

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小春日和が晩秋の季語で 麦秋が夏の今時分の季語 陰影を感じることばだ。栃木へ向かう車のなかでNACK5(知るひとぞ知るさいたまのFM)を聞いていたら、尾崎豊の歌が流れた。声を聞いただけで心臓にくる歌い手はそうはいない。I love youは多くの歌手がカバーしてアジアで1000万枚売れたそうだが だれか尾崎豊の歌をカバーできるひとがいるとは思えない。うたのことばも曲も尾崎豊自身が書いたものだし その声には魂がのっていて 聴くものの魂を揺さぶる。

  透いていてまっすぐでやはらかく硬質な 青い空を薄い氷を通して見るような氷に薔薇の静脈が透けて映っているような尾崎の聲を 車窓から景色を見るともなく眺めながら聴いていた。語るように歌い 歌うように語れたら...それはたやすくみえてそんなに簡単ではない。 24日は元ちとせさんのライブに行く予定だった。わたしは元ちとせさんの深くて繊細な声もとても好きだ。自分の声で歌ってみるとその歌手の力量がわかるものだ。最近はいかないが以前は煮詰まってくるとカラオケに行ってひとりで二時間くらい歌うのがつねだった。

  マイクなしでアリアやカンツオーネやシャンソンも歌ってみるけれど やはり日本のことばで日本の歌をうたわないと気持ちが鎮まらない。そんなときは元ちとせさんとか尾崎豊とか中島みゆきさんを歌う。地上の星とかヘッドライト テールライトがいい。それからやっぱり演歌も歌う。いちばんうまいと思うのは美空ひばりさんで 川の流れのようにやみだれ髪 天城越えはさゆりさん ももえさんのさようならの向こう側も歌ったりする。

  ことたまで魂を振るわせる双璧の芸 歌と語りのうち 歌がこれだけ隆盛をきわめているのに 語り芸は落語とかお笑い芸人の一過性のトークしか盛ってないのはさみしいけれど いつか語りが復興するときもくるだろう。病院で夫は三度目のレーザー治療を受ける。目の排水孔が塞がってしまうためである。あまり機嫌がよくないのは現場のことが気になってならないのだろう。

  桶川の現場に送ったのはもう4時をまわっていた。途中 グラツエというちょっと素敵なレストランを見た。日伊創作料理という文字が飛び込んできた。そのうちに覗いてみよう。そのうち美容院に行こう。千川のナイスディに寄ってみよう。川越の小麦市場にも行ってみよう そのうちに。

  某社にTELしたら 金曜日に板倉の装置の修理をするとのこと、某システムと話をつけたとのこと。きのうそれが話し合いのための条件だと伝えた結果のささやかな一歩 ほんのささやかな勝利.....あたまの鈍いわたしにも見えてきた。販売における間違いはF機械だが 一番問題なのは産機の体質なのだ。官公庁をターゲットにしてきたために切り替えが遅く杓子定規にしかものを見られない。営業が扱う商品について知識を持っていない。ことばが通じるか 語り手としての働きどころではある。

  ひとりになりたくて店にはいった。これから夜なべで給与計算 それに残った仕事をするのだから 朝までひとりになれるというのにきのう某社と落ち着いて話すために買ったパーラメントに火を点けてしばらくぼんやりしていた。 青い闇にまぎれて会社に戻る。

  尾崎に....

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蓮の沼


   今日は頭を使いすぎて がんがんする。F社に6/8付回答書の回答、6/13サイゼリア打ち合わせ事項 2006年2月のF社メール通信記録を送る。修羅場の格闘も生きている感じがしてそうわるくはないのだが 森や野原がむしょうに恋しい。素足になってクローバのカーペットに座って四葉をさがしたりしたいなぁ。足がひんやり気持ちいいだろうなぁ。


F社担当営業がまた朝駆けで見えたので サイゼリアで打ち合わせをした。それぞれが異なる言語で話しているようなものだ。話しことばの曖昧性はビジネスでは鬼門である。ゆえに文書で文言をとどめるのだ。前回も前々回もメールの添付文書にての返答をたのんであるにもかかわらず それはされない。今後はメールにてとお願いする。語り手であるのに語ることばの非力を痛感する。

   というのも これが小なる正義 自分にとっての正義であるからなのだろう。たしかに購入を決意したのも契約時も先方のことばを信じたからなので セールストークの嘘を思えばその意味では正義である。また手を携えて リサイクル社会のためにがんばろうと ルイが入院していたあの日 肩を叩きあったのだから ほんのすこしは 大いなる正義もまじってはいるのだが、ダイワハウスのときのように施主さんのために闘っているわけではない。だが妥協しないでがんばるつもりだ。双方のために良い結果にならなければ意味はないが 対手がこののちも保身に走るならわたしも一歩を踏み出すのみ。死なばもろともである。

   午後は メールが送れなくて家と会社を往復したり 会社で面接したり ちいさなトラブルの処置をしたりして 疲労困憊。会社で全体会議。手ごたえを感じる。会社が変わってゆく伸びてゆく気配をひしひしと感じる。万一 語りから離れたとしても 会社の歴史もひとつのものがたり 登場する社員さんを生かして たくさんのエピソードを積み重ね 障害を乗り越えてゆく 目的にむかってゆくひとつの大きなものがたりなのだ。擦り切れてしまいそうだが 択んだみちだからベストを尽くすのみ。朝方 マヨワノミコの余剰を削ぎ落とし すっきり美しく語りやすくなったのが救いだ。夜 この世のものではないものがたりに抱かれるのがたのしみである。今夜はだれが迎えてくれるだろう。



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見た♪ 入った! 負けた...



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   朝7時出社 支払いの振込準備をしているところに某社来社。いつもの夜討ち朝駈けだ。こちらとの約束や都合など一切無視である。それから栃木へ行く。長い待ち時間のあいだに院内の銀行や郵便局でチケットや本の振込みをする。回答書のチェックを入れマヨワノミコのテキストを修正する。

   待合室で宙(そら)くん 10ヶ月 と百花(ももか)ちゃんと悠花(ゆか)ちゃんの姉弟に会った。「あぁ 生きてるのやになっちゃった」という声に思わず 「そんなに若いのに」と笑ってしまって ともだちになった。ももかちゃんは小2なのだった。笑ってわるかったと思った。小2のとき たぶん祖父の死とある本のせいだと思うが 死についての考えにとりつかれて 重苦しい夏を送ったことがあるのを思い出したのだ。

   ももかちゃんは「怒られてばかりだし いじめられるし 宿題はやらなくちゃだし...」と思いのほか 明るい声でさえずるように言う。そうだよね。子どもだってたいへんだ。おばさんもがんばらなくちゃならない。そらくんと遊ぶ。ダーとそらくんがいう。わたしもダーとかえす。こんなことがたのしくてしかたがない。子どもって ほんとうにかわいい。この子たちのために なにかしたいなぁと思う。もうこれきり会えないかもしれないが どこかほかの子どもたちのためにすることは ももかちゃんやゆかちゃんやそらくんにつながってゆくような気がした。

   いまはまだたいへんだけれど いつか乳児院や小児病棟にもおはなしやゲームをもっていこう。そらくんのおかあさんともおはなしした。「ちいさい子がいるとたいへんだけれど 思いがけない力が出るんですよね」というと 「えぇ 家にかえってふと わたしはなんでこんなにできるんだろうとびっくりすることがあります」とまだ童顔のおかあさんが言う。ゆかちゃんは青い目をしている。先天性の緑内障だそうだ。ずいぶんと修羅場をとおってきなさったのだろう。目がつぶれるくらい泣いたこともおありだろうと思う。おかあさん だいじょうぶ。お子さんたちはすくすく育ちますよ。祈るように病院をあとにする。

   6時に帰社、仕事をする。勇気をもらったから今日はがんばれそうだ。みんなあっというまに帰ってしまって残るのはいつものAとKのふたりだ。ふたりとじっくり話をする。やっぱりいい会社にしたい。大事にはいたらなかったが 夫はわたしがついていないとだめなのだ。自分のことをたいせつにしないひとなのだもの。語ることやもうひとつ どうしてもしたいことがあるのだけれど 夫のことに比べたら それは二の次 三の次だと思う。あのひとがわたしのことを考えようと考えまいとわたしが尽くせばいいのだと思う。子どものことは彼ら自身にまかせよう。  早朝 庭のすみに咲いていたひるがおが会社を出るときには雑草の山の上に抜かれていたのを思い出した。なぜだかわからないが涙が滲む。 わたしはだれのために泣いているのだろう。



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   むかし 足踏みミシンのカタカタという音で夜中 目が覚めた。母が夜なべで妹とわたしの服を縫ってくれる。お洒落な服で それもお揃いだったから 縫いあがるのが楽しみだった。白い襟の葡萄色のロウウェストのワンピースやギャザーの袖の薔薇の花模様のパジャマができあがったときなどはうれしくてしかたがなかった。今では夢のようだがちいさいころはシュミーズなどの下着もみな手縫いだったのだ。白いキャラコのシュミーズは裾に綿レースやギャザーがついていて 夏はこれっきり着て遊んでいた。あさがおの花をつんで色水をつくったり おしろい花の黒い実を集めたり ぶどう棚のしたで茣蓙をしいてままごとをしたり 無花果の木の又に登ったり ビワの木の下でブランコに揺られたりした。日の長い夏日は 青い夕暮れまで時間がたっぷりあったから。

   わたしが娘たちにつくってやれたのは人形の服だけだ。その娘たちもいまは一人前の娘になった。数年後 母になる日がくるだろうか。ちいさな娘になにか縫ってやる日がくるだろうか。そのときわたしは屈託なく笑って 孫娘に針のメドに糸をとおしてもらったりしているのだろうか...





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  元ちとせさんのリサイタルの切符を手配する。フジコ・ヘミングさんの10月の演奏会のチケットも手配する。とれるかはまだわからない。夢をみているように週末は過ぎていった。だれのためのこともできなかった。ただ つつじの娘とマヨワノミコがまとまっただけ。新しい解釈で6年生に語ってみようと思っている。今夜は会社に行って仕事をしなければ...どうしてもしなければ。


  どんなに厚い雲のうえにも 青空や星空がひろがっていると想像すると すこし勇気がわいてくる。どこか遠い町で ともだちやまだ見ぬひとが想いをめぐらしたり 笑ったりしていると思うと わたしのなかでパチンとちいさな泡がはじける。なんとかなる、なんとかなる。




海に沈む鳥居 雨粒が銀河のようにも見える




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   ふたたび長嶺ヤス子さんのこと 長嶺さんは踊りを通して もっとも伝えたいのはなにかという問いに「祈りです」と答えている。踊りも語りも歌ももともとは神に捧げられたもの...祈りなのだ。絵画も音楽も源流をたどれば宗教画や宗教音楽 また祭祀が起源であろう。

   ひとは時代を超えてずっと祈りつづけてきた。最初は神の御名が誉めたたえられるよう また世界の言祝ぎを  しだいに自分の幸福のみを。いま芸術といわれているものはもともと神への祈りであったし およそ芸にかかわるひとは その活動のさなかに大いなるものの実在を感知するはずだとわたしは思っている。

   長嶺さんはこうも言っている。現代に生きるひとが生命の力を呼覚ますために必要なことは「自分自身を原点にかえってみつめなおすこと」であり大いなるものに生かされていることを知ることであると。

   わたしの場合は 祈りははじめからあって その祈りをかたちにするひとつの道が語りだったように思う。語ることやHPやブログで語りとはなにか、生きる目的はなにか みつめなおすという作業のなかで考えを深くすることができたのならよいが...これは希望だが。自分のためと見えてそれは読んでくださる方がいてはじめてできたことである。そうして読んだ 感じた 思ったという時おりのたよりにどれだけ胸を熱くして 励まされてきたことか...ほんとうにありがとうございました。そのような日々のメモを読んでいただくのはすこし恥ずかしくもあり 書きたくも書けないこともあって歯がゆいこと多いのだが ここにきてくださる方々が確実に増えていることはありがたく 不思議な気がする。

   PCを整理していたら むかし書いた日記がでてきた。最初のころのはこれしか残っていない。むかしから 書くことはそう変わってはいないのだった。



二十六の昼 (2003.01. 10) 痕跡

 真夜中、 しろとよく遊んだ五稜公園でケヴィンを放した。まりのようにはじけて駆けてゆく。しばしたって、車に戻ったがケヴィンは落ちつかない様子でうろうろしている。自分の痕跡を残そうと必死なのだ。しろと違ってやっぱり雄である。人間も男は自分の生きた証を残そうとする。夫がダムや建物のまえで、「これオレがつくったんだよ」と嬉しくてしかたがないといった顔で話すのをよく聞いた。父も弟も自分の業績を誇る風があった。
 わたしはカタチになるものは残したくはない。できることならなにも残したくない。ただ魂に痕跡を残せたら...と希う。みずみずしい子どもの魂に、美しいもの、大切なもの、生きることは意味があるということをカケラでいいから残せたら、本望である。早朝、小学校でおはなし会のあと、魂のこもった、まっすぐな、それでいて夢見るような瞳でみつめられることがある。...だからわたしは語り続ける。

十九の昼 (2002.12. 30)  標

 どの方も「この一年、とくに夏が終ってからは速かった。目くるめくようだった」とおっしゃる。時間の感覚というのは不思議なもので、からだの大きさによって体感する速度が異なるようだ。からだの小さいものほど、時間はゆっくり進むから、ウスバカゲロウの一生も象の一生もそれぞれが感じる一生の長さはそう変わらないのかもしれない。しかし多くのひとがこの一年を速く感じたというのは終末へ向かって傾れ込んでいる予感をひとが感じ取っているのかもしれないとも思う。。

 ひとの一生は、その死までが成熟への過程なのであろうし、文明もそうであろう。爛熟し終焉にむかうその過程は、新たなる生命の胎動とも重なる。ひとは輪廻転生を重ねてゆくと、わたしはある経験から固く信じている。だからわたしという生命の終わりは、新たな試みのはじまる兆しなのだ。文明にしても同じようにたとえひとつの文明が終ろうと、人類が滅亡しないかぎり、ひとはこの地にはびこり、大いなる試みを繰り返すことだろう。あたかもひとつの意志を持つごとくに。ひとりのひと、そしてその集積たる人類文明のこの連環は螺旋を描いて天に近づくのだろうか。すこしづつ誤りを糺し、偏頗を悟り、他者を食い尽くさぬものへ昇華してゆけるのだろうか。それともいくら試みても聖性を持ちえず、むなしく腐り果つるしかないのだろうか。

 今年はわたしにとっても標となる年だった。表現について石を穿つ石工のように試みた。内在するエネルギーをどのようにあらわすか、どうやってこの伝えたい熱い衝動をカタチにするか、コントロールするか。考えつづけた。わたしはただ民話をそのまま語る語り手になりたいのではない。生と死を伝えたかった。命のよろこびを、死がけっして終わりではないことを伝えたかった。歌うことから学んだことは多かった。歌うことそのもの、声を出すことそれ自体が喜びであることをわたしは知った。からだとこころが感応し歓喜に震えるのをわたしは感じた。ことばとは音、文字ではない。波動が伝わる。イメージとは結果でなく頭で考えるものでなく、細胞のなかにすでに在るもの、それを一瞬にして波動として放出する。また演出という。しかしそのコントロールは敢えて頭脳でするものではない。場の力に委ねるだけでよいとは思わないが、作りすぎると感動を削ぐ。

 芝居をしてわかったこともある。喝采はうれしいものだ。お客様を送るとき、目の輝きのなかに夢みるような魂を揺り動かされた名残を見るときの幸せ、そして仲間と一からつくりあげた喜びも。しかしながらあの感覚、わたしであってわたしでない、役の人間になるという意味合いだけでなく、もっと大きなものの懐にはいるという感じ、その意を伝えている赦されたやすらぎのようなものがある。もっと深く知りたいと思う。

 物語もたくさん書いた。かっちゃんに励まされて「おさだおばちゃん」(レクイエムの1)と「青いガラス」(浦和物語の2)を書いたのは初夏だった。そして晩秋、検索から「由紀ちゃんの庭」に降り立った園江さんのメールは、「三角山の木の上の猫」、「なにかがついてくる」、「フランス窓から」(以上浦和物語)を書く後押しをしてくれた。「一本の樹」(レクイエムの4)はかっちゃんと妹が待っていてくれた。100人がよかったといってくれるものがたりはわたしには書けないだろう。そのうちのいくつかが、読んでくださる方の心に留まるのであればそれでよい。これからもぽつりぽつり書きつづけていきたい。

 こうして歌や語りや芝居や物語をとおして、わたしは想いをかたちにして伝えてきたのだけれど、そのいわばハレの場だけでなく、日常のなかでこそ、それは必要なことなのだと気がついたのだ。朝、見知らぬひとへおはようございますと声をかけたり、店員さんにねぎらいをひとことつけくわえたり、こどもたちと語らったりすること。生きるってたいへんだけど、楽しいね、こうして会えて語って愛し合って日々を送れてしあわせだってことを日々のなかで、ことばとまなざしと笑顔でもって伝えてゆきたいと思うのだ。仮になにがが起きても、わたしの命が終るとしても 国が滅びるとしても ぎりぎりの暮らしであっても そんな風に生きてゆきたい。新しい年に........




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もう散り初めてしまったろうか 

花のいのちはみじかくて.......だが苦しみこそ栄光なのだ。しあわせな家庭はよく似通っているが不幸な家庭はそれぞれ違っている....日記をはじめてから三度目の引用になるトルストイのことば。家庭ばかりでなく ひとりの人間を際立たせているのもしあわせではなく そのひとの不幸であり苦しみであり その苦しみが栄光なのだと思う。フジコもゾフィーもローラもお定もわたしのおさだおばちゃんも...きらいなのについ見てしまうワイドショーの束の間の主役たちもみな....

   わたしの苦しみはわたしだけのカクテル...家族も仕事も語りに関わることも....。 ひとつのものがたりを生むのはそう簡単ではない。口からほとばしるのはそれは造作ないのだが...そこにいたるものがたりの熟成にはわたしの生きてきた苦しみと喜びが深く作用している。そして米だの葡萄だの生のままでは芳醇な酒にはならないように....苦しみと喜びを昇華させなくてはものがたりにならない。

   だから このブログも語りどうよう わたしにとっては祈りなのだ。わたしにはまだ天の語りは語れない。古事記の上巻もまだであろう。地の栄光 地に生きたひとびとの語り その闇と耀き 闇のなかから天にのぼろうとする一条の耀きが語れたら...今はそれだけでいい。おさだおばちゃんも芦刈もつつじの娘もおとうちゃまのことも弥陀ヶ原心中もディアドラもわたしが語ってきたものがたりの多くはひとの生と死 苦しみと栄光だった。

   エリザベートも秩父事件もさっぱりものがたりに収斂してゆかない。わたしは さまざまなことに翻弄されて自分を見失っている。荒れた海に投げ出されたこわれたかけた小舟のようだ。カラ元気を装って昂然と首をあげたところで事態は変わらないのだった。ここを乗り越えられればなにかがきっと見えてくる。きのう病院の待合室の本棚に『ももいろお月さん』と『絵のない絵本』をみつけた。懐かしく手に取った三年前 語ったきりのものがたり ....もういちど語れ...ということ ?




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   雨の音は波立つこころを鎮める。川のせせらぎはとおい昔にいざなう。風の音は血管のすみずみまで響いて原初のいのちを甦らせる。高山から戻って三日のあいだ、わたしは自分を見失っていた。どうにも気持ちのやり場がなくて 怒鳴りちらしていた。子どもたちへも 夫にも。その前からしばらく仕事も手につかなかった。仕事に行くのがいやでいやでしかたがなかった。それはほとんど家庭のさまざまな心配事からきていたのだが わたしには為すすべがなかった。

   それがどうだろう。憑物が落ちたように 嵐が去ったあとの凪いだ海のようにわたしの心は穏やかだ。きのう 朝のおはなし会のあとから...

   微笑を絶やさず語りつづけようと思っていた。いつものように語るまえに祈った。どうか神さまの御心にかなう語りを御ゆるしくださいますように 美しいことばを美しいものがたりを子どもたちに届けることを御ゆるしくださいますように.....

   おはなし会がおわってから会社に行き娘に手伝わせ 掃除をした。床は雑巾がまっくろになるほど汚れていた。トイレのそうじ 裏玄関まわりのそうじもした。真っ赤な薔薇が一輪 築山の上で揺れている。あしたからまた まっすぐ歩いてゆけそうな気がした。

   若いころ ヘッセのデミアンがそれからゲド戦記がバイブルだったときがある。ちょっと笑い話だが 夜中に飛び起きて 「わたしはイド(本能のことか)わたし自身だ」と叫んだことがある。意味はよくわからない。 それほどずっと去らないのは わたしとは..なにか? なぜここにいるのか?...という究極の疑問符だった。 教会に行き聖書を読み ニーチェの神は死んだを読み 高橋和己に熱くなりしたけれど 答は見つからなかった。友だちが押し付けるように置いていった人間革命も読めば 集団結婚のあの教団のキャッチにひっかかったこともある。ものみの塔のおねえさんからレクチャーも受けた。確かなものを求めてあちこち彷徨ったあげくここにはわたしの奥処に響くなにかあると感じたのは 古神道そしてカソリックの香りのようなもの...古神道には最初は教義などなくて仏教伝来に対抗して整備されたらしいのだが、語りを学んでゆくなかで ホピの人間の道と共通なところを感じている。ホピだけでなくチェロキーなどの他の部族やアイヌ、アボリジニなど世界のなりたちの秘密を口承で受け継いできた民族の教えやものがたりをこれからもっと学んでゆきたい。

   ともあれ いま為すべきことがある。目の前に一本の道がある。それはなんてしあわせなことだろう。わたしの子どもたちもながいことかかって答を見つければいい..わたしはだれ....なぜここにいるのか....なにをすればいいのか....いつか必ず答はみつかる。求めてゆきさえすれば。



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