.....わたしはテレビが白黒の昔からフィギュアスケートが好きでした。まだフィギュアがこれほどの人気がなくマイナースポーツの時代からNHKの放映があるとテレビにかじりついていたものです。そのなかでもっとも記憶に残るシーンは英国のジェーン・トービル・クリストファ・ディーン組が演じた「ボレロ」でした。芸術点で9人のジャッジ全員が6.0(満点)を出したこの演技はフィギュアの歴史のなかで伝説となり 23年経った今もわたしの脳裏に紫の濃淡の美しい衣装とともに鮮烈に残っています。クリストファとジェーンの「ボレロ」が大きな感動を呼んだのはその「物語性」にありました。叶わぬ恋に苦しみながら旅をつづけ、苦しみを癒す唯一の方法として火に身を投げてしまう恋に身を焼く男女の物語です。恋の終焉…ふたりは絡まりあって氷上に斃れますがその美しさに鳥肌が立ったのを忘れることができません。フィギュアスケートが単なるダンスやウィンタースポーツから芸術に昇華した一瞬でもあったのです。
わたしはドラマが好きです。神話...闇と光の戦い....そしてそれを継承するファンタジー文学.....市井のひとびとの人生の...闇と光、栄光と挫折そして再生のドラマ、また現代の英雄でもあるそれら一般のひとびとの人生のものがたりが時代と織りなしてゆくドラマ...そのようなものがたりや詩を好んで語ってきました。......それで昔話や民話のなかでもドラマ性のあるもの、象徴としての生と死...甦りが色濃く反映されたものは好きだったのでしょう。.....自分のこと...なぜ、どうしてなにかが好きで なぜどうしてこのような行動を起こすのかって意外にわからないものですね。この奥にはかっての成就されなかった今生のまた過去生の想いの名残があるのかもしれません。
さてそれでは自分が語りたいものがたりをドラマティックに伝えるにはどうしたらよいのでしょう。きのうフィギュアスケートのNHK杯とFOXテレビのダンスのコンクールを見て気づいたことがあります。フィギュアやダンスにおいての実力とは身体能力+技術のように思いました。クリストファとジェーンの伝説的な演技にしても当代きっての実力者であったふたりの卓越した身体能力と技術の裏打ちがあったことはいうまでもありません。けれどもその耀き..パフォ-マンスの質を決めるのはそれだけではないように思うのです。...それは個性...演技者の生命のあらわれといいましょうか...そのひとの生命力そのひとの人生のものがたりがパフォーマンスに透けてみえる....そして投げかけられたそのオーラに....観客の魂は打たれテレビを通してさえ震えるのではないでしょうか。
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