遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    愛犬ケヴィンを美容院に連れて行ったあと、心配なのと所在ないのとで娘とカフェで待っておりました。ロケットカフェは居心地のいい空間。美味しいワッフルは生クリームがたっぷり カップ二杯分はゆうにある熱いカフェラテをテーブルに、本棚を物色したところ”いけちゃんとぼく”がうつくしい絵本の数々のなかにありました。

    読んで思わず泣かされてしまって 娘にわたすと 娘は読んだあと 「マリーン....だね」もうひとりの娘もそう言いました。いけちゃんとぼく まだ読んでない方は このつづき見ないでくださいね。

    いけちゃんとぼくは2006年西原理恵子さんの書いた作品

場所は日本 海辺の町。時代は昭和20年代!?ある日、ぼくはいけちゃんに出会った。いけちゃんはうれしいことがあると数がふえて、こまったことがあると小さくなってちぢまる。いつもぼくのことを見てくれてるし、ぼくが友達にいじめられて落ち込んでるとなぐさめてくれる。でも女の子となかよく遊んでるとまっかになって怒り出す。そんないけちゃんのことがぼくは大好きで――。........さようなら 私たち 人生の終わりに とても短い恋をしたの あんまりにも 短い恋だったから、私、もう一度 あいにきたの こどものころのあなたに――

    
    マリーンは1977年萩尾望都さんの書いた作品 原作・今里孝子(萩尾氏マネージャー)

エイブは6歳。父親はおらず、母親が病気になり、ろくに学校にも行けない。ある日、エイブは母親の薬を買った帰り、近所の悪童たちに薬壜を割られてしまう。路上で途方にくれる少年エイブの前に、一人の美少女が現れる。マリーンと名乗った少女は、片方のイヤリングを差し出し、これで薬を買うように言う。薬屋は高価すぎるとイヤリングをエイブに返す。真珠を配し翼をかたどった銀のイヤリングはエイブの宝物になった。

10歳のとき母親が亡くなり、エイブは雇い主だったペイトン氏に引き取られる。ペイトンの娘のディデットは何かとエイブに意地悪をするが、そんなときもマリーンはたびたびあらわれエイブを励ましてくれる。 ある日ディデットのテニスコーチとして、全英ベスト4に入った実力のあるテリー・ローブがペイトン家にやってくる。テリーはエイブの才能に目をとめ、彼をテニスクラブに誘う。1年後、強くなったエイブは他校との試合で完封勝ちする。エイブを思うように出来なくなったディデットがヒステリーを起こし、エイブは罪を着せられ追い出されそうになるが、テリーが引き取る。

テリーのコーチの元で、エイブはプロテニスプレイヤーになり、さらに強くなっていく。力任せのプレイと言われるが、金を稼ぐため必死のプレイに全米、全仏の強豪とも戦って名をあげていく。エイブはマリーンの面影を追っていた。ところが、 ある日、エイブはマリーンの正体を知る。彼女はフィールズベリ伯爵のひとり娘ですでに婚約者もいた。エイブは強いショックを受けるがついに全英チャンピオンになった。そして、彼女の婚約者ビンセント・クラークがアマチュアのテニスチャンピオンだったことから、豪華客船で開かれる結婚披露宴に招待される。

クラークの挑発で、船内のコートでエイブとクラーク プロとアマのチャンピオン対決がはじまる。炎のようなエイブのプレイ エイブが振り仰ぐとマリーンの目がエイブのプレイを凝視めていた。一瞬交わされるふたりの視線。その夜、マリーンは海の中に身を投げた。船の上にはイヤリングの片方が残っていた。

マリーンは この日 はじめてエイブに会ったのだ。そしてひと目で恋に落ち、自分が他の男のものになることを悲しんで、波間に落ちて行ったのだ。そして繰り返し繰り返し マリーンの夢が時を越えて波間からエイブのもとに訪れたのだ。追憶 追憶.....エイブは追憶の波に沈む。

セシリアは1964年水野英子さんが描いた作品 原作は映画ジェニーの肖像

きらめく星をこえ、めくるめく時をこえて二人は出会った---。 貧しい青年画家が出会ったふしぎな美少女セシリア。ロバートはその少女のデッサンを画商に持ち込み糊口をしのぐ。出会うたびに美しく成長してゆくセシリア、セシリアはロバートの希望だった。ロバートとセシリアに恋をする。画商に勧められセシリアの肖像画を描いたところ その絵は美術館に評価され引き取られ ロバートは嘱望される新進画家としてデビューした。前途洋々たるロバート。やがてセシリアの”時”とロバートの”時”は重なる…......しかしその時ジェニーはロバートの目の前で船から落ち溺死する。..........メトロポリタン美術館の片隅に今も黒衣の少女の肖像画がひっそりかざられている......その名はセシリア。

    映画 ジェニーの肖像 1947年 ネイサン原作

1938年の冬、貧しい画家のイーベン・アダムス(ジョセフ・コットン)はセントラル・パークでジェニーと名乗る可愛い少女(ジェニファー・ジョーンズ)と出合った。彼の描いた少女のスケッチは画商のマシューズ(セシル・ケラウェイ)の気に入り 彼もようやく芽が出かけた。

公園のスケート・リンクで再びジェニーに出合ったアダムスは、彼女が暫くの間ににわかに美しく成長したのにうたれ、早速その肖像画を描く事を約した。約束の日彼女は来ず、彼女の両親がいるという劇場を訪ねたアダムスは、その劇場が既に数年前に潰れて当時からジェニーは尼僧院に入れられていることを発見した。数ケ月後、消息不明だったジェニーは、成熟した女性になって突然アダムスの画室に現れた。彼は直ちに肖像画制作にかかるが、未完成のまま彼女は姿を消してしまった。

しかしモデル不在のまま完成したその画は非常な評判となり、アダムスは一躍画壇の寵児となった。ジェニーを求めて尼僧院を訪れたアダムスは、彼女が1920年ニュー・イングランドを襲った津波で溺死したことを聞いた。彼はすぐさま現場の岬へかけつけねボートを漕ぎ出したが、とたん、彼のボートも猛烈な暴風で叩き潰された。命からがら崖にはい上った彼はジェニーのボートが近づいて来るのを見、夢中で救い上げたが、襲いかかった波は二人を呑んでしまった。アダムスが気がついた時、周囲の人々は誰ひとりとしてジェニーを知らなかった。彼女は、ただアダムスの心の中だけに永久に生きている女性なのであった。


とくに セシリア マリーン いけちゃんに共通するのは ......

”時”を超えて会いにくる女性的なるもの

それは少年(青年)の成長を見守り手助けする母性的な存在

過去=未来に一瞬の恋 がありものがたりが遡ってゆく



........ものがたりがかたちを変え、時代と場所を替えても キーワードとしての「海」は残っていました。海 子宮 母 ........恋人が母性そのものとして未来の恋人の成長に手を貸してゆくという このパターンを女性が描くということに対する眩暈がわたしのなかにはあります。.....いけちゃんはひとのすがたではあらわれません。ちょっとどらえもんをおもいだしましたが かわいいひとだまみたいなかたちなんですね。いけちゃんを老いらくの恋にして だからもあるのだろうけど おばけにしちゃって増殖もするというのは西原さんの卓越したストーリーテラーとしての資質であるような気がするし 美少女・美少年にしなかったのがまさにそうなんですが ものがたりの骨格を考えるとき、セシリアなくしてマリーンはなかったし マリーンなくして いけちゃんもいなかったような気がするのです。

    たぶん西原さんはマリーンを見ているだろうな.....漫画が好きだったら 漫画界をその時代牽引していた水野英子や萩尾望都の作品に目をとおさないはずはないし、インスパイヤされるのがわるいというわけではもちろんありません。ただ 漫画ファンとしてこのような流れがあったのではないかということを明らかにしておきたいのです。

    最近 カーロ・カルーソー(自作のものがたり)のカーロに天分があることから 気持ちを投入できなかった という感想を読ませていただき 主人公の設定について いたく感じたこともありました。そういえば漫画の主人公って ふつうの子のほうが受け入れられるようですね。のび太くんとか ちびまる子ちゃんとか。そこに不可思議な力がはたらくとすれば 昔話の王道 魔法昔話を踏襲したものですし 今日 取り上げた3つのものがたりもその範疇にはいることになります。成長譚 イニシエーションと捉えることもできる。

    主人公を寝たろう・イワンのばかタイプにするか 小太郎(貴種流離譚)タイプにするか 幸福の王子(非凡だが 制約がある)タイプにするか これはもうすきずきなんですが 絵の上手なきれいなひとは ルックスの綺麗な主人公にしがちかもしれない。わたしは創作のときどうなのかな 美醜ではないけれど 秘めたうつくしさ 凛としたものを持つヒロインが多いかもしれない。主人公のアーキタイプからさぐっていく、ものがたりを組んでいくのもおもしろいかもしれません。.........少女漫画史も 大御所萩尾望都を直前にしばらく 足踏みしていますね。書きたいのは以前書いた 私的大島弓子論のつづき 萩尾さん 山岸さん 大島さんの”その後”なんですが これは力仕事になりそうです。そのうち じっくり はじめることにましょう。




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コメント
 
 
 
Unknown (らんらん)
2011-01-31 19:38:03
「少女漫画のたのしみ」ずっと読ませていただいております。「私的大島弓子論」の続きも早く読みたいです。
 
 
 
ありがとうございます。 (luca)
2011-02-01 10:34:01
わたしも 書きたくてうずうず...なんですけど、山のようなお三方の作品群に取り組むという喜び.....には かなりの時間が必要で 時機を待っております。らんらんさん ありがとう、励みになります。
 
 
 
少女漫画の入り口 (らんらん)
2011-02-01 12:51:15
「物語」と少し違うところでの関心があります。
そこのところで少しお話ができたら嬉しいのですが。

「トーマの心臓」を見たとき、
少年漫画の見やすさ読みやすさとはまるでちがって、読みにくい見にくいなって思いましたが、
でもちゃんと見て読むと、
すばらしく工夫されていて心底驚きました。
それは、コマと絵とフキダシと効果線が
緻密に融合した、画面構成になっていたからでした。

私たちは意識して言葉(セリフ)を読みます。
意識的でなく無意識に画像を視覚として読みます。
マンガはこの二重性として
読んで見るわけですが、
「トーマの心臓」で、萩尾望都さんは
この意識と無意識を微細に融合させています。

少女漫画に本当に関心をもった私の入り口は
ここからでした。
 
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