遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    ヴィエントは森のなかにあった。中央の大きなテーブルに案内されて八角形の天井と明りとりの窓を見あげる。ピアノのひびきが天井から降ってくる....やさしく、やさしく.....とてもいい音響だ。パスタもお茶もデザートもおいしかった。客は熟年のカップルが多くて、席があくと同時に客来があって不思議といつも席は満ちているのだった。


    とても大きな間違いをしていたことに気がついたので、忘れぬうちに書いておく。わたしはシャーマンとして語りをしたい....と今まで書いてきた。自ら語ることのかなわぬモノやひとの代わりに語りたかった。....しかしお二方から”つながることと憑依されることは違うのだ””まだ早い””危険がある”と教えられた。おふたりとも畑違いだが、霊的なレヴェルの高い方であるし、すーっとそのことばが胸におさまった。......たしかにそうに違いなかった。


    今日は気づきの日だった。......いつ 間違えたのだろう。森の奥へ奥へと踏み込んでいるうちに、いつのまにか本来の道を見失っていたのだ。語ることが目的になってしまっていた。 言魂........ことばに魂がのる、ことばに想いをのせるのとは違うのだ。語りをとおして、ひとを癒すことはできる。元気にし やさしい気持ちにすることはできるかもしれない。だが、救うことはできない。語りをとおして救われるひとはすでにあるレヴェルに達しているひとなのだ。

    語ること、語りを学ぶことで 精進をかさね 癒され ひとは変わってゆけるだろう.....だが、それには長い時間がかかる。30年語っても気づかぬひともいる。もうあまり時間がない。あたりまえのことだが、語りは枝葉に過ぎない。根と幹は.....魂と身体である。


    ブログでアスパルテームの毒性、電子レンジの危険、ワクチンの危険に警鐘をならしたところで、なぜ それがいけないのかを伝えているわけではなかった、もちろん生命にかかわることなのだけれど、本質はもっと別のところにあって、それを伝えなければ、現象面の情報に終わってしまう....。



    ムダとはいわないが、詮無いことをつづけてきたのかもしれない。来年から一層 世界は逼迫する。民主党に変わったところで、イギリス詣でをしているようでは政権の先は知れている。日本も塗炭の苦しみをなめることになるだろう。根本は日本にある。友愛ではなく和、調和。日本とは大いなる和の国であった。言霊、文字霊、数霊、色霊  ことたま、もじたま、かずたま、いろたま......あいうえおにもいろはにもひふみ...にも強い力がある、こんな国があろうかと思う。日本という国の底力というか、使命に気がつくひとが増えれば.....。

    遅くとも 気がつかせていただいたのはよかった。本来の目的におぼろにでも気がつけてよかった。





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