遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



......すっかりご無沙汰しています。寒くなりましたが、みなさまお元気でお過ごしですか? UP、UPといいながら 時間がなくて写真をいじるひまがなく 出雲の旅は遠のくばかり....肩身狭く思っております。

   会社のわたしの片腕さんが、事情があって出社不能になり、しばらく活動を差し控えざるを得なくなりました。青森や出雲に行けたのも、ビウエラレッスンに行けたのも、自力整体も 買い掛け売り掛けから電話の応対、安全会議、会議の準備 すべてさらりとこなしてくれた片腕さんがあったればこそでした。

   平日は動けないのでLTTAの模擬授業は参加できなくなりました。トマティスもしばらくいけなかったのですが、きのう今日とトレーニングに行くことができました。...これは娘のおかげです。朗読ワークショップも今週の土曜が発表会ですので、今夜は”フランダースの犬”と”よだかの星”を各2セット4時間半のレッスンです。二週間、テキストも見ないでいたあいだに、若い人たちはほんとうに進化していました。....わたしはただただびっくりして口をあんぐり。。

   堀井先生もご自身でびっくりした...とおっしゃっていました。地の文、台詞にこめられる情報量が非常にゆたかになっていたのです。若い人が成長してゆくのは見ていて楽しいですね。...わたしも老婆心で「あれが見られたらなぁ...」のあれはいったいなにをさしてるの? nnに気をつけて....などなどお節介を焼いております。堀井先生のおっしゃるようにネロの祖父は愛しかない感じで、星々はそれぞれの性格でくっきり台詞を伝えようとつとめましたが、次回はそこに影やらニュアンスをもうすこしこめましょう。よだかの語りは真ん中部分なので、思い切り飛翔しました。若干くせがつくような気がしますが、コレはこれでいい、パーソナルストーリーを語ることで修正できる....でしょう。

   12/14には”おさだおばちゃん”を語ります。今回 カタリカタリの語り基礎講座にきてくださった方に手わたしたいのです。今回の参加者で語るために....カラになることが必要なのだ....と気がつかれたのはひとりだけではありませんでした。そこから わたしも気がつかせていただきました。......目標にしていた即興とカラのウツワになること、そして創作はどうやらつながっているのです。

   テキストから離れられないとカラにはなれないし、創作のものがたりとは自分のうちにあるもの....ウツワそのもの。表現ということばには抵抗があるのですが、それは外から持ってきてつけたすのではなく、むしろ余分なものを落としてゆく....語ることもそのほかの芸能も本質はおそらくギリギリ余分なものを削ってゆく...その血のにじむような努力で磨かれてゆくような気がします。そしてそのときこそ、ひとりではないのです。みなもととわたしたちはつながっている。みなもとに聴き手をいざなうことが、いつか語り手はできる......

   くせも我もいずれ要らないものです。朗読ワークショップに参加した方たちは6月にはそれぞれさまざまなくせを持っていたのですが、次第にとれてすっきりして、本来その方が持っていた本質が耀きはじめました。これが指導というものなのでしょうね。


   さて出雲につなげることをひとつふたつ書いておこうと思います。「白鳥伝説」谷川健一 (絶版)上巻の冒頭にこのように書かれています。


柳田国男は民俗学の「うひ山ぶみ」を山人研究からはじめている。その最初の著作が明治43年に刊行された『遠野物語』である。柳田はその序文の中で雄叫びを発している。

「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。
<中略>
ここには柳田の山人研究の意図があからさまに述べられている。山人を先住民の子孫と規定した柳田は、後来の侵入民族の末裔を「平地人」の名で呼んでいる。山人の敵である平地人の自分が、山人のためにいまだ書かれざる歴史を叙する、というのが柳田の基本姿勢であった.....」

   柳田国男はその後この万感のこめられた一句から次第に離れてゆくのですが、それには表向きの理由やまたウラの事情もからんでいたようです。興味のある方はどうぞお調べになっていただけたら...と思います。

   さて、わたしがただ表向きの古事記..フルコトフミを語るのをあきたらなく思ったのは遠野物語にでてくる瀬織津姫がきっかけでした。古事記や日本書紀だけが真実? それはどうもおかしい ウソっぽい.....柳田国男さんと違い自分が縄文人の末裔と信じて疑わなかったわたしは、無謀にも柳田さんがやめざるを得なかったことを語りでしてみよう...と思ったのです。

   その第二段が名草姫伝説というちいさなものがたりでした。しかしこの先に進むには出雲に行かなくては、三内丸山遺跡も見てみたい....こうして背中を押されるように身内の熱いものに焼かれるようにちいさな旅をかさねたのでした。それにはもうひとつ目的がありました。わたしの内部の封印の解除です。旅から帰り謎は深まるばかりです。けれども出雲が国津神....日本にもとからお在した神の地であったことは確信が持てました。そしてわたしの内部もほんの少しずつ変わりはじめたようです。....このつづきは秋の夜長にたのしみながらすこしずつ書きつづりたいと思います。
  




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