しあわせな時がながれる...余剰でもなく不足でもなくひたひたと岸辺に打ち寄せる波のおとが聞こえるような時間...これが賜物なのだ...自分を無にして語ったあとのごほうびのようなもの。たとえ喝采がなくとも なにものかがわたしのささやかな供物を受け取ってくださったあかし。無論 聞いてくださる方の目に見るたしかにうけとったというそれもふるえるような喜びであるが。
きのうのおはなし会のあと あらためて思ったのは わたしは自分のなかから発することばで語る語り手であるということ ほうすけのように雪女のように優れた作家、話者、再話者のテキストで語るのもいいが、本質はからだと魂の内奥からの血の通ったわたしだけのことばで語る語り手であるということだ。
かたりはじめて 六年 まだまだ端緒についたばかりである。声の練磨、さまざまな声の音を駆使したりすることも 歌も楽器もまだまだである。だが 求めることは はっきりわかった。インプロビゼーション...風のように炎のように思うがままに ことばを生み出し いのちあるものがたりを歴史の深い谷間から また人類の無意識のわだつみの底から呼び起すこと...なんという夢 見果てぬ夢であろう でも その幻影のかけらを見てしまった。 もうひき返せない。
このひとときのやすらぎはながくはつづくまい。またうずく痛みのようなあこがれのような衝動がわたしを捉えるであろう。そうして わたしを遥かに向けて 追い立てるであろう。
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