遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



  女でいることはおもしろい...実におもしろい人生だったと思う。社会的に男と対等に伍してゆくには 犠牲もあろうし努力も必要だが、一歩裏に踏み込んでしまえば 男を支え手玉にとっている女たちは五万といるだろう。正面の舞台で戦うより けっこうそのほうが遣り甲斐があったりして....涼しい顔で男に汗を流させ さまざまな界を動かしている女たちのすがたが目に浮かんだりする。

  女はよりスピリチュアルな存在であると書いたが宿命の女=ファム・ファタール」論はまさに「女性の聖性」の問題であり 聖なる力はシャーマニズムにつながってゆく。女性の天につながる力のみなもとは自然 目に見える自然ではなく見えざる制御できない原初のエナジーとしての自然なのだ。女性があたまで考えたことより勘や第六感を信じるのはそんなところからきているのではないか。

  語り手に女性が多いのも 語り手のなかにあるシャーマン的な要素を考えればうなづけることである。ひととひととのあいだの見えざる壁にしのびいり 解き放つ力 魂の底に封印された呪縛を解く力 神の末裔たる人間の神性を復活せしむる力...それらは語り手のなかに存する不思議の力によるのではないか。

  伝達する能力はひとしくひとにあるのではない。なぜかはわからぬが とりわけて賜物のように天から賦与されているひともいる。また人生の荒波を越えてゆくことで獲得してゆくひともいるように思う。

  しかし この聖性にはひとたび 転じれば魔性となるあやうさをも内在している。慈しみ深い母と残酷な継母は実は母・女の二面性をあらわしている...というより 聖性と魔性を兼ね備えてこその太母(グランドマザー)なのだ。わたしのなかにも育てよう 尽くそうという願いの反面 壊してしまおうとする衝動や憎しみの念さえ存在する。愛ゆえのものであったり あづかり知らぬ深いところから来るうづくようなものであったりするのだが こうした二面性は男のなかにはないのだろうと思う。

  かわいそうに 仕事しごと 目に見えるものでしか自分の人生を計れないのね
....と思う反面 その単純なしくみが清いように思えて、いいなぁとうらやんだりする日もある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




  
  雪女とは 男と女のものがたり 母のものがたり この世と異界を結ぶものがたりである。どこに力点を置くかは 語り手の内的な葛藤、語り手の思いがなにに向っているかによる。ところで 異界の女が人間の男と結ばれ 子どもをもうけ やがて夫と子どもを残し 元の世界に戻ってゆくというシュチエーションは天の羽衣をはじめとして 多く残されている。特筆すべきなのは なにかを隠されたという外部の要因ではなく 雪女が自らの意志で蓑吉のもとにやってきたことなのだ。

  月の夜晒しのおまあ、 少し話は飛ぶがつつじの娘も自ら行動する女のものがたりである。今に通じるものがたりだからこそ 語り手はそこにみずからをのせて語ることができるのだ。片岡先生は以前「女のひとは月の夜晒しが好きですね」と慨嘆した。知らない方のためにあらすじを述べると.... おまあはどこがどうというのでもないが 婿殿のすることなすことすべてが気にいらない。顔を見るのもいやになったおまあは山にいって 占い婆から 月の光をあびて糸を紡ぎ 機を織り 着物を縫って 婿殿に着せ掛けるようおそわる。すると婿殿は....というものがたりである。

  このものがたりに女性がなにを載せて語るか...はさておき 小学校4年のクラスで語ったとき 男の子がほーっとため息をついて「ぼくも その着物つくりたいなぁ」と言ったものである。わたしは子どもの怖い話の本で「白いセーター..マフラー?」という話を読んだ。....月の光の射すバルコニーで少女が白い毛糸でセーターを編んでいる。母親に着せるために....というものがたりだった。月の夜晒しに託し いっとき癒せるものはたしかにあるのだと思う。雪女も含めてすぐれた再話者の仕事である。

  原初の古代母系社会がおわって ながいながい時代 女性は服従する性であった。昔話で行動する女といえば まず浮かぶのが山姥であるが 山姥が産女(うぶめ)ーお産で死んだ女たちの化身であっても そこに感情移入するのはむつかしい。また、黒塚(安達が原の鬼婆)や紅葉伝説のように鬼女が成敗されるが 仏のお慈悲で祀られるようになる...というのはもとあった伝説にあとから教訓がつけ足されたようで自分に投影しづらい。

  こうしてみると おとなに語れる おとなが語る 生きて手にしたものを載せ託せるものがたりがそうはないことに気がつく。歴史のはざまに 伝説のなかに まだ見ぬ語り手のうちにまどろんでいるのだろうか。生きているものがたりを聞きたいとせつに願う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )