遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 




夕べ やっとわかった。
10年かけてやってきたことが…
オーラルヒストリー または パーソナルヒストリー または 時代の証言
の聞き書き あるいは フィールドワーク をしてきたのだ。
それぞれの戦争体験のものがたりを あづかって それらの 身も心も千切れそうな
ものがたりを まとめ 流れにし 太平洋戦史 として語ってきたのだ。

ほとんどが たいせつなひとを喪った痛恨の愛惜のものがたりだった。
そして 人生の晩年に 手放して くださったのだった。

個々の証言 ものがたりは 原稿を読み込んで あたかも本人のごとく
語られる。 再現なのだが それを どこまで パフォーマンスに高めてゆくかに
心血を注いだ。まるで 本人が 語っているようだ といわれる所以である。

アッツ島 パラオ レイテ サイパン 硫黄島 沖縄 ヒロシマ 長崎 シュムシュ島 中国大陸 満州 シベリア 日本中を襲った空襲 平成天皇皇后両陛下の旅は 慰霊であり 怨念をほどく旅でもあった。
わたしたちの太平洋戦史はそのあとを 幼児 学童疎開 学徒勤労動員 学徒動員 少年通信士 桜花 震洋 予科練 満蒙開拓団 青少年義勇軍 シベリア抑留 … 日本人が年代を問わず 戦争という 大渦に 巻き込まれ その坩堝のなか 懸命に 生きたありようを つないでゆく。そして それは 今を生きるひとの生き方といのちにつながる。

きのう この語りを 多感なときに聴きたかった。人生が変わっただろう。聴く前と聴いたあとでは みなさんはちがうひとになっているはず みなさんがうらやましい。と涙をこらえて教頭先生がおっしゃった。過分なお褒めのことばだが うれしかった。


わたしを信頼して 重い口をひらき ときに涙をながし ときに怒り ものがたりを あづけてくださった方々に感謝する 語る場を くださった方々に感謝する 聴いてくださった方々に感謝する。
それぞれのエピソードを懸命に パファーマンスに高めてくれた仲間に感謝する。

みなさん ありがとう。 このさき 続けられなくなったにせよ わたしは本望だ。悔いはない。仲間へのことばに尽くせぬ想いも 今は感謝のみ。
執着 がポーーンと外れてしまい 心は 春の海のように 凪ぎ 身も心も 波の間にまに 揺れている。
つかの間の 休息。



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語り手の特性とは 主に 声質 性格 知識 技量 
そして  語りをどうとらえているか によります。

A身体
声の質 声のレンジの幅(高低だけでなく 共鳴区とか骨を振動させられるかで
  深くもなる)から 役柄が あるていど 決まるのですが
  さまざまな努力によって 幅はひろがります。広いほうがよい。

B感性
1 感情のボルテージの幅 ひろいほどよい

2 繊細さ  繊細なほどよい

3 感覚の再現(視覚 景色が見えるか 触覚 はだざわり 温感冷感など

       臭覚 匂いがつたわるか 聴覚 主人公が聴いている風の音など)



以上が聴き手の心をゆるがせる語りになるかどうかのポイントですが

『そのものがたり その人物になりきる』ことで ほぼ 解決します。

自分を限定しないこと これ わたしの地じゃありません 感情が出せない

恥ずかしい できません などは 問題外です。

C その他

  口跡のうつくしさ 

  安定感 いつ どんなときも 水準以上の語り(聴き手の心を揺さぶる)

  ができる


などもあげられますが わたしは なにより 大事なのは この世への愛 
この国への愛 子どもたちへの愛 自分への信頼 語りのちからへの信頼 
だと 想います。

なんのために語ってるのか その語りが 語り手の秘めた内を語るのです。


語り手には 到達点というものはありません。ここでいいという場所はない。
無限のチャレンジ 自分とのたたかいですね。

孤独といえば孤独ですが 聴くひとはあなたの努力をわかってくれます。

そして神さまも。



あなたは 今 どんな 語り手ですか?


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長年 教える立場 育てる立場に 身をおいて さて きれいさっぱり そこから離れて これ
からひとりで語ってゆくにあたり どうやって 自分の語りを 確立してゆくべきか。
ひとに こうこう ここが と 直接 伝えたり 示唆して考えてもらったり 呼吸法を提案
したり 結果 どのように 成長してゆくか つぶさに 見えるのだが 自分の語りについて「
は わからない。先日の会で 録音したのを聴いてみたところ 語尾がときどき 不鮮明に
なるのが わかった。このごろ 年のせいか 息が続かないのである。

シャンソンを習いはじめたのは 絶好のタイミングだった。ロングブレスもさりながら
語頭と語尾は 明確でなくてはならず 韻を意識して 発声しなくてはならず 語りに あい
通ずること 甚だしい。

器質的な 問題だけではない。ものがたりにのめり込むというか イタコ状態に なりながら
客観的に 観ている 妙 という状態が もっとも望ましいのだが 常に とはいかない。
六月は2回 公演があるので 集中の極まで 行けるように 努力する。

以上は ハード 語り部の身体と魂。そして つぎなるはソフトであるものがたり 六月
野村先生の会がある。 そのとき なにを語るか。昔話を継承する会なのだから 昔話
に正面から向かって とも思うし 自分らしい 創作のものがたりにするべきか。

2月の会で Tさんから のリクエストで キャシー宮田直伝の空と海と大地の話を 参加型で
語ったあと 雰囲気から 場違いだったのでは と 吹っ切れない思いで帰った。
きのうの電話で 一瞬で ものがたりに引き込まれたとみなさんの感想だったそうで
異端は異端なりに居場所は あるものだ と 思った。

昔話を語っても あなたのは芸術的な語り と言われる。 あなたの語り怖いわね とも
言われる。あるいは もしかしたら すごい語り手になる とも おっしゃる。わたしは
芸術など興味はない。血が吹き出るような悲しみと痛み を 絶望の底から 溢れる希望を
語りたい。それと 喜びもね。

みなさんの視線に 理解されない 忌避されてる そのなかに 畏怖みたいな ものも
感じて 場違いな自分というコンプレックスは 語りをはじめた当初からつきまとい
だから わたしはわたしみたいな語り部こそ 本来のものであるし 本の暗記ってちょっと
違うんじゃない? その証明もしたくて 語りたいひとをあつめておしえつたえユニット
を組んだ。仲間がほしかった んだと 思う。みな やさしいひとだった。
根本にあったのは本来の語りをひろめること 真実を伝える たいせつなことをつたえる
本じゃなくて。そして もしや 語りで 世の中を変えられるかという試みで あったのだけれど。

結果は …… 万を超える若い魂に 戦というものはどんなものか生きるとはなにか
たいせつなものはなにか という種子をともにう撒いたことに間違いはない。しかしながら
期待を掛けたあとにつづくはずのひとたちは
語ることで 自らが 癒やされると去ってゆき
あるいは 自分の過去や心を見つめられないと去って行き
残ったひとは本を捨てられず というか 語りのほんとうのちからというものを 信じず
もっとも 期待した最後のひとは lucaさんのように できません と去って 行ったのです。

わたしは 我が道を 征くしかなくなったわけ。 みなさんに寄り添わなくてはならな
かったから 妥協もしたので 今のわたしは エッジが効いてない よくいえば
まぁるくなり わるくいえば なまくらになった。
老いて 足も萎え 独りで 荒野に立ち尽くしてる感 満載なのです。

わたしは なによりたいせつにしてきた ともに歩く仲間を失った。それとも 捨て
たのだろうか 捨てられたのだろうか。

大好きだった 櫻井先生を失った直後 わたしは不思議なちからを得た。見えない
けれど 天地のあいだに充満している 氣 というのか エナジー というのか それを
感知するちから
ひろこちゃんを失ったあとは 猫のハナとつうじるちから
ハナを 失ったあとは ……

うしなうものと授かるものは等価だ。 失わないと手に入らないものは確かにある。
だから なにかが きっと くるのだろう。 希望なのか 受け継いでくれるひとなのか
まだ わからないけれど。 だから 歩いて往けるだろう。

本をひろめる 読書する子をふやすため 語るのではない。趣味で 語るのでは ない。
たいせつなものをつたえようと 聴き手のひとたちと 共に生きたとき 魂が よろこび
躍動する 振るえる絶望が 希望に代わる なにかが よみがえる。
この国に生きる ことの意味を思う。感謝に充たされる。
語りそのものが 本来のちから を 呼び戻す 打ちでの小槌として 与えられたものなの
だから。

シャンソンのレッスンのとき 先生が アベ政権を 嘆いていたので
先生 シャンソンで この国をかえましょう と いったら
先生は 絶句して のち そりゃぁ タンゴに そのちからはあったわよ だから
抑圧された フランスなら まだ 可能性はある でも 日本はダメ 無理よ
という。

うたもかたりも 魂を打つ 剋つ もの。
趣味でうたうことを 悪いとは言わない。だけど 仲間うちで チケット買いあって
褒めあって なんの意味がある? 仲間うちで 語って聴いて拍手して このつぎ あれ
語ろうって 語りにたいして もったいない。もっと できるはず。
わたしは信じる 天から与えられた うた かたり ひびき のちからを
このささやかな ブログの 真実をつたえようとするちからの何千倍も。

だから 昔話にしても 創作にしても 神語りにしても 渾身の 語りを しよう。
ひびき の伝わる ちいさな 場所で ともに 振るえ ともに 泣き よろこび
生きとし 生けるもの すべてのいのちを 言祝ごう。


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定年後 おはなしをはじめられたという男性のサイトに偶然 であいました。

とても好感のもてる 文章でした。

おはなし会の記録があったので のぞいてみました。

精力的に 勉強していらっしゃいますね。

語りの世界はせまいので うかがったことのある会が いくつかあります。

 

https://blog.goo.ne.jp/ogawasaito/c/4a50465b5c8c55ad922889d212e78608

 

克明に  語りのソースを 記録してあるのですが    それを読むと   100%   書籍    つまり  書承  なのに   ほんとうに   びっくり   でした。

語り は   本来 口承文芸   だったのです。聴いて  そのものがたりを   今度は自分が語る    聴いたひとが    また     語る    そうして    語り部の人生を    のせ     ものがたりは   少しずつ    変容しながら    語り継がれてゆく。

現在の   語りといいますと 1、ほとんどが都市の語り手 それも 本の読み聞かせから一歩を踏み出した方が多い。2、そのほかに 地方のことばで 語る方もおられます。そして 3、元アナウンサー あるいは 役者さんで語りをする方もいます。

が ほとんどは 書承の語り手であり 本来の   口承の   語り部ではありません。

おはなし会 (なぜかストーリーテリングという)は 図書館で行うことが多いのです。なぜかというと 石井桃子さんが 戦後 ロスチャイルドの資金で 米国の図書館視察を行い たちあげた 絵本児童書を   ひろめる組織  東京子ども図書館が主体になって   全国の図書館でひろまったからです。いまだに  おはなし会で  おはなしのろうそく という   テキストがつかわれるのも  そういう  わけです。

ここに   わたしは    文化のグローバル化   の 意図を  感じます。しかし  しだいに   書籍からとはいえ    日本のあちこちで ほそぼそと語られ消えなんとしていた  採集され  書籍化され た口承であった昔話を 語ることも    ストーリーテリングの 一環として  行われるようになった  ことは    よかったと思います。わたしが語りをはじめた頃は   日本のたいせつな文化の継承である  昔話を    平気でストーリーテリングには適しません  と   広言してはばからない    東京子ども図書館派遣の指導者もおりました。

それは それとして  わたしが   このブログに   原初の語り部    と 謳っておりますのは   書籍の文字から   語ることだけが    語りじゃない    という意思表示であり  自らを 振るい立たせる    旗    でもあるのです。

わたしの  語りのソースは   ほとんどが    口承と   創作です。   語り部となって   間もない頃の   雪女   や  芦刈などは    大切な財産として  今も    語っておりますが……

わたしの口承のソースは主にふたつです。ひとつは   先の戦争体験者から  直接会って 通って   おあずかりしたものがたり   それから   おはなし会で 聴いたものがたり。

二つ目は創作   三種類あって   先日語った   弐の姫ものがたり  のように   何かにインスパイヤされ   自分の中から『生まれたものがたり』菜の花なっちゃんのように   取材して   『つくったものがたり』    Webから切れ端を見つけて つくることもあります。

そして    最後に   『降ってくるものがたり』  いにしえの 神のものがたり   縄文のものがたりは    みな   そうですね。

 

わたしは   語りというもの渾身のちからで伝え   16年間   ともに語ってきた 仲間たちに   絶望して  もう   やめようと  思ったのですが    少なくとも   本をまるごと 飲み込むように   語る ひとたちではなかった。自分のことばで  語る    つまり   再話し   自分の人生を重ねて   語るひとたちであるし   少なくとも ひとり  何話か   自分のものがたりを持ってさえいるのだということに    あらためて   衝撃も受けたのでした。

語りは  ひびき    音声 おんじょうの ひびきにより   場を  ひとつに  する  

呪術的なと   申しましょうか    昔ながらの   マツリ   なのだと 思います。

 



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 テレビで新天皇のお顔を拝しましたら 涙がこみあげてきました。まことに霊威というものはあるのですね。新天皇は 水 の研究をなさっておいでです。そして関心のある四つのことの筆頭に 水 をあげていらっしゃいます。このブログで書き続けてまいりましたように 「水」の時代なのです。 ビル・ゲイツも言っていましたね。これからは 水 だ。水はいのちそのもの。

 日本の 水 がたいへんなことになっています。この兆しと申しますが 神々の警告は3.11以来つづいています。2011年9月には 厳島神社 江の島 天河 .... 水神 瀬織津姫がまします神社が洪水の被害にあい おなじく 那智大社(本来の祭神は瀬織津姫)では死者も出ました。その後も度重なる水害が起きました。

 現実面では中国資本等の水源地買いあさり 法律を変えたのは小泉元首相 水道事業への外国資本の参入 これは現安倍政権.... により 日本の水は風前のともしび。 そして 地下水脈がどうなっているのか わたしはとても気になるのです。フクシマは収束せず 水の汚染は深く広くつづいていると思われ 地下水脈はつながっているので..... (中央構造線の深くにも太い地下水脈が流れています。)

 禊とは 本来 水の霊威をわが身につけるものだそうです。洗礼も古来はそうだったのでしょうね。水問題だけでなく 日本の状況はひっ迫しています。少子化 高齢化 産業のゆきづまり 自衛隊の米軍下請け化  あたらしい天皇が 今 立たれる ということには底知れぬ深い意味があるのでしょう。

 

 さて ひさかたぶりにブログを読み返してみれば 答えはわかっているのに 逡巡ばかり。ひとにひっぱられるばかり。いつまで情に流されてもしかたがない。4月の終わり 三つ重なった心折れること わたしはほんとうに自分の語りの道にいこうと決意したところでした。このとき これが起きるのも意味があることなのでしょう。それでも.....未練があった。みなでひとつのものをつくりあげてゆくことに。年間20回率いてきた公演に。

 あたらしい時代の夜明けとともに 今思うのです。わたしの語りがまことに天とつながるなにかを持つなら 語る場所はあろう。なければそれでいいではないか。草を抜き 畑を耕し生きてゆこう。埋没神をかたる。日本という国を語る。水を語る。愛と死 を 志 を 尽きない想いをものがたりに託して語る。 

 あかるくなってきました。礼和 うつくしい調和にむかうまえに 波風は立ちましょうが だいじょうぶ きっと 乗り越えられる この国は。たいへんな使命を秘めていらっしゃる新天皇 皇后両陛下お気をつけていかせられませ。この国がやすらかであるよう 本来のすがたを取り戻すよう 国たみのひとりひとりがきっと心して日々をつらねてまいります。



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講習会のちらし見て びっくりというか 動顛境地でございます。

福沢諭吉は赤ん坊のとき 絵本見て育ったのか アテルイは 和宮は 名将樋口季一郎は 野口英世は 樋口一葉は....

赤ん坊のとき たいせつなのは 母語 母音なんですよ。 だから...むかぁし むかぁし ...とか ほぉら たかぁい たかぁい おはな きれぇねぇ .....それが文化のもとなのね。絵本みなきゃ 伝えられないのか おはなしひとつできないのか....

本がそんなにえらいのか 本さえ与えとけばよくそだつ って?

ばっかじゃないの

本がわるいとはいいません。わたしも子供時代 まいにちまいにち 3キロ離れた図書館に通いました。1日 5冊 毎日 読んでたこともあります。でも 本を読めばしあわせになるわけじゃない。ひとの心がわかるひとになるわけじゃない。行動を起こせるひとになるわけでもない。

愛されること 自然を感じること 風やおひさまのぬくもり 空のあかるさくらさ 水のぬるみや土の感触 生きもの 季節 そして音 せせらぎ さえずり 木のそよぎを感じること.... ちゃんとしたたべものをいっしょに食べること 

おさないうち たいせつなことは たくさんある。

この講習会を主催するのが 仲間だったんですね。衝撃でした。絵本のなかにはいいものもある。でも どうかなぁって 本もたくさんある。商売ですもの。絵本がひろまったのは戦後ですね。西洋化均質化 ワンワールド化の側面もありますね。

本の講習会のまえにやることはあるのではないでしょうか? あぁだから いつまでたっても本からしか語れないのだ。 親がこどもに絵本でしか 文化を伝えられないとしたら なんと貧しい国なんだろう。そして 語りという最古の文化のひとつを担いながら 絵本でしか語れない 本でしか語れない なんと情けないのだろう。わたしはいったいなにを教えてきたのだろう この15年間はなんの意味があったのだろう。

重い春でした。

 



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宮城から帰り いまだ 呆然としています。

ガレキこそ 片付けられていましたが 海へ向かって 荒野がつづく 風景でした。

そんななか 駅の前に ひとびとが寄り添う 真新しいホールが つくられ 復興住宅やいちごの水耕栽培のビニールハウスがありました。

大震災をのりこえ 民話を語り継ぐ ..は そのひだまりホールで催され 体験者の語りや中浜小学校物語を聴きました。

 

中浜小の震災遺構を見ました。中浜小は児童 保護者 先生 職員 90名が大津波を生き延びた小学校です。

そこには 校長先生の子どもたちへの愛と的確な判断がありました。

また この会は 語りの本質について 声のちからについて 深く考えるきっかけとなり 語り部としてのわたしの再生につながりました。

 

すこしずつ 書いてゆきたいと思います。

 



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頭痛がひどく 欠席しようと思ったのですが HIKOさんの「lucaさんはきっとゆくよ」ということばにみちびかれたのか もしかしてコントロールされたのか とちぎに向かいました。昨夜はうずま川に浮かべた屋形船のうえで地元の怪談を聴きました。大水で水路は満々と水を湛え 危険なので 係留したままでしたが ときおり ゆらりやらりと舟はゆれ 怖かったです。咳をこらえるのがたいへんでした。

一泊し 本日は 栃木の語りの会 怪に 行って聴いて語りました。蔵の街 歴史の街 栃木 油伝 という古い商家という場  30名くらいのちょうどよい人数のお客さま 巨大な骸骨の屏風の前での語りでした。 いいお客さま....贅沢な語りの会でした。これは間中さんの長年にわたる語りへの尽きざる思いと修練と日ごろの暮らしの賜物と深く感じました

いわゆる演劇的な語り 巧い語りが多かった。現代の都市語りの傾向のようです。語り手は 語った!! という実感はあると思う。でも....どうも ちがう なにか ちがう 自分がめざしているものではないという気がしました。


しかしながら 責任も感じました。語りのスキルのために 演劇でつかう エクササイズをつかった という点において わたしは先駆であったからです。わたしは練習をほとんどしません....あるかまま ことばがうまれいずるまま語ります。けれども それを教えるということが13年前にはできなかった。ゆえに演劇のレッスンでつかう 感覚の再現で 文字をからだで翻訳する方法でつたえようとしました。

でも それは実は 近いようで回り道でした。

リアル ということと 演劇的であるとは違うと思います。そして そのものがたりがなにをめざしているか どこで 魂をゆさぶるのか いったい なにをギフトとするのか それがなければ 単なるものがたり 単なる怪談です。

わたしは 語り手さんたちに 訊いていました。
みなさんは 語るものがたりの怪・あやかし・不思議を信じているのですか それとも それは ものがたりの世界 なのですか?
みなさん ものがたりと思って語っている とのことでした。 わたしは ものがたりを語るとき ほんとうのことと信じて語っているのです。だから 自分で信じられないものがたり 腑に落ちないものがたりは 語れないし 語りません。

自分が信じていないことを語れる って すごいなぁ...と思います。 でも そうしたら つくりものになりませんか?

わたしは白状しなくてはなりません。育てるためとはいえ 演劇のある部分をとりいれたことによって わたしの語りも変質しました。わたしは 今日 ある好きな語り手さんに 一旦 そちらへ踏み出してしまったら もう戻れないのよ とつまらぬことを言いました。でも それは 自分へのことば 自分への戒めでした。

みなさんの語りを聴きながら わたしのなかには葛藤がありました。わたしはどちらへいこう.....

より素朴に シンプルなところまで戻れるか.... スキルをきわめて 聞かせる語り手になるのか

今日 わたしは 鏡が池を語りました。テキストはありません。一度聴いたものがたりを自分のなかで組み立てたのです。快心の...ではなかったけれど 手は震えていた .... わたしは怪談を語りたいのではなかった じじとばばの情愛を語りたかった 生きることの切なさを ひとのやさしさを語りたかった。 最後のシーン お坊さんが かけていた数珠をなげるところで わたしはかけていた数珠のような中国の紅いネックレスをつかんだ すると ほんとうに 数珠はパラパラとはじけてしまったのでした。素朴でもなければ スキルでもなく 中途半端ではありましたが このものがたりは 聴いていただくことで もっともっとものがたりになってゆくでしょう。

わたしは ゆだねる道をえらびます ものがたりに 見えざるものに 我がこころ 我が身体をあけわたせる語り部をめざします。

このごろ ものがたりが 降ってこないのは わたし自身のなかの曖昧さのせいかもしれない。わたしは 身に着けてきたスキルを脱ぎ捨てたい 抑揚 強弱 緩急 間 プロミネンス ウラテキスト 不要なもろもろを .....

求めるのは達成感ではない喝采ではない ともにゆるされ在ることの安寧と至福。

けれども 栃木の 怪 あやかし に参加させていただいて ほんとうによかったです。みなさん 素敵な方たちでした。そして気づかせていただいた。娘からの贈り物のイヤリング 片方落としてしまったけれど 母の中国みやげの木彫り朱玉のネックレスはばらけてしまったけれど。



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⇒ こちら

 大本教の出口日出麿氏は、「宗教本来の目的は、現界的にいえば、地上天国建設にある。すなわち、すべての人類がたがいに愛し愛されながら神を賛美し、その業を楽しみ、闘争や蔑視反目のない真に住み心地の良い世界を造ることにある」。そして、「信仰とは、宗教の教義をそのまま信じて実行することではない。信仰とは、神と私が対話できる状態に復帰することである。その状態ができない人間が、復帰の過程として一時的にその方法を学び実践するのが宗教なのである。神と対話することが難しい原因を知り、元の姿に戻るために、その方法の手段として学び実行するのが宗教の教理であり、宗教的修行である」と語られている。
 ここに宗教の存在目的と信仰の目的が簡潔に述べられている。宗教は、神と対話できる状態に人間が復帰するための方法を学び訓練するためのもので、その方法を通して神と対話できる状態に復帰してこの地上に争いのない地上天国を造ることが究極の目的である。

以上

 

 



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今月の新月はあたらしいことをはじめると いつにもまして よい果をむすぶとか....

からだをなおすため 中断していた 関節療法の稽古が再開されたのが ちょうど新月でした。先生を台に施術していたら”いいじゃないか”とお褒めのことばをいただきました。半年近い空白期間があったのによくなったのはひたすら受けることで 体が記憶したのでしょうか....ともかく覚えのわるい弟子でした。この年になってあたらしい道を模索したのは 語りによって ひとを救うことに限界を感じたからです。また わたし自身 この関節療法でからだもですが むしろ精神的におおきく変われたからでした。

.... ところが 5月半ば 中学校の校長先生からあたらしいオファーをいただきました。.... それは14歳の子どもたちについて... 自己承認が低い子どもが多いので(その子たちに) 子どもたちが自分を認められ 志を持つように 偉人のものがたりの語りをきっかけにして図ってくれという たいへん高度なミッションでした。ありのままの自分を認めることから 真の勉強がはじまる... そのとおりだと思いますし 語り部冥利に尽きるお話です。なぜなら 語りとは 魂を叩き (魂振り) 再生させる カツという語源を持つものだからです。

一度 あきらめたことについて あきらめてはならないという示しをいただいたことに対して 畏れと喜びを感じ それをどのようにつたえるのか 模索しています。

 ※承認欲求はおおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。

他者承認を充たす条件はなんでしょうか? 学業 スポーツ の成績 才能 容姿 家がら....など目に見える基準です。一方 自己承認についてはどうでしょう。目に見える条件を充たしている 一見そのように見えるひとであってさえ 存外 自己承認のできているひとは少ない....実際 ほとんどいないのではないか.....と思うのです。

わたしも ありのままの自分をみとめられず 長いこと 彷徨っていました。わたしは 子どもの頃 母に認められたかったようです。現実の世界で晩年の母に認められはしましたが それは子どもの頃の”母”ではなかった。わたしは”母”の承認をもとめつづけ 擬似母として櫻井先生や 野村先生を慕ったのではなかったでしょうか? そのことに気がついたのは ごくごく最近のことでした。

今 わたしは 母の承認・他者の承認を必要としてはいません。わたし自身が教えているひとたちの”母”であり 実の母の庇護者”母”であることもさりながら わたしが生きてこられたのはわたし自身のちからではない と気がつかせていただいたからだと思います。

考えず ただ 手が 置かれたとおりに歩けばいい それはなんとありがたいことでしょう。 自分を磨くことは必要ですが かざることはいらない ありのままの自分でいればいい。わたしはラクに呼吸している自分におどろき 人生の極意が こんな簡単なことだったことに驚いているのですが これを こどもたちに伝えることはむつかしいですね。

生きることはうつくしい... 名も無い偉人 地上の星 の 生き方 目に見えない価値 をつたえることで 子どもたちの胸に火が灯せたらと願っています。残りの人生 あとからくるひとたちがすこしでも生きやすくなるよう 手助けをさせていただけたらと願います。

 



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3月25日 ユニットを率いての最後の自主公演 語り劇・風船爆弾。

それは 語りに演劇と音楽と映像を取り込んだものだった。

風船爆弾は太平洋戦争末期の日本の最終秘密兵器である。昭和19年1月 学徒勤労動員法が ...たしか 閣議決定され 4月から15.6歳の女学生 中学生は 軍需工場の労働や援農に駆り出された。根こそぎ動員....五体満足で徴兵をうまく逃げおおせた成年の男は ....白州次郎みたいな悪いヤツしかいなかった。日本という国は 坂本龍馬とか売国奴ばかりが誉めそやされる構造になっている。NHKの大河ドラマの近代ものの主人公にロクなのはいないことを見てもわかる。....脱線した。つまり極端な人手不足で 日本の軍需産業を荷っていたのは実に少年少女だった。少女たちに二交代制の12時間労働をさせ 深夜眠らせないために覚せい剤を飲ませたのは 九州 小倉造兵廠の工場だった。

陸軍第九研究所 武田少佐を狂言まわしにして 映像で太平洋戦争を駆け抜け 風船爆弾を考えた少年 つくった学徒勤労動員の少女たちと 9300キロの海原を偏西風を越え アメリカ・オレゴン州に届いた風船爆弾で弟を失った 少女エリザベスの 戦中と戦後を描いた。

2/25 脚本を書き始め 17稿が決定稿。突貫で 10名の出演者全員があつまったのはたった一日だったが 3/25 本番は奇跡的にすばらしいできで 客席から漏れる声....なんだろうと思ったら 集団のすすり泣きの声だった。

きのう Aさんがスチール写真を送ってくださり 見ると それぞれが 没我というか なりきっている そういう目をしていた。なにもかも忘れる 没我となって ものがたりに生きる .... 役者をやったことがある方はおわかりだろうが これを知ってしまうと 板から離れられなくなる。演劇で起きるいわゆる入神の状態と 語りの降ってくる状態と どう違うだろう..... おなじ気もするが 演劇の場合 客席は見えないことが多い。語りの場合は 明晰にひとりひとりがはっきりくっきり見える。自分は 語っている自分の斜め上方後方から見ている感じ....

今回 わたしは ナレーションと ラストシーンの老パッチ夫人で台詞もすくなかったし 演出だから 客観的に見ていられた。 が これはある意味つまらない。 演出をしながら ふと 思うことがあった。

語りのちからを信じていたはずのわたしは なぜ 音響を駆使し 映像のちからを借り 芝居とも語りともつかないものをやろうとしているのだろう.... 実験....という意味もあったし 映像がなければ 風船爆弾を知らないひとにつたえようもないと手がけたのだけれど これはメンバーにどのような影響を与えるだろう。お客さまは 1/3が男性だった。 男性の鑑賞に堪えられたことはよかったし 身辺整理がついたら 男性に向けた歴史の真実シリーズをつづけてゆこうと思う。

だが 語り一本 何の道具もなく 身一つで 声のひびきだけで ものがたりをつたえる ときに こまかいこまかい光の粒子が舞い落ちる それこそが語りの神髄 ひとりでもあるいてゆこう。

 

 



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朝 小学校で 雪女を語った。

その後 語り継ぐ戦争と平和 Aプロのリハ 森 圭一郎のライブをはさんで 夜Bプロのリハ 

Aプロは50代60代の円熟の語り部 Bプロは30代40代の若手の語り部

内容はAプロが 

1学徒勤労動員 春日部女学校の講堂が軍需工場となり14.5の女学生が軍服 テント 背嚢をつくった。 現在の浦高 当時 浦中の生徒で予科練志望のおにいさんが学徒勤労動員で大宮の飛行機工場に行く途中 満員電車で押され肋骨が折れ それがもとで亡くなったという話。

2弟が親に内緒で判子を押し予科練に入隊 甲飛第12期に入隊し 一年の訓練機関ののち 昭和20年4月6日 陸海軍合同の菊水一号作戦で 陸軍特攻隼二機とともに 敵の攻撃をかいくぐり 駆逐艦ニューコムに激突 沈没寸前まで追い詰めた話

3丙種合格だったのに終戦間際応召し シムス島でソ連軍に連行され 過酷な強制労働につき ソ連兵にあやうく殺されそうになるが 胸にしのばせていた母の写真に救われる話

4大阪大空襲のとき 母のひとことで防空壕を飛び出し 木レンガは炎を吹き上げ 焼夷弾が矢のように降る中を逃げ惑い助かるが 防空壕の中をみてしまったことから PTSDとなり 戦後65年間悪夢にうなされる。その悪夢からいかにして脱したかというものがたり。

2.3.4 ともに 生と死のあいだに 思いもよらぬ不思議なできごとがからんでいる。

Bプロは 1.2は同様

3 学徒勤労動員中 ヒロシマのある女教師の死

4 尋常小学校高等科の先生から 満蒙開拓青少年義勇軍にいくことを強くすすめられ 渡った満州。昭和20年8月 ソ連友好条約を破棄して 日本の背後を襲う。70万の関東軍は武装解除され  民間人ともども ダモイ(帰国)ということばにのせられ 強制労働につかされる。毎日 人が死に なにも考えられなくなっていたある日 ひとりのロシア人マダムに出会ったことが運命を変えた。

ひとことでいうならAプロ Bプロもひとが戦争を生き抜くために なにが必要かというものがたりである。

森 圭一郎さん ライブは今日で三回目だが 声が確実にかわっていた。このひとはいい歌手になる。



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1年ぶりにとある会におじゃましました。 トマト 山田清一郎さんの戦争孤児のものがたりを語りました。

その帰り 珈琲館で Aさんが 

わたしもういやなのよ コンビを組んでいるYさんて 「語っている自分が好き」 のひとなのよ。わたしは「ねぇ こんな素敵なおはなしがあるの 聴いて 聴いて」 なんだけど。

するとBさんが あら いいじゃない わたしは自分のためにだけ語ってる。

 

さてここで   なぜ 語るか 

1 語る自分が好きだから

2 素敵なお話を聞いてほしい

3 自分のために

そして ちかごろ メンバーが書いてきたこと

4 わたしの語りに耳を傾けてくるひとに語りたい

まとめてみますと

自分に向かう 

ものがたりに向かう

聴き手に向かう

 

たしかに 語りというものは己から出て 己に帰る.... 聴き手がいないと成立しない.... ものがたりがないと成立しない のです。

 

けれども わたしは 聴き手だけに語っていない気がします。見えないモノに向かって 語っている。

戦争と平和の語りであれば 無残な死を遂げた方に向かって 昔話であれば その土地の山や川の精霊に向かって 幾世代の亡くなった方々に向かって  縄文の語りであれば 名を奪われた神々 土地を追われ 駆逐されたひとびとに向かって....

ものがたりでなく ことばでなく ひびき .... 自分の体と魂を弦にした ひびき でもって つたえようとする

愛 感謝 祈り ....

いつも できるわけではないけれど。

そのために 自分を磨きたい。

 

 



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9月15日 十五夜

多くの語り手は それと知らず 自分を癒すために語っています。 演劇をめざすひともそうですが 自覚されないトラウマを持つひとは多い。それが認められたい欲求とかさなり たまさか 自我の溶解という至福を 知ってしまうと もはや 乞食と役者と語り手は三日やったらやめられない....。

けれども 認められたい欲求(一概にいけないわけではない) 幼時のトラウマを抱えたままだと 偏頗な語りになる。特定のものがたりを好み タブー(たとえば性的なもの)が生まれ ものがたりのうつわになれない。なぜなら 知らず知らず自分が癒される語りを繰り返すからです。

つまり 聴き手の心を癒し 再生させ 輝かしい そのひと本来の人生に押し出すような語りはできないのです。

語り手としてはまだ卵ともいえる これらの方々には 語り手としての軸がない。なぜ語るか 根源的な問いがない .... 表向きは子どもたちのため...とか でも根本は 語ると自分がしあわせ.... 語る自分が好き .... ですから えらぶものがたりは 語りやすいもの うけやすいもの やった感があるもの .... 小奇麗な見てくれのよいものになりがちです。

軸というのは生き方そのもの なぜ生きているのかわからない... では糸の切れた凧。天地のあいだに立つ 大地をふみしめ 立つ。生かされていることに 天地の恵みに感謝し 喜び 悲しみをひきうけ からだと魂を 弦にしてものがたりを響きにし 差し出すのです。

軸がないひとは 何度おしえても からだや魂で受け止められない。なんどもなんどもそのたびにつたえる もはやその時間はない。

聴き手のこころに響く語りをするのは簡単なことです。 自分と向き合い みずからの傷をみとめ 癒すこと。からだを調律し 共鳴 共振の楽器とすること。こころとからだをあらため 清め 再生すること。語りのちから を 信じ ひとを信じること 自分を信じること。愛すること。

 



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81歳編集者の語る子どものときの戦争体験 のとき 童話屋 田中さんは 冊子日本国憲法を発刊したときのエピソードを淡々と話された。前文から読んでみて その悪文に驚くとともに とても感動した。子どもたちがお金をにぎりしめて 買いにくるように 100円にしようとしたら反対され 300円になった。....あるとき奥様のナナさんが美智子皇后にお会いになり 美智子皇后が 田中さんに 童話屋さんですね とお声をかけられたのだそうだ。 そして....日本国憲法を出版してくださってありがとうございます とおっしゃったのだそうだ。

                            めでたくベストセラー第一位

      

                                          自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合 (著)

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以前にUPしたが 再度 天皇陛下 美智子皇后 皇太子殿下 の憲法についてのご発言を載せておきます。

平成25年  天皇陛下

80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。

戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。

 平成25年  美智子皇后

 5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。…….. 中略

この1年も多くの親しい方たちが亡くなりました。阪神淡路大震災の時の日本看護協会会長・見藤隆子さん,暮しの手帖を創刊された大橋鎮子さん,日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん,映像の世界で大きな貢献をされた高野悦子さん等,私の少し前を歩いておられた方々を失い,改めてその御生涯と,生き抜かれた時代を思っています。

 

平成27年

先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ,多くの方々が苦しい,また,大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。広島や長崎での原爆投下,東京を始め各都市での爆撃,沖縄における地上戦などで多くの方々が亡くなりました。亡くなられた方々のことを決して忘れず,多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み,戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め,平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。そしてより良い日本をつくる努力を続け,それを次の世代に引き継いでいくことが重要であると感じています。

両陛下には,これまで様々な機会に,戦争によって亡くなられた人々を慰霊し,平和を祈念されており,今年は,戦後70年に当たり,4月にパラオ国をご訪問になります。戦後60年にはサイパン島をご訪問になりましたが,お心を込めて慰霊されるお姿に心を打たれました。また,両陛下には,今年戦後70年を迎えることから,昨年には広島,長崎,沖縄で戦没者を慰霊なさいました。私は,子供の頃から,沖縄慰霊の日,広島や長崎への原爆投下の日,そして,終戦記念日には両陛下とご一緒に黙祷(とう)をしており,その折に,原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました。また,毎年,沖縄の豆記者や本土から沖縄に派遣される豆記者の人たちと会う際に,沖縄の文化と共に,沖縄での地上戦の激しさについても伺ったことを記憶しています。

私自身もこれまで広島,長崎,沖縄を訪れ,多くの方々の苦難を心に刻んでまいりました。また,平成19年にモンゴルを訪問した際に,モンゴルで抑留中に亡くなられた方々の慰霊碑にお参りをし,シベリア抑留の辛苦に思いをはせました。

私自身,戦後生まれであり,戦争を体験しておりませんが,戦争の記憶が薄れようとしている今日,謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは,愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし,私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。

我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が,日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています。

 

自民党の改正草案を三言でいうなら
1.国民主権いらないよね  2.戦争放棄はやめましょう  3.基本的人権へらしましょう

ってことです。

 



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