遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。

 



 

おはなし会に行ったあとは  なぜだか   つらつら  考えるのです。

ネットで検索したら   語り手さん?  朗読者さん?は みなさん 劇団所属だったり   現役のナレーターさん。30分の朗読   場を保たせられるのも道理です。8月から準備されていた  ....   1週間で立ち上げる我が .....

報道ステーションは   ニュース番組の中で 好きなほうです。いつもありがとうございます。

この 泉さんの  山本周五郎の  ものがたりはさながら   モノクロの映画を見るようでした。あの細かい雨のようなノイズが入った昭和の日本映画。

それは確固たる ひとつの世界で  泉さんの声   風で木の枝が擦れるような 懐かしい声も 好き。

なんだけど  自分的に どうも居心地がわるい、肯んじ難い。

なぜなんだ?

 

文学は不条理なんだもの。  

 わたしは 長らく   中毒といってもいいくらい  本が好きの 活字中毒であったのだが 語りに出会ってから しだいに  読むのは 歴史書  ドキュメンタリばかり  文学は読まなくなった。

なぜなんだ?

文学って  究極   ウソなんだもの。

文学とは   作者の人生が投影された  世界観であって   必ずしも  真実ではない。怒り 悲しみ  忿怒    喪失感  トラウマといった ノイズが 絡まっている。いや 珠玉の名作はありますよ  でも エピソードの重ねや説明が 長いのよ。とぐろのように  巻き巻きして やっと  辿り着く なにがしかの 真実。わたしは  かっちゃんの夜這いやら  犬の毒殺失敗やら  正直   あまり  聴きたくない。

そのような ことは   実際   今の世に  ニュースにも周辺にも   辟易するくらいあるのだもの。女性は実に簡単に連れ去られ.....犬は毎日のように 合法的に 殺されている。そして  わたしは それをどうすることもできない。ペットショップの前を目を瞑って 足早に去るくらいしか。ごめんね ごめんね  と呟きながら。

 

語りのものがたり は   シンボライズされている。文字は極限まで  削られ 饒舌ではなく 一音 一音が いのちだ。そこで語られるのも   文学とおなじ  生と死   そして  愛なのだが   一個の例えば作者の朗読者のそれではなく  聴き手ひとりひとりの  いや あまねくすべてのひとのものがたりなのだ。

読み聞かせ   朗読   ひとり芝居   ラップ  伝統的な噺   講談      声の文化 は 数あれどなにを届けようとするのか   それは   本ではないはず  文字ではないはず   それは  生きるちからになり得るもの   自分のではなくてね。少なくとも  それが  根底になければ  聞き手の心に火はともらない。

 

あぁ   いくらか   さっぱりした。k

 



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語りの会と勝手に思い込んでいましたが  観る朗読だっだったんですね。おはなし会のちらしをいただき 逗子まで きました。タイトルに アンジュールとあったので  テキストのない  絵だけのおはなしを  どう語るのか 興味もあったのです。

他のタイトルは 向田さんの犬小屋  太宰の畜犬譚  山本周五郎のプールのある家 いずれも 一筋縄ではいかない物語です。

わたしは つくりこんだ 演劇的語り  が苦手なので  最後まで聴くことができるかな という懸念もありましたが  全体として いい会でした。行ってよかった。

アンジュールは  画像を プロジェクターで 映しながら ピアノを演奏する  かたちでした。この絵本は お読みになった方はおわかりと思いますが  犬好きであってもなくても胸にくる…  わたしは数年に一度しかページを開けません。ピアノの響きは  真っ白なページに漆黒の線で描かれた苛烈な 犬の孤独  寂しさを  やはらげ  抒情 そして淡い色彩さえも醸しているようでした。中盤 音は 最小になさった方が ものがたりがより鮮明になったように思います。削ることはむつかしいですが。

 

 

はじめの二話は    テキストを持ちながら  動作を入れての朗読  といいますか  ひとり芝居。口跡はクリアー で 声は ぐんぐん迫ってくる。しかし押すだけでなく 引きもあったほうがいい。聴き手が ものがたりを生きるには 満ち引きが必要。いい語りのとき  上から会場を観ると ステージと客席のあいだに 波のように満ち引きがみえることがある。呼吸のように。

最後の プールのある家は 語りで  声をはりあげるのでなく 自然な沁み入るようなお声で  聴き入ってしまったのですが   突然  乱暴とも言えるような 女給の会話が入って わたしはびっくりして 文字通り飛び上がり ものがたりの世界から いっ時 はじき出された感がありました。語り手が 会話部分もなさるか  別の方がなさるにしても  トーンを落とされたらよかったと思います。とても切ないものがたりでしたが  ラストシーン 曇り空に一点 青空が  ひろがるような 恩寵を感じました。今も 声の響きが残っている。

犬をテーマにした四話とも ものがたりの構成が似通っているのが気になったといえば気になりました。人間は善意ばかりでできているわけじゃないとしても もっと別の切り口 視点のお話がひとつでも 加わっていたら …  と余計なことも考えましたが  それは別にして  力のこもった会でした。三人の語り手さんのキビキビと気持ちのいい所作は からだを鍛えていらっしゃることを感じさせ   我が身を振り返り  反省しきりです。

身体を動かすことで 声の響きに臨場感は 増しますが  自分はものがたりを 生きることで 心  感覚の振動を  こえのひびきに してゆくことを目指します。 テキストではなく 降るものがたりを語ることを語り部として目指します。語りは芝居とも朗読とも 違う。けれども さまざまな語り手が   境界を越えようと努力することに拍手を送り  このもっとも古い芸能である 語りが今を生きる人の応援となるように願っています。素敵な会でした。 聴かせていただき  ありがとう。

 

会場からは あたたかい拍手と 喝采

美味しいお店

 

牡蠣尽くし   生牡蠣   焼き牡蠣   牡蠣フライを叶夢かむでいただき

ホルトの木で カフェオレを

サンルイの森のケーキを お土産に買いました。

 



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四日連続のハードな公演   お伽芝居鉢かつぎ姫から   戦争と平和   志プロジェクト   幼稚園オリジナルプリキュアまで  クレッシェンドで盛り上がり  最後は  年少さんたちが  うれしくて  押し寄せてきて   わたしが転んでしまう  ハプニングまであって    …    きのう家に戻ると 二通の手紙。1通は30人のオフィーリアのお芝居のお知らせ   ブログの読者で女優になった方からの、もう1通はおはなし夢夢の勉強会。前日に届いたのだけど ちょうどオフだし  行ったほうがいいよ という確信があった。

それで   今日   王子まで   行ったのだ。おはなし会に出向くのは何年ぶり?   王子駅の改札で 間違えて中央改札から出てしまい   長くて遠い歩道橋を登り降り…   あ ディシャヴ  いいえ  同じことが昔あった…   北トピアでの 語り手たちの会の 吟遊詩人ジョングルールhttp://blog.livedoor.jp/rausch5145pfeife/archives/2010-08.htmlの公演   というか 勉強会。あのとき   櫻井先生は  語りのルーツのひとつ 東西の  弾き語りのカタチを会員に伝えようとなさっていた。

ジョングルール は その前に先生に誘われ音や金時に聴きに行っていたが  もう一方の和のルーツである薩摩琵琶の鶴城さんはわたしの付き合いの方が古い。わたしは鶴城さんから語りへの心向きの根本を学んだのだ。  聴き手の内なる神性に向かって語るというもっとも大切なことを。

そういえば 音や金時に 尾松さん  君川さんと  わたし 三人が 先生に呼ばれたこともあった。…そんなことが走馬灯のように  過ぎったとき    ふと喫茶ミニヨンの櫻の会で  キャシー宮田直伝の ネイティブアメリカンの創世神話 * 空と海と大地の話 を わたしが語ろうとするのを 先生が止めた理由が閃いたのだった。人間の頭っておもしろいつくりになっている。

それも今朝  津田さんからの電話で  津田さんのために   2月  ききみみの会で語る約束をしたのだった。先生は 空と海と大地の話を   空のおひめさま というタイトルで 再話なさった。わたしは幾度か  聴かせていただいたけれど   それは キャシーの原初的なものがたりとは  かなり違う   洗練されたというか都会的なものがたりで そのものがたりが好きという津田さんに 参考になればと思ったのだが 余計なお節介かも知れない。

わたしがキャシーに初めて会ったのはL T T A 

http://www.ltta.de/    の講座    キャシーは講師のひとりで  ネイティブの血を引いていて  元女優で ツナガル  ひとだった。LT TA  とは   多民族国家 カナダで  言語だけでなくアートを通して子どもたちに 基本の教科を教えるという教育システム。たとえば  音楽を通して地理を ストーリーテリングを通して数学を 。これから移民国家となるであろう日本にも有用と思う。L T T Aはともかくとして  わたしは 語り部としてキャシーからとても多くの贈り物を受け取ったと感謝している。英語で語っているのに 映像が見え 五官で感じる。それは キャシーが文字で伝えようとしていなかった証である。

さて 前置きがずいぶん長くなったが   今日は  尾松さんのお弟子さんたちの勉強会で   なんと  6時間もの長い間   其処  にいたのである。これは わたしにとっては 実に画期的なことだった。その場の 語りが 素晴らしかったの一言に尽きる。どういうことかというと  作りものの語りだと  耳が拒絶する   文字通り  耳が痛くなり   首筋が凝り  頭痛   吐き気までしてくる。1時間が業苦の時もあるのである。だから語りの会は  安全という確信が 持てないと  行かないようにしている。すぐ退出できるように 後ろに座る。

901号室に入ったとき   赤いベレーの方が不思議と気になった。手紙をくれた S さんに上がらないおまじないをしてあげてたら   其の方も  わたしにもしてください  語りは今日はじめてなんです。と おっしゃるので  して差し上げた。

その方の語りが 実によかった。星につたえて   透明な 青に身も心も染まるような気がした。涙が溢れた。語り手が生まれる その瞬間に立ち会えて幸せだった。Sさんは さっちゃんの魔法の手を語ったのだが   こちらも   ほんとうによかった。終わった後  涙が滲み   身体があったかかった。語りって  実に フィジカルなものでもあるんです。ーあぁ  いい語り手さんになられた   伝えたい   語りたい  その想いがふつふつとこみあげ   響きとなり  聴き手の心身にひたひたと寄せてくる。

ほかに   石のカヌー   緑のつりがね  など  忘れがたかった。鮫人 は  紅いルビーが溢れ落ちるのが見えた。そのルビーはカットしてあって 円錐をふたつ つなげたような形 紡錘形というの?  はじめて見るカタチのルビーだった。鮫人  ノロウェイ   サキ など 語りの会にはよくあるタイトルだが  語り手によって異なるものがたりのように違って聞こえる。

千代とまりは とても光るものを お持ちだが全体の構成  流れ    オノマトペをもっと綺麗にできる  惜しいと思った。忘れものの青いハンカチの話  これは新しいアプローチ   声優っぽいけど 間が秀逸 息をもつかせず もってゆく力量に脱帽。他にも  いい語りがたくさん。流石に尾松さんのご指導 のびのび 楽しみながら 学んでいる様子が 伝わってきた。

わたしは 子どもたちの心に火を灯すこと 種子を蒔くことに集中するため    語り愛好者のための会を おとなのための 語り部自身のための  会をひらく時間的な余裕も   気持ちにもなれなかったのだけど   今日は とても刺激になった。瑞々しい  やはらかな  ものがたりを  わたしも語りたいし   ユニットのメンバーにも  語らせてあげたいと 思わせてくれた会だった。

しかるに   文学は 果たして 語りに 似合うものだろうか  とも 感じさせられた。くるみ割り人形 とか よだかの星 を暗記する努力を思うと…… 八雲の雪女や鮫人はもともと  節子夫人の語りから 生まれたのだから別にしても。文学を 語りにすると  語り手によっては   ひとり芝居になってしまう。努力家ほど陥りやすい罠だ。マクドナルドさんが 言っていたのは  芝居は  観客との間に 一枚  幕があるということだったが   それよりも芝居そのものが 目的化しやすくなってしまう  突っ込んで言うなら  語る自分が目的化する  その恐れは たしかにあるのだ。

それも NHKのナレーションもなにもかも   語りという大きなジャンルに含まれるといえば それまでだが。語りは  ハート to ハート でしょう。人生もおひとがらも語りにおのずとはいるのだけれど それは そーっと差し出すもの。これでもかではなく共有するもの。あくまで これは  個人的見解だが  。

いい語りは 耳から  心にからだに沁みて  伝えたい憶い  満ちたとき  口から溢れる。語りとは 本来 そのようなもの   わたしは きのう あなたから 受け取ったものがたりを 今日 そして あした  だれかに伝えよう。

311の三年前   わたしは先生と訣別し 2年後 櫻井先生は身罷られ   311の前日  敬子先生に出会い   気がつけば  多くの多くの師と  袂をわかち 振り棄てるように  自分の信じる 語りに突き進み   今 老いた  愛国者として  自分の役目を 果たそうと残った ちからを絞っている。語り部として 学んで ゆくうちに この国の歴史   うつくしさ   今 何が起こされようとしているか 朧ろに見えてきた。先祖帰りの眼も朧に開いてきた。人生は宇宙は不思議だ。幾兆万 幾億万の糸で縄れ 織られた  タピストリのよう。



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時間の流れのなかで 朝 絵本の読み合わせを聴くこととなった。8つの絵本を聴いた。わたしは もう 16年ほど 読み聞かせから遠ざかっている。なぜなら 語りをするから.....。

他のメンバーの読み聞かせを聴くこともない。.... それで....? 実に新鮮だった。

読まれたのは 写真の絵本 「富士山」 星野さんの 「くまよ」 どこかの島の種子が川をながれて 実生の母木となる話

富士山に実際に登ったような気持ちにはなるし くまを愛し くまに食われた星野さんを思うと そろって 天にのぼったのかなぁ ひとつになったんだなぁ と救われた気持ちになり 花の一生は女の一生に似てる....と思わずまわりをみまわして 恥らったりした。

だが 周到につくられた絵本のものがたりは インパクトが何層にもなるのだった。佐野さんの空飛ぶライオンの話 しばでん 一揆と相撲がすきな化け物しばでんと太郎のはなし... これって太郎がしばでんのうまれかわりじゃないほうがいい と感じたが 絵本ってすごいんじゃない とあらためて思った。石をひろいあつめる犬のはなし....もよかった。

ものがたり絵本は ことばが最小限にけずりにけずられている 磨かれているので もろにくる。

そしてね びっくりしたのは 語りは 語るひとのすべて あたたかさ やさしさ 知性 品性を はだかに見せてしまうもの と思っていたのに 実は 読み聞かせこそ それらがリアルに出てしまうということ。

むしろ 語りのほうが テクニック 情感でごまかせる。ショックであった。

櫻井先生のあとを追うように 東京子ども図書館のストーリーテリングの作法 『額縁になる』を 伝承の 本来の語りに反するのではと糾弾してきたが こと 『絵本の読み聞かせに関するかぎり』 それは正しく 主役は本・絵本であることを痛感した。読み手の個性はおのずとでるだけにとどめたほうがいい...と感じた。(もちろん 語りにおいても主役は語り手ではない)

新人おふたりの読み聞かせは じつに自然でよかった。視覚がまずさきにくる。絵が飛び込む。声のひびきは 絵の説明ではないのだが 見ている 子どもの 期待をうらぎってはいけない 作者の期待を裏切ってはいけないのだと感じた。

淡々とよむ その声質 声のひびきにで聴き手はものがたりにひきこまれてゆく。それは心地よかった。

残念なのは ものがたりのさきのさきが みえてしまうこと...これは自分の問題である。知らない世界がおもしろい 自分の!!期待がきもちよくかなえられ またうらぎられてゆく ... 探検がものがたりの醍醐味だった。

蛇足だが 読み聞かせと 語りは 似て非なるものである。東京子ども図書館のストーリーテリングは 語りとは異なるものである。

 



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朝 BSで アメリカの読み聞かせについての番組がありました。本屋さんやふつうの家で ストーリータイムと称して 読み聞かせをするのですが 読み手はふたりとも 男性でした。

それというのが 身振り手振り 歌も入る 参加型...... ついでに 主義主張も感情込めるという 東京子ども図書館の 読み聞かせ=がくぶち スタイルとは似ても似つかぬものでした。 どんなコメントが入るでしょうね。

正直のところ あざとい感じでわたしはあまり うなづけなかったのですが 子どもたちは楽しんでいるように見えました。

ひとつのショウのようでした。.....けれども 読み聞かせ 本によっては参加型にしてもいいな もっとわくわくするものになるかも....という期待感もわいてきます。 二学期 試みようかなと思いました。



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      2年前まで在籍していた Tの会さんの おはなし会にいきました。客席はほぼ満員で ご年配の方が多かったです。ぜんたいにとてもあたたかい語りの会でした。なかでも楽しませていただいたのは 星新一さんのボッコちゃん と 江國香織? さんのラブミーテンダーでした。星新一のショートショートがこんなにおもしろい語りになるなんて思いませんでした。まだ語り始めて半年とか......たのしみな語り手さんです。

      ラブミーテンダーは力の抜けた やはらかな語り口と笑顔がすてきでした。とても引き込まれました。昔話のほうが小説より硬い感じがしましたが あがっていらしたのかな。......でも みなさん それぞれ 力強い語りで あいまあいまに 笑いもあって 最後のろばの子もとてもよかったです。ベリットさんが語った ロバの王子をわたしもときどき語りますが グリム童話とは知りませんでした。

      おはなしであったまり 再会してあったまり いい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

      カタリカタリのおはなし会のチラシを図書館におねがいしてきました。今夜 ハガキを印刷して つぎは脚本をつくります。カタリカタリにしては早いほうかな。つくっているうちに 会のコンセプトが徐々にかたちになってゆくことが醍醐味ですが 残るところあとひと月あまりとなって まだかたちをなしていません。最期までドキドキです。



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    浦和パルコ 広い館内を右往左往 さすが県都 図書館も公民館活動も充実していると 半ば羨ましく思いながら 10Fの会場にたどりついたとき 15分をまわっておりました。

    ちょうど第一話 おそらくもっとも多瀬さんの思い入れ深いであろう ”つるの恩返し”がおわったところでした。けれどもつづく みのわのなげき 金のなす 柿売り 新聞紙はなしニ題 紅花 つらら 雪女子 ぼうたろう 古い家 焼き米 うさぎとかめの後日談 女偏 16わのわら みなおもしろかったです。

    多瀬さんはとてもサービス精神にみちた語り部さんで 自分も楽しみながら聞き手を楽しませよう楽しませようとご腐心していらっしゃるのがよくわかりました。どのはなしもどこかで聴いたことのある 本にのっているおはなしなのですが 多瀬さんの身体と心をとおって ほとんどオリジナルといってもいいほど ご自分のものになっていました。多瀬さんは語りをとおして 家族の絆 老いというものをつたえようとなさっているように感じました。年下の女たち 若い母親たちへのエールであり また叱咤激励とも感じました。

    印象的だったのは 歌と和歌の挿入です。山形仕込のいいお声でうたう民謡は心地よかったです。わたしは多瀬さんの語り とても好きです。すっかり自分のものにしていらっしゃることで枝葉がとれ ものがたりはシンプルになり 一話一話はとてもみじかい。中野さんのゆったりした語りとは対照的ですが 語り部さんの個性で ものがたりの光の放ちようが違ってくる そしてそれぞれいいものだとしみじみ思いました。

    よい語りを聴くと元気が出ます。子どもを育てているわかいおかあさんにわたしもつたえたいことがあります。こころから応援したいと思います。今の時代 いのちをまもるためにひつようなこと おかあさんがたの癒しとなるような 先へ進む勇気が生まれるようなことをさせていただきたいと思います。

    おりしも今日 中学から昼休みに 語りをしてほしいという依頼があったそうです。2.3年生には絵本の読み聞かせより 語りやブックトークのほうが良いのでは...という担当の先生のおはなしだったそうです。さぁ まえにすすみましょう。まだ 仲間たちとできることがあります。世の中をあかるくするちいさなことを花束のようにあつめてゆきましょう。ひかりをかざしてあるきましょう。

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........京王線 稲城駅 はじめて降りました。遠くに山なみ 梨畑にそって歩きました。疎水縁りの桜並木の花芽はふくらみかけ 空気は凛とし 陽射しはあかるく ほのぼのと希望が満ちてくるような一日でした。

    駅中のカフェでパンとカフェオレをたのみ まちあわせの人たちを待つのもしあわせなら 会場までの道のりを野村敬子先生とあるくのもしあわせでした。最上一平さんのぬくい山のきつねを語られる菅野さんと初対面ながら抱き合うようにおはなしし 開演を待つのもしあわせでした。

    聴き手のみなさんは こんなに胸をときめかせて待ってくださるのだなぁ としみじみ思いました。あったかい語りの会でした。19年の歴史は語る側にも聴く側にも 心地よい落ち着きと安心をともなう緊張感 というついぞ経験したことのない境地をもたらしていたように思うのです。あっというまに時間がたってゆきました。

    演目は ひろった銀のさじ ねこのよめさま みるなの蔵 姥皮 わらべうた おりゅうとやなぎ しろこ地蔵 ぬくい山のきつね です。みるなの蔵は始めて聴くバージョンでした。語り手さんにあとでうかがったところ ふたつのテープとその他のテキストから起こしてつじつまをあわせていったのだそうです。禁忌を破ったためにおとずれた哀れ....無常観のようなものは一切ないあかるい終わりかたでした。

    しろこ地蔵のとき 会場がどーんとゆれ 語りが中断 会場に緊張が走りましたが 「岩手の語りしたから 地震きたべか」....語り手さんの対応で笑いがおきました。すばらしい対応でした。おりゅうとやなぎ ぬくい山 では泣いてしまいました。とくにぬくい山では 夫をなくし寒村に一人住むおとらばあさんのさみしさ 夫のきんごろうに化けてきたきつねにさえこころをゆるし よりそうようにこころをあたためあう..その声のひびきに聴くわたしもふるえました。菅野さんはおとらばあさんとひとつになっておられました。病をおして 一時退院なさって 臨んだおはなし会.....来年もかならずお会いしましょうと堅く約束しました。

    民話 ほんとうにいい語りというものは心をぬくめます。わたしの気持ちはまだほかほかしています。それとともに思ったのが 今の時代の語りとはなにか.....ということです。わたしたちは民話をうけついでゆきながら もっと多様な語りのあり方をさぐり 自らを練磨してゆきたい 若い世代にヒットする語りを模索していきたい たのしみながらそうした語りをめざす冒険の旅 チャレンジをつづけてゆきたいと思うのです。 


    3/23 3/30 野村先生の講座をひらきます。タイトルは今日決めました。「こころを語る いのちを語る」......テキストから民話を語るに際して 民話とはいったいどうやって 生まれたのか 民話のこころ を知ることが 語りを一変させる と感じています。詳細は近日中にお知らせしますので よかったらご参加ください。





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きのう 宿敵スタバでコーヒーを飲む。スタバはイスラエルに資金を送っている親イスラエル企業。イスラエルはアメリカの親玉みたいなものだ。......だが.....社員教育はよく行き届いている。コーヒーはひどくまずいが。電車に乗って淡いケムトレイル空をみていたら 幸福感がこみあげてきて泣きそうになった。このまま 死んでもいいなぁと思うくらいに。こんな至福は3.11を越えて以来はじめてである。.....長くはつづかなかった。胸が苦しくなって息ができなくなって まずい、気を失うかも だれかに助けを呼ばなくてはならないかもと焦った。

    バッグのなかに麻の袋に入れたドルイドベルがあるのを思い出し 銀色の丸い玉を耳元で揺らしてみた。シャリン シャリン と千の星が瞬くような 金砂銀砂が硝子の漏斗を滑り落ちるような音がして 我にかえり 気がつけばまた至福の海に吸い込まれてゆくのだった。奇妙な日だった。.....懐かしい懐かしいだれかに抱かれているような 気が遠くなるような始原にかえるような幸福感 

    中野さんの語りもすばらしかった。わたしは泣いて それから笑った 笑って 笑った。月見草 聴いたことがむかしあったけれど まったくちがっていた。なにかこう純朴でとつとつとして飾り気がなく だのに手のひらを胸にあずけているように温い。ある一節で わたしは耐え切れず泣いた。そして理解した。霊能者のY先生にいわれたことばをはじめて 理解した。.....あなたの語りは清流の鮎の語りだ、泥のなかのどじょうになれ 泥のなかから蓮の花を咲かせなさい。

    あぁ まだまだだなと思う。今日 聴いた語りはわたしを掘り出す梃子になる。きっとなる。

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    ..... プラネタリウムで聴く月や星にまつわるおはなし四つ。最後のネイティブアメリカンの話「ちいさな焦げた顔」がよかった。よい語りを聴くと 即 語ることができます。ものがたりが ことばでなく 映像のイメージ 感覚となって 身体に入ってくるからだと想います。

    強いていえば ”ちいさな焦げた顔”という娘が 酋長の妹に洗ってもらうことで 顔の切り傷や火傷がなおる(魂のうつくしさ同様にからだもほんらいのうつくしさをとりもどす)シーン 娘のよみがえりの感覚 ......たとえば 清冽な水が身体を流れる感じ 再生のよろこびに身体と魂が震える感じが足りない。

    酋長の肩のひも 虹は見えるけれど そりをつなぐ銀河が見えない 酋長のテントと宇宙がつながっているイメージに乏しい。語り手に見えていない 語り手が感じていないと聴き手に伝わりにくいのです。翻訳そのままだとおもいますが 大酋長という訳語が適切かどうかも気になりました。.....けれども いい 語りでした。聞かせていただいてありがとうございます。足を運んでよかったです。わたしのレパートリーにも うつくしいものがたりが ひとつ加わりました。

    プラネタリウムのおはなし会は星が見られる 画像が映し出されるのがうれしい。けれども難点もあります。その画像にイメージが限定されてしまう。塗り絵のような稚拙なイラストなら ないほうがものがたりのイメージがひろがります。

    隣のホールで高校生の室内楽の大会がありました。自分の耳がどれほどか確認しようと後半でしたが聴いてみました。うーーん 今回は フルートのアンサンブルに受賞者が多かった。ところがわたしは金管に からだが震えるのですね。演奏のミスはわかります、が 間違っていても たからかにおおらかにうたっている金管楽器の響きはすてきでした。

    講評がよかったです。『第一音』 一声で演奏が決まる。 第一声を出す その一瞬を緊張をもって 無音をたしかめて.....と高校生におしえていました。世阿弥が書いていることと同じでした。

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    6/1 埼玉県立久喜図書館で平塚ミヨさんのおはなし会がありました。チケットは500円でした。平塚ミヨさんのおはなしをお聴きするのは はじめてですが これは聞いたほうがよいという直感があったので カタリカタリのメンバーにもすすめました。いままで聴かせていただいた東京子ども図書館系の語り手さんのなかではいちばん心を動かされました。

    おはなしは ねずみの小判 グラのきこり おとっつあんのいうことはみんないい 腰折れ雀 ジムの誕生日 などテキストからのものでしたが、すっかり平塚さんになじんで ミヨさんのものがたりになっておりました。.....また、合間あいまのトークが 若い語り手にむけて とても心温まるものでした。

1 平塚さんは福島県いわき市のお生まれです。他の方言でテキスト化されたものを福島弁になおして語られます。

2 4.5年前まで だれかのように語りたいと思って あくせくしたけれど 今はそんなことできっこないと思っている。だれだって 自分の人生でしか語れない。人のまねをすることはありません。

3 保育園で週に1回語っているが 子どもは創作のものはあきるけれど 昔話はあきない。けれども何が良かったかと聞かれると昔話とはいわず もっとインパクトのあるものをいう。昔話はしみとおるようなものだからだ。
(だいたい このようなことをわたしは受け取りましたが ことばはわたしのものなので 平塚さんが口にされたことばとは違うと思います)
   
    よい語り手さんは聴き手を味方にひきこむのがとてもじょうずです。そして 語りとは年輪だなとしみじみ思います。80を過ぎて語りは円熟と輝きを増します。けれど 時間はある。わたしは まだまだ 冒険をしたいと思います。今でしかできないことがある。だれにも そのひとにしか 語れないものがたりがあります。石のなか 木のなか 群集の海のなかから 時代のひだのなかから ものがたりをくみ出し 結晶のようにみがいて手わたしてゆく わたしは そのようなことをもうすこし つづけたい。”語りばさ” になって おおどかに まろやかに 昔話をいずれは語るにしても。

    いい語りを聴くと 語りたくなります。中野さんのときもそうでした。その思いは熱のようにわたしの体内をかけめぐります。場所みつけにいきたい。ものがたりとであい 色彩を感じ 馥郁と香りを吸い込み わたしの心と体をとおし お伝えしたい。だが 今は ブログをとおして原発について語りつづけましょう。

    おはなし会のあと 福島のことを平塚さんとおはなししました。

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    小岩の野村敬子先生の会にうかがいました。ちょっとした旅でした。ながいことお会いしたかった敬子先生とはじめて御目文字したのは 折りしも3月10日 東日本大震災の前日でした。あわせてくれたのは 少女のころ ガールスカウトでいっしょだった古い友で えにしというのはほんとうに不思議なものです。

   先生のおひとがらがふうわりとわたしをつつみ 語りへの真摯な気持ちがつたわってきて 濃密なしあわせな時間でした。先生の語りへの考えは地に足がついています。アートとか表現とか そうしたうわつらの装飾的なものでなく 生きることそのものに根の深いもの それはわたしもおなじだったので すっかり意気があい ついてゆこうと思ったのです。

   今日は口承の語り部中野さんの語りを聞かせていただきました。商売っ気といいますか 手だれていない 炉端からそのまんま前掛けをはずして来たような 臨場感のあるいい味の語り部さんでした。中野さんの語りの特徴のひとつは自然描写 生活描写です。ものがたりのすじだけでなく山村の暮らし 山村の四季がことばわからぬまでも ほうふつとつたわってまいります。

   聴いていて心地よくて この心地よさはなんだろうと思いますと 文字を暗記するのでなく ものがたりがからだのすみずみに細胞にしみこんでいるからなんですね。中野さんは語っているとき まさにふるさとにおいでになる 空気を吸っている だから 聴いているわたしたちも その場所につれていってくれる。

   わたしはわがままな聴き手で 暗記した文字の見える語りは 聴くのがつらくなる......じつはながいこと聴いていられないのです。でも 中野さんのおはなしは 日がな聴いていたいと思いました。.....たとえば おさるじぞうなど30分以上かかっている 単純に語れば10分で足りてしまう そんなおはなしです。創作の語り部としてわたしは 創作の最後の段階でことばを吟味して 削って削って 余剰を落としに落として仕上げてきました。それは学校などで限られた時間のなかで語るという理由もあるのですが だらだら語るのが好きでないのも理由のひとつでした。結晶のようにしたかったのです。

   けれども 中野さんの語りは長くとも飽きることがなく 冗長でもありませんでした。ものがたりがながいわけがあとであかされました。それは 前にも書いたこんな理由だったのです。山村では子どもたちも一翼をになう大事な働き手です。毎晩 2時間は 縄をなうなどの仕事をしていたそうです。たいせつな働き手に眠られては困るので 起こしておくために おかあさんがつけたしつけたしものがたりを語ったんですね。中野さんはそれを聴いて育ったんです。ものがたりのなかにおかあさんの愛がこもっているのだろうな ひとりでも語っていたというおかあさんの語りへの想いもこもっている....だからあたたかいのだと思いました。

   中野さんの語りはとてもよかったのですが 今日の白眉は野村先生のことばでした。
「ボランティアは 大海に潮をまくのとはちがう。ひとりとひとり ひとりとふたりに手渡すのだ 」

そして 震災後について.....
地球の上モノは流れても 人間の内奥は流れない わたしたちはモノを持ちすぎた 原型として人間が持っている価値を 原点に戻って 語りましょう

このことばにわたしは思わず泣いたのです。



   

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    日本橋に行きました。読み語りと朗読の会でした。内容は宮沢賢治の詩と詩人であり翻訳者でもある加島祥造さんの詩と翻訳作品です。地下室は七つの灯りがゆらいでいました。かすかな風の気配がします。十の椅子が聴き手を待っています........聴き手としてはじまりを待つ、予感と期待に満ちた時間のゆたかさをわたしはしばらくわすれていました。..........やがて 一声が放たれました。やはらかで響きのある声でした。

    台詞と地の語りのバランスが絶妙でした。ちいさな場所だからできることではあり またこの方は大きな場所ではマイクをおつかいになるのかもしれません。 カタリカタリがしばらくステージのための練習で台詞を立てる稽古をしてきたのだということが.....よくわかりました。ちいさな場所で語るときはほんのすこし 自分のなかで位置を変える それだけで事足りるのだとあらためて思いました。数年前のわたしの語りもそのようでありました。思い出させていただいて ありがとうございます。

    一部では「琵琶行」がよかったです。情景が琵琶の音色が沁みるようでした。「永訣の朝」とけかかった雨雪は手の切れるような冷たさではなくて春の淡雪のようで 聴いたときはそれが気になったのですが 今はそれもいいかなと思います.....。あめゆじゅとてちてけんじゃ くりかえしの3回目 うたうような 手放すような はかないうつくしいものが空にきえてゆくような.........標準語に近いやはらかな方言のニュアンス、それは柴川さんの世界 それは北林谷栄さんや長岡さんの賢治語りとはまた異質のものです。それぞれの語り部がとらえる賢治の世界はこんなにも違うのだという感慨がありました。風と水と空はあるけど土が、火が.........。

    二部では林中感懐がよかった......ここには土と息吹がありました。今日は加島先生がお見えでした。老子・タオでわたしは心地良さにうとうとしてしまったのですが、先生が終わったあと 自分の作品を聴いて寝てしまったよ と快活におっしゃって ほっとしました。

    気持ちのいい空間で気持ちのいい語りを聴きました。随筆や詩もいいですが ほんとうはもっとストーリー性のあるものが聴きたかったです。今日の演目には純然たる物語はありませんでした。モノガタリ詩のようなジャンルがこころに残りました。柴川さんの語りの向こうにはなにがあるのでしょう。『語りはことばや声になった「いのち」を届けることと想います』とチラシにありました...... 白楽天の琵琶行の向こうにはなにがあるのだろう......なにとはいえないちいさな歯がゆさがありました。地下室を出て鉛色のケムトレイル空、それでもあかるい空を見上げます。小雨降る舗道をあるきます。わたしは『語りは「いのち」そのものだと想います。そして真実を、虚構の中にさえ真実を伝えるものだと思います。』......

    ミカドがちかくにあったので ひとりで午後のお茶にしました。ポットの紅茶と焼きたてのスコーン たっぷりのクロテッドクリームにジャム 朝からなにもいただいてなかったので 美味しかったこと。「先生 いかがでした?」と思わずひとりごと........語りのブランドというものも考えました。櫻井美紀さんは八雲と イギリスもの ギリシャ神話 そしてパーソナルストーリー。今思えば先生の佇や出身も含めてブランドをなしていました。賢治語り...を得意とする方 うつくしい方言の語り タンデム語り 独自の売り物を持っている語り部=ストーリーテラーは多いです。

    カタリカタリのひとたちを なんでも語れる語り部に育てようとしていること それは間違っているかしら。わたしにしたところで 戦争体験代弁の語り 隠された古事記 歴史の真実 パーソナルストーリー 今昔物語再話 ネイティブアメリカンの話 参加型 アイルランドの伝説 民話 創作 .......手当たり放題.........ジャンルは多岐にわたります。

    時間もないことだし わたし自身ももっとテーマを絞ったほうがいいかしら......とふと思いました。........いいえ 柴川さんにお話したように 天の星のように浜の真砂のようにものがたりはある 語られるのを待っている。自分にラベルを貼るのはまだ早い。 語りたいものがたりをつぎつぎ語ってゆきましょう。 語りは鎮魂であるとともにいのちそのもの めぐりめぐってゆく数多のいのちの賛歌・魂振りです。 



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    おだやかなしっとりした 方言で民話を語る会でした。聴き手はご高齢の方が多かったです。気持ちのいい端正な民話のかずかず 都市型の民話といいましょうか 方言のニュアンスがはいりますと ことばの陰影がまし 風景は透過されたように純度をまします。ここちよいリズムに身もこころもゆだねた1時間でした。

    上木崎公民館の担当者は知悉の方でした。また終わったあとの茶話会で見沼のおはなし会の方々や今日の語り部さんと楽しい 語らいがありました。....みな つながっている.....それぞれ ご縁のある方々でした。

    戦争の実体験を聞き書きして語り継いでいることをおはなししましたら....おふたりからこんなおはなしがありました。

○ 小学校のころ 転校生がくると 先生はわたしの隣に座らせました。あるとき ひとりの子がきました。(虱駆除のためか)強い酢の臭いがして 足の指がなかったのです。つぶらな黒いおおきな目がわすれられません。その子は満州からの引揚者で 両親をなくし 遠い縁戚にひきとられた...と先生から聞きましたが 子どものわたしには その子の事情など理解できませんでした。その子が隣にいることがうとましく いやでならなかったのです。それで 教科書を見せるときも わざと 突き出すようにして 冷たくしました。その子はしだいに学校を休み勝ちになり ついにこなくなりました。この年になって あの頃 その子どもにした仕打ちが悔やまれてならないのです。.....なんで あんな冷たいことをしたのかと 泣きたくなります。それで 小学校でこのことを年に一度 子どもたちに語っています、そしてこんな風に結びます。......「 おばちゃんは この年になっても 意地悪したことが忘れられないの 。......それっきり会えなくなるかもしれないから 後悔しないように 笑顔で別れられるようにするんだよ」

○ 舅は92歳で亡くなりましたが、死ぬ2.3年前から 夜うなされるようになりました。スリッパでバタバタ 壁を叩いて 家人を呼ぶのです。3階の舅の部屋に行ってみると 銃剣をかまえ 人を刺すようなそぶりをいたします。中国で 日本兵は生き延びるために 現地の方を殺すこともあったようです。戦争の話は わかいうちはしなかったのです。年をとって 死に際に 浮かんできたのでしょうか。話をきいてやって さぁ もう寝ましょうというと寝付くようでした。

......このお話を聴いて とても身につまされました。お舅さんは 死がちかくなって 自分のしたことがおそろしくなったのでしょう。命令でしかたなくしたこととはいえ 哀願する中国の人の目が焼きついていたのでしょう。.......わたしは思わず (そのおはなしを聴いてあげたことは) 鎮魂ですね。と いいました。 語りの本質は鎮魂と魂振るい......生きる力を甦らせること。.......

   聞き上手 話し上手が9人あつまりましたから そのあと さまざま 話題は踊り、それは賑やかでした。満州の話だったか、シベリアか南洋の話だったか 瀕死の兵隊さんに国の昔話を聴かせると やすらかに死ぬというおはなしが印象的でした。ナチの収容所でも おばあさんの話である部屋だけ生存率が高かったという有名なはなしがあります。ものがたりなのか 母語のひびきなのか どちらだと思いますか?

   もうひとつ 昔は手が足りなかったので 眠い子どもを働かせる 起こしておくために昔話を語ったというのです。福島出身の男性は おとうさんから そのようにして昔話を聴いたそうです。眠らせるためでなく 起こしておくための昔話 はじめて聞きました。そういうこともあったのでしょうね。

   それから 熱い議論となったのは ものがたりを暗記して覚えるの それとも即興で語るの?という古くて新しい問題です。おひとり黙しておられましたが これはもう 1:6の激論になりました。 もちろん わたしが無勢です。白一点の男性が それは大学生の語りで わたしたちにはそんなことはできません とおっしゃいました。

   それでは 「夜ごと語ってくれた おとうさんは 本を覚えて語られたのですか」.....と問いますと 「いいえ 聴いて覚えたのです」とおっしゃいます。活版印刷が発明され本が自由に手にとれるようになって 高々100年あまり......それまでおそらく10000年ものあいだ 人間は語りついできたのです。 今日 わたしは 幼稚園で即興で5つのおはなしをいたしました。研究セミナー同窓会で 聞いたおはなしと きのうつくったブルードラゴンの冒険・参加型です。ぶっつけ本番でしたが 子どもたちは シーンと聴いてくれました。それから ブルードラゴンでは ものがたりに参加してそれはたのしく過ごしたのです。

   ですから 自信を持ってわたしは申しました。暗記して語るという思い込みをはずせるなら だれだってものがたりをそのまま手渡せます。身体のなかにものがたりを入れればいいのです。(身振り手振りという意味ではありません。) 

   書承の語り NO と言っているのではないのです。書承の語りをするときはわたしはきっちりします。さまざまなアプローチがあっていいと思いませんか?だれもが思いこみを棄てれば世界はひろがります。 暗記ではなく身体からはいるという コツさえつかめれば 短期間でものがたりは血となり肉となり 語り部はものがたりを生きることができるようになる。200回も練習したり 途中で真っ白になって 絶句したりすることはないのです。

   熱く語りながら わたしは先生 おひとりで(自分のことばで語ることや即興を提唱するのは)たいへんだったろうな....と思わずありし日の櫻井先生に思いを馳せました。......今のわたしは ただただ 自分の信じる道を行けばいい どこの組織に属しているわけでもないし だれに義理があるわけでもありません。それはすがすがしくて とても気持ちがいい ひとすじの道です。

   ディアドラの歌 を覚えてくださっている方がいました。風がささやく 波がつたえる はるか昔の恋のものがたり♪...... 何年になるでしょうね、銀座のガラス貼りのスタジオで わたしが35分のきのうまとめたばかりの「ディアドラ」を語っているあいだ 櫻井美紀さんはまだ 「名残の薔薇」をまとめている最中でした。ディアドラも名残の薔薇も愛のものがたりでした........。



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    このブログにご縁のある方がエントリーしていらっしゃったので 23日 王子ふれあいセンターまで語りを聴きにいきました。風さんの”ひょうたんがいく”には間に合わなくて残念でした。angelsroadさんの”黒いおひめさま”は聴くことができました。第一声の響きを聴いて安心しました。深いあたたかい豊かな声でした。おひめさまの声にすべてがありました。この方も幾多の道を経てすばらしい語り部=ストーリーテラーになられることでしょう。ステージデビューとは思えない深い語りでした。

    とても自然なかろやかな語り口の語り手さんが多かったです。はじめて間もない方から長年研鑽を積まれた方まで さまざまなものがたりが100ちかくも語られるという豊かな会でした。11のお話を聞きました。黒いおひめさまのほか 工藤直子さんの”きつねが一匹”が胸を打ちました。それから ともしび.....杉みき子作、創作 八幡の森の物語は詩人石川啄木の妻なる方が病の身で房州に滞在した三ヶ月のものがたりでしたが とても惜しかったです。

    ひとつはものがたりに徹していただきたかったということ、最後のコメントはなくてもよかった。そして取材内容の取捨選択と テーマに向かっての積み上げ方。創作をするのは勇気もいるし 資料の収集やまとめに体力が必要です。ひょんと降りてくるものがたりもあれば 格闘してやっとかたちになるものがたりもある。そのときものがたりの鼓動に耳を傾ける。自分が語りたいものがたり(なのですが)それはさておいて ものがたりのいのちを考え 切り捨てるところは捨てる胆力が必要のように思います。

    10のおはなしを 聞かせていただいて しだいに身体が重くなってきたとき アンジェロ を聴きました。伏目がちに語っていらっしゃるので 最初 読み語りをなさっているのかと思いましたが 途中途切れてしまって 語りだとわかりました。最後 わたしの心臓のなかで白熱した火花が散るようでした。一瞬の慟哭がありました。わたしの身体は解き放たれていました。途中 途切れてしまったことを悔いていらっしゃるかもしれません。がっかりなさったかもしれません。でも すばらしい 魂振りの語りでした。ありがとうございます。

    尾松さんはじめ 浜子さん 風さん angelsroadさん その他のみなさまにお目にかかれてうれしい一日でした。

   

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