写真の月は、ちょうど1ヶ月くらい前の、もうすぐ満月になろうとしている時のものです。
月は、どんな形の時でも、とても好き。
針ほどの三日月も、大根の薄切りに失敗したような半月も。もちろん、煌々と輝くまんまるの時も‥。
けれど、完全な丸になりきっていない、13夜、14夜の月が、もしかしたら一番好きかもしれません。(昔、荒井由実の唄っていた「14番目の月」の影響かも)
時間が流れ、毎日が行き過ぎ、気がつくとまた同じ形の月を、空の中で見つけることができる。確実にひとつきが過ぎていったことと、また同じだけ時間が過ぎていけば、また同じ月がめぐってきて、その光に感じ入ることができる。手に取ることはできないけれど、それでもなんか確かなもの。月からはそんな安心をもらっているような気がします。
このブログを始めるときに、載せていきたい本の写真をいくつか撮りました。谷川俊太郎さんの詩とクレーの描いた絵。『クレーの絵本』は、ほんとの絵本ではないので、どうしようかなと思いながらも、とても好きな本なので写真に残しておきました。
谷川さんがクレーの絵が好きだと知ったとき、自分自身の「好きなもの同士」が合体したので、とても驚きました。本の中で、というより谷川さんの作品の中で、たぶんどれよりも好きな詩を、載せておきたいと思います。
《死と炎》 1940
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれもがひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに