仮留や簡単に穴をあけるのに「キリ」と呼んでましたが本当は「目打ち」と言うような。 これまで使ってたのが無くなったので購入しました。 商品名は「ヒシギリ」でした。
ヨ9000は九州で運用されてました。 こちらは実際に運用されなかったレム5000が上回りで下回りがヨ9000と同じ1軸台車をはいた100キロ仕様の車輛です。 しかし実際は結果が芳しくなく65キロ制限でした。 ヨ9000は運用されましたがレム9000は運用されずに廃車になったようです。 モアのヨ9000があるので一緒にはしらせたいと思います。
本日発売分です。
車両を保存するのはいいですが維持するのが難しいです。
そろそろ組み立てたいのですが、組み立てたらどうするか、飾っておけばいいのですが、オークションを見てるとかなりの額で出品されてるのもあったり、半端な号で出品されてるのがみられます。 自分は組み立てたあとどうするか考えてますが、自分なりの工夫を考えてます。
思えば、片側インサイド→両側インサイド→フライホィールと動力を変遷してきました。 今回はちょっと手のかかる方法で検討してます。
2月に行けなかったので今回行きました。
旧長浜駅舎、荘厳な佇まい、
目的のED701、屋内保存なので状態は良いです。
この台車はED70だけでなくED58やED100が履いてます(模型)。
電装は塚口にある伊丹製作所でしょうか。 この後は小田原周りで帰宅。
生田神社、弟の七五三は半世紀前。
西日本に見えやすく阪神電鉄の宣伝なれど、阪急の文字、これも時代の流れです。
西ノ宮駅の上りヤード、一部は駐輪場になっても広い。 かつては製品を送り出す貨車や醸造用アルコールを積んだ貨車がひしめき、EH10の雄姿が見えました。
甲子園口で降りて阪神甲子園まで歩きます。 マッハがなくなってからは梅田によるのは串カツを食べるくらい、昨日行ったのでそのまま難波、日本橋で買物し京都で宿泊。
従弟に用事があり関西へ、土産は定番「横浜名物」。
「南無阿弥陀仏」いつもの東福寺乗り換えで四条へ、奈良線は信号トラブル。
ここから京都に入ります。 従弟に会い墓参りをしたら、
ここからが本番、品のあるマルーンに並ぶ窓に気品を感じます。
阪急伝統の緑のシート、しかし内容は飛行機のビジネスクラス以上、
ずっと乗っていたいと思っても淀川を渡り梅田。 せめて南海の「サザン」も乗車時間が長いだけにこのレベルになってほしいです。 三ノ宮に向かい神戸泊。
「サンライズ出雲」の285系が後藤車輛所(後藤工場)で381系と衝突したようです。 相当な損傷で2か月運休のようですが、このまま「修理不能」で列車そのものが廃止されるのか心配です。 この様子だと実質新造の形になるのかもしれません。
また日本貨物鉄道も車輪に問題があったらしく点検。 出雲客貨車区を見学したときに案内いただいた助役さんが「貨車」の方出身だったらしく、二軸貨車の軸受けについて教えてもらいましたが、「北海道は輪西(わにし)で一括して貨車の検修をしてる。」と聞きました。 このとき輪西(わにし)と言う名前を初めて聞きましたが久しぶりに今回聞きました。
「用地取得作業」の第1次作業が終わったので、長手の枠を作ります。 1500×600mmです。 この次がフレームの接合でやっと台枠になります。
今日は9月11日です。 ニューヨークの事件から20年以上経ったとは思えません。 平和な世界がいつ訪れるのでしょうか。
本日発売分です。
今も健在な西日本「出雲」は旧「いなば」でした。 ブルートレイン時代の「出雲」に乗りたかったのですが機会がありませんでした。 鉄道ジャーナルの特集号にあった「出雲」の食堂車の「だいせんおこわ定食」を食べたかったです。
「最後のブルートレイン」発車の場面です。「北斗星」は一度乗っただけで充分と思いました。