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SWS 分科会2 【OT introduction~知られざる世界~】

2006年09月01日 12時19分18秒 | 全人ワーク
2日目の分科会、【OT introduction~知られざる世界~】のお話です。


私は「OTって何?」って考える時、必ず「PTとの違いって何?」って考えてます。
それは多分うちの大学のリハビリテーション学科がOTとPTで構成されているってことと、それぞれが行っている仕事をよく知らないから混同してるってことが理由なんだと思うんだけど。

しょうくんが分科会で一番最初に話したのは、“OTの目的”についてでした。
うちらOTとかリハビリテーションをよく知らない人からしたOTとかリハビリのイメージって、「機能訓練をする」的なものだと思うの。

でも、しょうくん曰く「OTの仕事はそれだけじゃないんだ!」とのこと。
OTがやることは、相手に“ものを与える”ことではなくて、相手が“自分で獲得する”ための方法を教える(情報や手段の提供)ことであって、最終的にその方が「自分でできる」ようになることを支援するのがOTなんだーって。


ここで、猫が魚を欲しがっている図を見せられました。
「魚を欲する猫に、あなたはどう援助するか」っていう図なんだけど。

「魚をあげる」現物支給は“ものを与える”ことに値する。
その場では猫は魚が簡単に手に入って大満足だけれど、私(援助者)が去った後、また「魚が欲しい!」ってなっても、そこに提供してくれる援助者はいない。

だけど、「魚釣りの方法を教える」「魚を売っているお店の場所を教える」っていう働きかけをしたとしたらどうでしょう。
その猫は援助者が去った後も“自分で”魚を釣ったり、魚屋さんまで出かけていって魚を手に入れることができるのではないでしょうか。

・・・っていうね。
結構わかりやすい話じゃありませんか?


この話が終わった後、しょうくんは「OTの仕事はこれが武器だ!って言える専門性がなくて、明確に定義することが難しい」とか、「機能訓練とかだけじゃなくて【その人自身】をみれるのがOTなんじゃないか」って言ってたの。
んで、Dr.とかNsってのはどっちかっていうと臓器別に人を見てる感じがするーって。

まぁ、看護学生としては正直この言葉には反発しちゃいますよね


その反発はおいといて、話は次に進みます。
「人を人としてみる」つまり【その人自身をみる】という視点でものをみるために、“もしも自分の家族が腕を失ったら”という仮定をして、その時(一通りの治療を受け家に戻る際)生じるであろう不自由を考えてみるという作業をしました。

超マザコンな私の考える“家族”はやっぱりおかんです。
そう考えた時に不自由だな~って思ったことは・・・

「ご飯がつくれんくなる」

うちの娘っ子は料理がまったくできません。
最近になってやっと炊飯器のスイッチをポンしてご飯が炊けるようになりました。
だからおかんがご飯を作れなくなるっていうのは我が家にとってはまさに致命的な不自由です。

でも問題はそんなことではなくて。
ご飯なんて作れなきゃ外に食べに行ったり、コンビニで買う事だってできちゃうし、いざとなれば私だってご飯作りを覚えます。
それができなくなったからって飢え死にするわけでは決してないんですよ。

じゃあ何が困るかっていう話。

うちのおかんはね、結構な長時間労働で、家にいる時間が本当に短いんですよ。
しかも私も大学だなんだで帰りが遅いから本当にすれ違いの毎日。
一週間顔あわせないとかもザラだったりします。

そんな私が、唯一おかんと同じ家に住んでるんだってことを実感できるものがあるんです。

おかんの作ってくれたご飯なんです。

私はきっと、おかんに似たんだと思います。
掃除も洗濯も好きではありません。
私とそっくりな性格のおかんは、忙しさもてつだって、たまに掃除・洗濯がすっごい疎かになることがあります。

でも、ご飯だけは、必ず毎日作ってラップをかけておいといてくれるのです。

きっとおかんは“家族のつながり”ってやつをそこで感じていて、だからこそ一生懸命にやってくれているんじゃないのかなぁって思ったのです。

つまり、うちのおかんにとって「腕がなくなって」「料理が作れなくなる」ということは、家族とのつながりの喪失、自分の母親としての役割の喪失にもつながってくるし、そこでアイデンティティーが失われてしまう危険もあるんじゃないかなぁって。


そんなことを考えて、グループのメンバーに自分の思いを伝えました。
他の子の思いも聴いてみると、同じように「役割の喪失」とか「家族との関係性の変化」っていう問題を考えた人ばかりで。
身体的な不自由っていうよりは、心の問題に焦点が集まっていたように思いました。


グループで話し合って行き着いたこの時点でのまとめは。

まず腕を切断したことによって身体の障害が生じる。
(日常生活のなかで不自由に感じることが出てくる9
 ↓
家族への遠慮、自分の役割が遂行できないことへの焦りといった、心の問題が生じる
 ↓
自分のアイデンティティーや居場所を認めることができなくなる
(自己価値の低下)
 ・
 ・
 ・


に関わっていくために、うちらに何ができるよ?って話になって。

「居場所を見つけるための手助け」ができるんじゃない?って。
自分に自信をもって、価値を認めて居場所を見出すためには、「自分にできることをみつける」「他者から必要とされていることを知る」ことが重要だよねって。
そこでOTにできることって何だろう・・・って考えた時に、ちょっとつながりが見えた気がしたの。

まず、その方が何をできるようになれば自分のアイデンティティーを見出せるのかを考えて。
それをできるようになるためにはどんな動作・機能が必要になるのかを考えて。
更にその機能を伸ばして動作ができるようになるためにはどのような訓練が必要なのかを考えて。

つまり、機能訓練が先にありき、じゃなくて、その方の居場所だったり、大切にしているものだったりを考えたうえで、それらを大事にするための手段として機能訓練は存在するに過ぎないんじゃないかって。


その方と関わるうえで、機能訓練はひとつの手段にしか過ぎなくて、OT=機能訓練、リハビリテーション=機能訓練じゃないんだなぁってことを今回すごい感じたの。

しょうくんが最初に言ってた「OTの視点」っていうやつはさっきの進行軸(大切なものが先にありきでそれを大切にするために必要な機能やそれを伸ばす訓練法を考えていく)みたいな捉え方なんじゃないかなぁって思ったんだー。



この話してて、看護もリハも医師も・・・っていう医療職の仕事って、みんな根本は一緒なんじゃないかなぁって思って。
同じような視点(対象の大切にしているものを大事にして、そのために自分ができることを手段として用いる)でものをみているんだけど、それぞれ引っかかる部分(問題と思う部分)や介入できる箇所(自らの持つ能力を活かして関われる場所)が違ってるのかなぁって。

なんかさ、看護だけで話してる時は「看護師ってこれが専門性です!っていえる部分がないから専門職としてはいまいち弱いよねぇ」とか色々愚痴ってブルーになってたけど、同じようなことリハ学生だって感じてるんだなぁって思ってすごい新鮮だったの。
看護学生からしたらリハってすごい専門的な分野のように思えるし、そんな悩み持ってるなんてまったく思ってもみなかったからさ。
今までは“他の職種について知りたい”と思ったとき、看護との違いを見出すことにばっか目がいってたのかも。
「看護師とは」って考えることに一生懸命になり過ぎて、違いだけみて、一緒な部分まったく見ずにきてたんだなぁーって気付かされた。


2時間っていう短い時間ではあったけど、他のどのセッションにも負けないくらい、色々考えさせられた分科会だったのです。
いい機会を与えてもらったなーと思います。
ありがとうねしょうくん。
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1 コメント

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Unknown (あゃ)
2006-09-02 11:20:38
先日ゎいぃ情報andアドバイス本当にぁりがとうござぃました☆〃



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