これまで彼女を愛して下さった皆さんにお礼を申し上げます。
8月18日の再入院では、オキシコンチンとオキノームで痛みを和らげつつ、左鎖骨リンパ節の腫瘍を放射線治療でたたくのが目的でした。
放射線治療は順調に進んでいましたが、9月10日のCT検査で肺にも小さなガン細胞が点在しているのがわかった。
その後体調はすぐれず、18日のMRI検査では新たに肝臓に3個できているのを確認。
そのうちのひとつがかなり大きく、以前のような腹部の痛みと発熱・貧血に悩まされました。
この日から疼痛対策のデュロテップパッチを2枚貼る事になり、副作用でふらふらになってしまう。
彼女が戦っていたガンは難治癌らしく、進行がものすごく速い。
放射線でたたいている間にも他の部位に次々と出現してくるので、担当医も参ってました。
ガンの痛みは当人しかわからず、看病する身内でも決して理解できないものらしいです。
しかし彼女は「痛い」とは言うけど、苦痛の表情も見せず悲観的な言葉や不平不満も一切言わず、ひたすら私に心配や負担をかけないようにしていたのではないか…
10月に入ると1日中ベッドで横になっている日が続きましたが、「今日は調子が悪い」くらいしか言いませんでした。
10月5日は「今日は昨日よりも調子が良い」と言いましたが、決して良いなんて事は無く、私は深刻な状態だというのにも気づきませんでした。
10月6日の夜、「あ~、辛いなぁ… なんで今日はこんなに辛いんだろう。」弱気な言葉を一言だけ聞き、面会時間ぎりぎりまで一緒にいました。
帰る間際に好きな番組のビデオ録画を頼まれ、久しぶりにキスをして別れました。 笑って「ひさしぶり~」と言いました。
それが最後の言葉。
翌朝急変の連絡が入り、病院に駆けつけた時は視線が定まらず声も発せなく、不安定に体を動かしているだけ…。
午後2時あたりから体も動かせなくなり、4時1分、静かに心停止。
肝臓が全く機能していなかったようです。
かなり辛く、痛みも激しかったはずです。
担当医は生前に言ってました。「彼女はすごく精神が強い。驚くばかりです。」
決して諦めてませんでしたが、このような結果も頭の中にはあったのでしょう。
家の中の重要書類はきれいに整理されており、あまり見せたくないであろう物は処分されていたように思われます。
そんななかで入院中も他の患者を励まし、自分の事よりラヴ(飼っているトイ・プードル)の事を心配し、私に負担をかけないように平気を装いひとりで逝ってしまった。
私の大切な人は居なくなってしまいました。
葬儀には多くの知人・友人が駆けつけ、みんな泣いていました。
改めて彼女の人柄や性格の良さをひしひしと感じ、私も多くの涙を流しました。
何物にも代えられない人を亡くしました。
心の底から、一生共に歩いて行く人だと思っていたのに…
彼女は病気になってから変わりました。
真剣に自分と向き合い、自分の運命を探り、最後まで病気と闘っていました。
ありとあらゆるマインドコントロールもしておりました。
この二年で、冗談では無く、人生を悟ったのではないかと思ってます。
乳ガンで左乳房全摘を告知された時には泣いていました。
これが私の寿命だから、胸を取るくらいならそのまま死んで行くと…
弱気になったら終わり、投げやりになったらそこまで…
諦めたら人生は終わる。
「諦めるのは寿命でも運命でもない、勇気を持って立ち向かってこそ本当の運命がわかるのではないか?」
そう言ったのは私自身であるが、それを全うした彼女はすごい。 尊敬する。
共に歩くことは出来なくなったけど、彼女との10年間は忘れられない大きな財産です。
死ぬまで大切にしたいと思います。
私の運命のひとつだと思うから…
ここを見てくれている方がどれだけいたのかわかりませんが、彼女に代わって報告させていただきました。
結果はどうであれ、彼女の生き様が闘病中の方の心の拠り所になれば幸いです。
今まで応援していただきまして、本当にありがとうございました。
何の力も無かった、しぃの「彼氏」より
8月18日の再入院では、オキシコンチンとオキノームで痛みを和らげつつ、左鎖骨リンパ節の腫瘍を放射線治療でたたくのが目的でした。
放射線治療は順調に進んでいましたが、9月10日のCT検査で肺にも小さなガン細胞が点在しているのがわかった。
その後体調はすぐれず、18日のMRI検査では新たに肝臓に3個できているのを確認。
そのうちのひとつがかなり大きく、以前のような腹部の痛みと発熱・貧血に悩まされました。
この日から疼痛対策のデュロテップパッチを2枚貼る事になり、副作用でふらふらになってしまう。
彼女が戦っていたガンは難治癌らしく、進行がものすごく速い。
放射線でたたいている間にも他の部位に次々と出現してくるので、担当医も参ってました。
ガンの痛みは当人しかわからず、看病する身内でも決して理解できないものらしいです。
しかし彼女は「痛い」とは言うけど、苦痛の表情も見せず悲観的な言葉や不平不満も一切言わず、ひたすら私に心配や負担をかけないようにしていたのではないか…
10月に入ると1日中ベッドで横になっている日が続きましたが、「今日は調子が悪い」くらいしか言いませんでした。
10月5日は「今日は昨日よりも調子が良い」と言いましたが、決して良いなんて事は無く、私は深刻な状態だというのにも気づきませんでした。
10月6日の夜、「あ~、辛いなぁ… なんで今日はこんなに辛いんだろう。」弱気な言葉を一言だけ聞き、面会時間ぎりぎりまで一緒にいました。
帰る間際に好きな番組のビデオ録画を頼まれ、久しぶりにキスをして別れました。 笑って「ひさしぶり~」と言いました。
それが最後の言葉。
翌朝急変の連絡が入り、病院に駆けつけた時は視線が定まらず声も発せなく、不安定に体を動かしているだけ…。
午後2時あたりから体も動かせなくなり、4時1分、静かに心停止。
肝臓が全く機能していなかったようです。
かなり辛く、痛みも激しかったはずです。
担当医は生前に言ってました。「彼女はすごく精神が強い。驚くばかりです。」
決して諦めてませんでしたが、このような結果も頭の中にはあったのでしょう。
家の中の重要書類はきれいに整理されており、あまり見せたくないであろう物は処分されていたように思われます。
そんななかで入院中も他の患者を励まし、自分の事よりラヴ(飼っているトイ・プードル)の事を心配し、私に負担をかけないように平気を装いひとりで逝ってしまった。
私の大切な人は居なくなってしまいました。
葬儀には多くの知人・友人が駆けつけ、みんな泣いていました。
改めて彼女の人柄や性格の良さをひしひしと感じ、私も多くの涙を流しました。
何物にも代えられない人を亡くしました。
心の底から、一生共に歩いて行く人だと思っていたのに…
彼女は病気になってから変わりました。
真剣に自分と向き合い、自分の運命を探り、最後まで病気と闘っていました。
ありとあらゆるマインドコントロールもしておりました。
この二年で、冗談では無く、人生を悟ったのではないかと思ってます。
乳ガンで左乳房全摘を告知された時には泣いていました。
これが私の寿命だから、胸を取るくらいならそのまま死んで行くと…
弱気になったら終わり、投げやりになったらそこまで…
諦めたら人生は終わる。
「諦めるのは寿命でも運命でもない、勇気を持って立ち向かってこそ本当の運命がわかるのではないか?」
そう言ったのは私自身であるが、それを全うした彼女はすごい。 尊敬する。
共に歩くことは出来なくなったけど、彼女との10年間は忘れられない大きな財産です。
死ぬまで大切にしたいと思います。
私の運命のひとつだと思うから…
ここを見てくれている方がどれだけいたのかわかりませんが、彼女に代わって報告させていただきました。
結果はどうであれ、彼女の生き様が闘病中の方の心の拠り所になれば幸いです。
今まで応援していただきまして、本当にありがとうございました。
何の力も無かった、しぃの「彼氏」より