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育鵬社版歴史教科書を読んで  その7

2015年06月04日 | 憲法守るべし
教科書「新しい日本の歴史」は日中戦争を次のように説明している。
「日本は義和団事件の後、条約により北京周辺に5000人の軍を駐屯させていました。1927(昭和12)年7月、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍は何者かに銃撃を加えられ、中国側と打ち合いとなりました。(盧溝橋事件)。これに対して日本政府は不拡大方針をとる一方で、兵力の増強を決めました。その後も日本軍と国民政府軍との戦闘は終わらず、8月には日本軍将校殺害をきっかけに上海にも戦闘が拡大しました。ここにいたって日本政府は不拡大方針を撤回し日本と中国は全面戦争に突入していきました(日中戦争)。」

ここでも、その都度繰り返されてきた「“合法的に”駐屯していた日本軍」という印象を受ける書き方がされ、「日本軍が銃撃された」ので戦争になり、「日本の将校が殺されたので」戦争は止まず拡大したと受け取れるような説明をしている。

銃撃したのは誰かについて今も確かなことは分かっていない。日本軍は中国軍の不法射撃とみて中国軍への攻撃を開始した。
日本政府と現地駐屯軍は「事件不拡大、現地解決」の基本方針を決め、4日後、中国軍との間で停戦協定が成立した。日本政府が基本方針を守っていれば、戦争が拡大することはなかったはずだが、教科書は「不拡大方針をとる一方で、兵力の増強を決めました」とわけのわからない説明しかしていない。 
停戦協定が成立した同じ日に、日本政府は現地の状況を完全に無視した「中国軍の不法行為は、計画的武力抗日である」との判断の下に大軍の派遣を発表した。これによって「戦闘は終わらず」、「上海にも戦闘が拡大し」、日中「全面戦争に突入して」いったのだ。
「上海にも戦闘が拡大」したのは約1か月後の8月13日だから、教科書の記述「ここにいたって不拡大方針を撤回し」は正しいと言えない。「数日で撤回した」というのが実際だ。
盧溝橋で銃撃したのが誰かはいまだに不明だが、その事件をきっかけにして日中の全面戦争に拡げたのが日本政府・軍であったことは明らかである。

さらに、教科書は「その間、何度か和平交渉が行われましたが、日本軍も、米ソなどの援助を得ていた蒋介石も、強硬な姿勢を崩さず、和平にはいたりませんでした。」と書き、脚注には(南京占領のとき)「日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。この事件の犠牲者数などの実態については、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている。」という説明を付けている。

これまた歪めた書き方である。和平にいたらなかったのは、日本にも中国側にも責任があったような書き方で、侵略していった方と侵略に抵抗した方を“どっちもどっち”式に教えようとするところにこの教科書の特質が表れている。
南京事件にいたっては、「さまざまな見解があり」と書くことで、あたかも南京事件ははっきりしない出来事のように思い込ませる。
しかし、諸説あるのは「犠牲者数だけである」といっても間違いではないほどに、日本軍によって大虐殺が行われた事実は明白である。犠牲者が30万人であったのか、20万人であったのか、たとえ1万人であったとしても史上まれな大虐殺であった。論争の余地はない。

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