成澤宗男の世界情勢分析

バイデンが国務省に入れた極右の正体②

 オバマ政権の第一期目(2009年1月~13年1月)では、対ロシア外交の「リセット」が重点とされたのは良く知られている。この政権の後半まで米ロ関係は比較的良好であり、①米軍のアフガニスタン空輸作戦におけるロシアの空域使用許可(09年7月)②オバマのモスクワ訪問と大統領(当時)のドミートリー・メドヴェージェフ、及び首相(当時)のウラジミール・プーチンとの会談実現(同)③米ロの「新戦略兵器削減条約」(START)の調印(10年8月)④米国の賛同によるロシアのWTO(世界貿易機関)加盟実現(12年8月)等は、その象徴的な事例として記憶されている。
 一方で、プーチンは、メドヴェージェフに代わり大統領に返り咲いた12年5月を前後に大規模な抗議行動が起きたことについて、国務長官だったヒラリー・クリントンの名を挙げて「米国の関与」を非難。以降、急速に両国関係は悪化していく。同年5月には、ロシア軍参謀長のニコライ・マカロフ(当時)が、東欧に米軍が配備したミサイル防衛網への「先制攻撃」を示唆。7月にはロシアの2機の戦略爆撃機Tu-95がアラスカ上空を飛行し、8月にはロシアのアクラ級攻撃型原子力潜水艦がメキシコ湾内を遊弋するなど、プーチンの強硬姿勢が目立ち始めた。
 そして13年1月に発足したオバマ2期目政権は、これに対抗するかのように、もはや「リセット」を以前ほど重要視しない意図を反映するかのような人事が目を引いた。11年3月のリビア空爆を先導したヒラリーが退陣したが、同じく軍事攻勢路線に関し中心的役割を果たし、「リベラル介入主義者」と呼ばれたサマンサ・パワーが国家安全保障会議の特別顧問から国連大使に就任。さらに同じ立場と目されたスーザン・ライスが、国連大使から国家安全保障担当大統領補佐官に移動した。両者はロシアへの敵意を隠さない共通点があり、オバマの対ロシア政策の転換を印象付けたのは疑いない。
 この人事に付随して、ヴィクトリア・ヌーランドの国務省スポークパーソンから国務次官補への移動があったが、前二者ほど注目された形跡は乏しいものの、「スポークスパーソンとして国内の反対派に対するクレムリンの弾圧を『魔女狩り』と非難し、ロシアへは強硬な態度を取る」(注1)姿勢から、さらにそうした印象を強めたはずだ。
 米国の国際政治学者を代表する一人であるスティーヴン・ウォルトは、この前二者の「リベラル介入主義者」とヌーランドに代表されるネオコンの違いについて、前者が国連など「国際的制度」について「米国の支配を正当化するのに役立つ分野」と見なすのに対し、後者はそれを「米国のパワーにとって拘束物」だと「見下す」傾向にあるという。だが両者とも、「民主主義の価値を激賞し、米国のパワー、とりわけ軍事力を政治的手腕の高度に友好的な手段と信じる」点において共通しているとする。(注2)

ネオコンと「リベラル介入主義者」

 実際、米国の対外政策とその実行を担う立場として、「リベラル介入主義者」とネオコンに決定的な違いがあるとは思えない。前者を代表するヒラリー・クリントンを、ネオコンと同一視する見方もある。実際、ヒラリーが16年の大統領選挙を闘った際は、ロシアとの関係改善や対外軍事活動の見直し・縮小を掲げたドナルド・トランプを嫌ったロバート・ケーガンやウィリアム・クリストルといったネオコンの主要メンバーが、従来の共和党との関係の深さにもかかわらず一斉に彼女の支持に回った。
 ヌーランド自身も、ヒラリーとの関係が深い。ブッシュ(子)政権2期目にNATO大使に栄転してブリュッセルで勤務していたヌーランドは、民主党のオバマ政権が09年に誕生するのを待たずに08年5月から国務省の要職を離れて、しばらく海軍大学で教鞭を執っていた時期がある。だが、ヒラリーは国務長官在任中に、ヌーランドを国務省に戻している。
 これについては、「ヒラリーの裁量によって任命された人々にとって驚きだったのは、彼女が(共和党系と見られていた)ヌーランドを海軍大学での無名の状態から引き揚げ、国務省のスポークスパーソンに任命したことだった。これが、ヌーランドが影響力を及ぼすことにつながる道となった」(注3)という逸話がある。
 スポークスパーソンとしてヌーランドは、ヒラリーと共に80カ国以上を訪問し、記者会見設定やブリーフィング等の日々の業務をこなしながら助言者としての役割も果たしたとされ、緊密な関係を築いた。いずれにせよ細かい区分はどうあれ、超タカ派のヒラリーの系列としてのパワーとライス、ヌーランドという三者の布陣は、オバマ二期目政権の何らかのロシアに対する政治的メッセージであったのは確かだろう。
 ただヌーランドについては、当時その反ロシア姿勢について「過大に受け止めるべきではなく、彼女はチームプレイを重視し、大統領と国務長官の政策を支持するだろう」(注4)と予測する向きもあった。だが、これは完全に外れてしまう。ヌーランドは「チームプレイ」どころか明らかに暴走を重ね、今日まで続いている米国の対ロシア政策の決定的な悪化要因を作り出すまでに至る。言うまでもなく、14年2月のウクライナクーデターヘの関与に他ならない。
 おそらく冷戦終結後、再び「新冷戦」と呼ばれるような逆行現象をもたらす要因となったという意味で、このウクライナクーデターは、後世の歴史家にとって21世紀前半に起きた重大事件として位置付けられるだろう。同時に、クーデターが数度にわたる欧米の経済制裁の口実となっている「クリミアのロシア編入」につながっているにもかかわらず、これほどまで真相が理解されていない事例も珍しいのではないか。

ネオナチと結託した米国

 今やプーチンの「悪魔化」の原点にされたかのような感すらあるが、主要メディアが流す「腐敗した親ロシアの大統領が民衆の抗議で打倒された」式のウクライナ報道に無自覚でいる限り、ヌーランドの危険性は見えてこない。
 1980年代にレーガン政権の最大のスキャンダルであったイラン・コントラ事件の追及で名を高め、18年1月に病死するまで米国の調査ジャーナリズムの第一線にいたロバート・パリ―はクーデターの翌年、以下のようにその実像を描いている。
「ヌーランドは、2014年2月22日の『政権打倒』の背後にいた『首謀者』だった。彼女は民主的に選出されたヴィクター・ヤヌコヴィッチの政府の転覆を企てて、一方でいつも騙されやすい主要メディアに対し、実際はクーデターではなく『民主主義』の勝利だと信じ込ませた」
「このネオコン主導の『政権打倒』の最新版を米国民に売り込むため、クーデターの実行者の醜悪さが塗装されて隠されている。とりわけ、クーデターの中心的役割を果たしたのがネオナチや極右ナショナリストたちである事実だ」
「現在まで西側の主要メディア、とりわけ『ワシントン・ポスト』と『ニューヨーク・タイムズ』は読者に真実を告げるのを避けるために、彼らの報道をあらゆる種類の偏向を伴って歪曲して流した。その真実とは、ウクライナにクーデター後に登場した政権は、ロシア系住民を除いてウクライナの純血だけを望むようなネオナチ活動家と極右ナショナリストが浸透し、さらにそうした集団に依存しているという事実なのだ」(注5)
 パリーはこうした「(政府に)不都合なこと」を書くとこと、すぐ「ロシアの手先」呼ばわりされると皮肉っているが、現在はさらにその傾向が強くなっている。だが「真実」は当時の検証を試みれば消却不可能であり、戦後の欧州でネオナチ主体の勢力が、民主的に選出された政権を暴力で転覆するという驚くべき初の事件が起きたというのが、欧米政府・主要メディアが未だに口をつぐんでいるウクライナのクーデターの本質なのだ。そしてヌーランドが「民主主義」どころか、キエフのマイダン広場を中心に騒乱を先導したネオナチと連絡を取り合っていたのは間違いない。
 

ヌーランドが象徴する米国「外交」の野蛮

 ウクライナのネオナチを代表する勢力としては、戦前のナチスドイツ協力者で、ユダヤ人やポーランド人の数万人に及ぶ殺害に手を染めたステパーン・バンデーラの「ウクライナ民族主義者組織」の直系である「スヴォボダ」(自由)が良く知られている。
 党首のオレフ・チャグニボクは、「ロシア野郎とユダヤから国を解放する」というのが口癖で、集会ではナチスドイツ式の片手を掲げる敬礼をする。そのチャグニボクが、クーデター直前の2月6日に満面の笑みを浮かべたヌーランドと撮影された写真がインターネット上に出回っているが、両者の関係を如実に示していよう。この写真には、次稿で触れる反政府派のヴィタリー・クリチコ、及びアルセニー・ヤツェニュクの姿もあり、大統領のヤヌコヴィッチ打倒について協議した際に撮られたと思われる。
 米国務省の序列4位の外交官が、公然とネオナチの党首と会談しているというだけでスキャンダラスなはずだが、少なくともワシントンでこの事実がヌーランドの政治生命に影響を及ぼした気配はない。しかもヌーランドはクーデター前にマイダンに集結していた抗議者に対し、菓子を配ったエピソードについてもよく知られているが、通常であれば首が飛ぶか、降格されるケースだ。例えば仮に日本で15年9月に、戦争法(安保法制)の採択をめぐり騒然となっていた国会周辺に中国外務省の高官が訪れ、菓子を配りながら反対派を激励したらどういう事態になるか、容易に想像できるだろう。
 これらは米国の「例外主義」の産物であり、あるいはその「外交」のただならぬ野蛮性、無軌道ぶりの証明でもあろうが、こうした基盤なくしてヌーランドのクーデターでの立ち回りは不可能であったろう。だがさすがの米国議会でも、ネオナチの存在が問題視されるのを免れなかった。14年5月9日に開かれた下院外交委員会欧州・ユーラシア小委員会では、出席したヌーランドが共和党議員のダナ・ローラバッカー(当時。19年に引退)から厳しい質問を浴びせられる一幕があった。
 ローラバッカーは共和党内でも珍しい「ハト派」として知られ、イラク戦争に賛成したのを「誤りだった」と認め、アフガニスタンからの即時撤兵を主張していた。他の議員とは違って、このような感性がなければウクライナのネオナチに関心を引かれはしなかったろう。ヌーランドとのやり取りの一部を、紹介する。
「ローラバッカー:ウクライナでは正当な選挙が実施されたが、正当に選ばれた大統領が街頭での暴力で追放されました。ネオナチと呼ばれているような人々が動き回っている写真があります。ネオナチが街頭での暴力に関わっていたのではないですか。
ヌーランド:まず第一に、マイダンでの運動に参加したのは大半が平和的に抗議する人々でした。母親とか、おばあさんとか、退職者も」
ローラバッカー:ネオナチが写っている写真や、多くの人が警官隊に火炎瓶を投げつけている写真があります。そうした人たちが、警官を射撃している写真も。確かに花を持った母親もいたが、抗議行動に参加した街頭で暴れ回った極めて危険な人たちもいました。質問は、抗議行動にネオナチも含まれていたのではないのか、ということなのですが。
ヌーランド:大変好ましくない人たちも含め、いろいろなウクライナ人がいましたから」
 
米国がウクライナに50憶ドル流していた

 ここではヌーランドは、努めて自身と協力していたネオナチの存在を明言しようとしていない。「母親とか、おばあさん」の類の人々が、最終的に大統領がロシアに逃亡せざるを得ないような騒乱状態を警官隊とのゲバルトを制して生み出せるはずがなく、いかにも苦しい様子がありありだ。
 ヌーランドはすでにヤヌコヴィッチに対する抗議行動が高まっていた13年12月13日、大手石油会社のシェブロンがスポンサーに付いた「米国・ウクライナ財団」主催の集会で講演した際、当時5週間で3度のウクライナ訪問を重ねたと述べながら、米国はウクライナが独立した1991年以降、「安全で繁栄し、民主主義のウクライナの誕生を確実なものとするため、50億ドル以上を投じてきた」という注目すべき事実を明らかにしている。(注6)
 50億ドルとは大変な額だが、要するに「民主主義」という口実で、旧ソ連圏のウクライナを自国の都合の良い国に仕立て上げるための工作資金だろう。当然、密接に協議を重ねたと見られるチャグニボクらネオナチにもこの種の資金が流れたとしても不思議ではない。
 だが、クーデター後の14年4月22日に放送されたCNNのニュース番組に出演したヌーランドは、奇妙な発言を残している。番組で「50憶ドル投資したというのは事実か」と問われ、改めて「米国は1991年以降、ウクライナに約50憶ドルを投じてきた」と繰り返しながらも、直後に「マイダンを支援する資金はおそらく支出してはいない。それは、自発的な運動だ」などと付け加えたのだ。(注7)
 この「マイダン」とは、誰が考えてもマイダン広場に集まったネオナチを中心とした武装集団も含むはずだが、明らかに不自然さを伴う。当時、すでにクーデターとネオナチの関係が指摘され始めており、だからこそわざわざ聞かれてもいないのに「おそらく支出していない」などと逃げを打ったのだろう。5週間で3度も頻繁に訪れた決定的なクーデターの現場に限って工作資金が対象外にされたというのは、いかにも説得力を欠く。
 無論、一人の国務次官補だけの力でクーデターを仕掛けられるはずもない。オバマは15年2月1日に放送されたCNNの番組に出演した際、「ウクライナの政権移行に関する取引を仲介した」と述べ、暗にクーデターに関与した事実を認めた。それにしても、こんな露骨な内政干渉をやってのけながら、「ロシアの選挙干渉」などという根拠不明の非難に国を挙げて極度の興奮状態に陥る米国の厚顔無恥ぶりには、不快を通り越して不気味でさえある。1953年8月のイラン、1973年9月のチリ等々、他国に「干渉」してクーデターを仕掛けた例はいくらでもあるにもかかわらずだ。

背後にあるオバマの対ロシア戦略転換

 おそらく13年1月の第二期目政権の発足前後に、オバマはそれまでロシアを国際舞台でのパートナーとして「リセット」を試みた路線を放棄し、一転してロシアの新たな「封じ込め」や影響力の排除、さらに最終的にはプーチン体制の転覆まで展望した戦略にシフトした形跡がある。そこでは、ロシアからのウクライナの「切り離し」が優先的課題に浮上したのは疑いない。
 その背景としてよく指摘されているように、オバマのメンターであったズビグネフ・ブレジンスキーの「ウクライナの支配力を保持したロシアであれば、確固としたユーラシア帝国の指導者としての地位を追い求めることができるが、……ウクライナとその5200万人のスラブの友邦を欠くならば、いかにユーラシア帝国の再構築を試みようが、非スラブ民族によって民族的、宗教的に掻き立てられた長引く紛争に巻き込まれた存在でしかなくなるだろう」(注8)という、地政学のテーゼの影響があったと考えて不自然ではないはずだ。
 この認識は、「軍産複合体」の中枢においても共有されているようにも思えるが、ヌーランドはこうしたオバマ(そしておそらくはジョー・バイデンも含めて)の意図を一身に担って、外交官の範疇に収まらないスタイルでクーデター工作に専心した。それは明らかに独走あるいは暴走ですらあったはずだが、政権内で許容されたのは、当時の次のような事情があったためのようだ。
「(ウクライナのような)重大な危機にあっては、こうしたデリケートな任務は通常であればヌーランドの上司、すなわち国務次官のウェンディ・シャーマンに託されるだろう。だが当時シャーマンは、イランとの核交渉を主導するという極めて重大な任務を負わされていたことが、ヌーランドに国務次官補としては異例の裁量の範囲と影響力を与える結果となった」(注9)
 なおシャーマンは、オバマ第二期政権が発足した13年の7月に国務次官に就任。ヒラリー・クリントンの直系であり、ヒラリーが08年の民主党内の大統領候補指名予備選挙に立ってオバマと争った際、ヒラリー陣営の顧問だった。「リベラル介入主義者」と見なされており、その人事はパワーやライス、ヌーランドの配置と同じ政治的メッセージが込められていたと見られなくもない。今回のバイデンの新政権に国務副長官として入閣しており、立場上は国務次官のヌーランドの上司という関係が復活している。(この項続く)

(注1)Three Women and Russia(https://imrussia.org/en/world/498-three-women-and-russia)
(注2)What intervention in Libya tells us about the neocon-liberal alliance(https://foreignpolicy.com/2011/03/21/what-intervention-in-libya-tells-us-about-the-neocon-liberal-alliance/
(注3)Stop Biden’s Neocon Nominee To The State Department (https://www.theamericanconservative.com/articles/stop-bidens-neocon-nominee-to-the-state-department/
(注4)1と同。
(注5)The Mess that Nuland Made(https://consortiumnews.com/2015/07/13/the-mess-that-nuland-made/
(注6)The United States spent $5 billion on Ukraine anti-government riots(https://www.politifact.com/factchecks/2014/mar/19/facebook-posts/united-states-spent-5-billion-ukraine-anti-governm/
(注7)Since 1991 US has invested $5 billion to promote democracy in Ukraine, but they did not finance Maidan – Nuland(https://www.unian.info/politics/910206-since-1991-us-has-invested-5-billion-to-promote-democracy-in-ukraine-but-they-did-not-finance-maidan-nuland.html)
(注8)Zbigniew Brzezinski『The Grand Chessboard: American Primacy and its Geostrategic Imperatives』(Basic Books 1997)
(注9)The undiplomatic Diplomat(https://foreignpolicy.com/2015/06/18/the-undiplomatic-diplomat/)

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