アロマとシネマと時々旅

気持ちいい香りを探して…
時には読んだ本のことや日々のいろいろ…

旅供本

2019年05月19日 | Weblog
先日の、長いゴールデンウィークの半分を田舎で過ごすために、私は2冊の本を移動のお供にすることにしました。

1冊は『大人の里山さんぽ図鑑』



この本を一言でいえば、"里山観察"といった感じでしょうか。
ちなみに著者の方いわく、"里山"の定義はとくにないそうですが、『一般的には里を取り巻く野や水辺や、さらには林や森また身近にある山を含めたフィールド』を指すそうです。
都心ではなかなか難しいのかもしれませんが、少し郊外に出かけると、あっという間に"里山"と呼べるような場所がまだまだあります。
そして、ふだん何気に身近に咲いている植物にも、ちゃんと名前があり季節ごとにちゃんと咲いているのだと、この本を読んで改めて勉強になりました。
たくさん植物の名前が言える大人になったら、かっこいいのにな~と。今さらですが。

そして私の心をつかんだ"エライオソーム"
少し前まで、本屋さんで見かけた"どんぐり"本で、"どんぐり"にハマりそうだったのですが、ここにきていい感じで"エライオソーム"が並びました。
子供の頃に見かけた…時々蟻ンコが運んでるものは、これだったのか!!


そしてもう1冊は『旅をする木』
著者は、1996年に亡くなられた星野道夫さんです。



お名前もこの本も、もちろん生前から知ってはいたのですが、「なぜ今読むのか」という自分への自問…そしてその自答を探しながら…

改めて、こんなにも(星野さんが)夢中になる"アラスカ"で命を落とされたことが残念で、けれどそれは…よくいう「好きなことをして亡くなったんだから」という言葉では片づけられない、本当に悲して悔しくて残念なことなんだな~と。
何年、何十年経っても、いち読者ではあるけれど、もっと星野さんの言葉で…写真で、アラスカの自然そして動物たちの生きている様を伝えてほしかったな~と、本当に今更ながら…なのですが。

熱風"アジア"ばかりを旅してきた(てか、お気楽旅行!)の私にとっては、真逆の旅本…目からウロコ本…でも確実にこの先も大切な本の一冊となりました。

そして「なぜ今この本を読んだのだろう」


明日からまたがんばろっ。

ヨガ再開

2019年05月12日 | Weblog
4月から始めたヨガも、最初は身体の痛さを感じていましたが、徐々に慣れ、終わった後でも痛みを感じることはなくなりましたが、それでも毎回、案外フィットネスに近い"フィットネスヨガ"とも言うべきポーズに、腕や足をプルプルさせながら心地よい汗をかいています。

そういえば…
ずいぶん昔、ジムで行うヨガに通っていたのですが、ヨガの時間になると、どこぞから重量挙げベルトを巻いたムッキムキのおじさんがやってきて、一緒にヨガをやっていたな~、なんていうことを思い出しました。
当時のヨガといえば女性ばかりだったので、ちょっと異質にも見えましたが、毎回「おぉ~、おじさん来たぞ」と、なかなか気になる存在でした。 お元気かな。


何かにつけ『体幹、体幹』と、まずは"体幹"を鍛えることが健康やダイエットへの一歩のようにいわれる昨今、
「体幹を鍛えたい」と思う以前に、身体の硬い私は、たぶんCMで長谷川潤ちゃんを見たからでしょうか、「とりあえずしなやかな身体になりたい」と憧れ、ヨガを始める、再開することを思い立ちました。
けれど…ヨガのポージングで、時々鏡に映る自分の姿は、もはや「痛たたた…」ともいうべき悲しいものです。

「3か月後には身体が変わります」という先生の言葉を信じつつ、まずは身体の一つ一つをほぐし、全身をほぐし、柔らかくしていこうと思っています。


目指すは『心も体もしなやかに』なのです。 

桜のトンネル

2019年04月07日 | Weblog
   


東京都下にある川沿いの桜。
たいして人がいません。
たぶん、地元民しか来ないであろう場所です。
写真を撮っている人なんて、周りに誰もいませんでしたから。

散りかけの花びらが舞う路面もまた風情があり、それはそれで美しく、何かを感じさせてくれるような風景です。

春の訪れを告げる梅の花や桃の花もそれはそれで美しいのですが、桜の前では華やかな"前座"にすぎず、
こんなに誰もがその咲く姿に、今か今かと心待ちにするような花は、やはり昔から『桜』なのだと思います。
そしてその姿を散るまで、散りゆく姿さえずっと楽しませてくれる桜。

季節柄とはいえ、多くの人の出会いと別れに立ち会ったであろう桜の木は、きっと人生の酸いも甘いも知っているような、頼もしい先輩のようでもあります。
そして時には心の支えとなり、生きるチカラとなり…「ありがとう、桜」なのです。


こんないろいろな思いをはせながら、ひとしきり感動した後には…やっぱりお決まりの「さて、お団子買って帰ろ!」なのでした。


今週もぼちぼちと…。

青空に桜

2019年03月24日 | Weblog
     

『青空に桜』そして『青空にコブシの花』

ここはいつもの総持寺です。



これから咲きそうなものばかりでしたが、中にはすでに咲いているものもあり、しばらく楽しめそうです。

芝生の上では子供連れの家族が数組、ピクニックをされているようでした。「のんびりと良いものです。」

そういえば…
子供の頃に神社の境内を遊び場としていた私ですが、思いがけず今年の初詣で何年かぶりに行くことになり「当時はかなり罰当たりな遊びもしていたような…」と、ふと思い出し、お願い事とともにコッソリ謝罪をしてきました。

小さい頃から神社仏閣が身近にあり、当たり前のようにふれられることは、個人的には大切で良いことだと思っています。
地元のいろいろな歴史や生活を学ぶこともできるし、精神を学んだり鍛えたり癒されたり…
はるか昔の頃は、神社やお寺もきっともっと身近なものだったのでは、と思います。
学校があり、寄合所があり、いろいろな相談ができる場所…

そんな時代に、悩み多き今の自分がいたら、お寺の和尚さんに"喝"を入れられそうですが。

また解決できない悩みでいっぱいになった頃に行ってみたいと思います。


そして「自問自答の繰り返し」  ん!?コブクロの『DOOR』!?

青空に木蓮

2019年03月18日 | Weblog
気がつけばモクレンの咲く時期となっていました。
「この時期は"青空に木蓮"がよく映えます」…と言いつつ、ご近所さんのモクレンなので、遠慮がちに急いでパシャリと。
ずっと前に住んでいた家のお向かいさんちにもハクモクレンの木があって、やはりこの季節がいつも楽しみでした。

モクレン、タイサンボク(マグノリア)、コブシなど、ざっくり言うと『モクレン科』の木に咲く花が好きで、子供の頃は、ちょっとした山で見かける花であり、気にも留めなかったものが、大人になってこうして都会の住宅街、街路樹で見かけたりすると「そういえば子供の頃に咲いてたね」と、いろいろな思い出とともに思い出し、妙に懐かしく優しい気持ちにさせてくれる、私にとってはそんな花たちなのです。

地元の中学校の裏山に咲いていたコブシの花。
1年生のクラス担任だった女性の先生が、コブシを"クラスの花"としたこと。
後から知ったのですが、コブシの花言葉は『友情』 
まさに学生に相応しい花だったのですね。

ちなみに、コブシは3月8日の誕生花らしいです。
さらにちなみに、今日3月18日の誕生花は『ハナミズキ』らしいです。 『ハナミズキ』…歌いたい気分です…歌えませんが。

こうして徐々に季節は春に向かっているんだと、どんなに気持ちが冬眠をしていようと、自然界では確実に春の準備をしています。
できればこのまま内向きに冬眠をしていたい、受け入れたくない、封印をしていたい諸々の出来事ばかりですが、その先の一歩を、いつもの自転車のペダルを漕ぐかのように、グングンと進めるように、その先の一歩をなんとか強く踏み出せるように。

モクレンにちなんで『木蓮の涙』…歌いたい気分です…歌えませんが。


春はやはり"別れ"と"出逢い"の季節ですね。

(読む前から)おススメしたい本…の続き

2019年03月03日 | Weblog
先日、客商売をしている知り合いの方とお話しをしていた際に、その方が、
「ある人(友人)に会うと疲れるんです。彼女と話しているととにかく疲れるんです。人に会うと疲れる…ありません!?そんなこと。」と聞かれたので、
「私は(普段そんなに人に会わないせいか)逆にパワーをもらえる気がして人に会っている気がする。人に会うと元気になるかも。」と答えました。
そもそも疲れそうな人には距離をおき、極力会わないようにしているのですが。

そんな会話をした後でふと、早川義夫さん(以前にも出てきたミュージシャンの方)の本【生きがいは愛しあうことだけ】を思い出しました。
その中の〈いい人は人を元気にさせる〉という見出しとともに始まった文章の一部を紹介します。

『本当のことが言えたらどんなにいいだろう。
 本当らしいことは言えても本当の気持ちはなかなか伝えられない。
 言いたいことは言えないように出来ているのではないだろうか。 
 言えなくたっていい。誤解されてもいい。
 黙っていてもわかり合える人に出会いさえすれば良い。

 いい人は人を元気にさせる。正直だ。前向きだ。すっくと立っている。
 ほどよい温度とほどよい距離を保っている。
 頑張っているから言い訳を言わない。
 精一杯だから批評は気にならない。
 納得する作品が生まれれば発表されなくたっていいと思っている。
 誇りを持っている。
 そういう人になりたい。』



 …「そういう人になりたい」…宮沢賢治のような…いや、あれは「そういうものにわたしはなりたい」だったか…(どちらでもよいです)。

きっと私の周りにいる(数少ない)友人知人たちは、みんな"いい人"なんだろうと思います。(※ただし、みんな言い訳は言わないが、愚痴は全力で言う!)
そう、時には疲れてもそれが心地よく…「(自分も)頑張ろう」って思わせてくれるのです(時には焦り感も出たりしますが)。
そしてその「頑張ろう」が、2,3日もするとすっかり忘れてしまうのですが…まぁ、いいか。

早川義夫さんの本ですが、読んでみたかった3冊が揃いました。
自分の心に正直で不思議な人です。

そして『本当のことが言えたらどんなにいいだろう…』ということで、おススメしたい1冊。
【思いを伝えるということ】大宮エリー



<思い>にもいろいろな<思い>があるものです。


今の私は…ただただ「ありがとう」という思いです。

新しい街で。

2019年01月24日 | Weblog
秋が来て、冬が来て、そしてバタバタと年末年始を迎え、大寒も過ぎたこの頃…
なんだかやっとここにたどり着きました。

半分知っている、半分新しい街での生活はまだまだ安定はしませんが、
休日ごとに、のんびりそして時に忙しく、周辺の把握だったり開拓だったり、いろいろな発見を楽しんでいる途中です。

基本は、本屋さんと美味しいパン屋さんがあればOKです。
そして、時におもしろそうなお店と、これまた美味しそうな居心地の良さそうなコーヒー屋さんがあれば、なお嬉しいです。


まだまだ寒い毎日ですが、しばらくは(購入して早5年、やっとデビューできる)自転車とともに、
川沿いの風景、また少し坂道の風景を楽しもうと思います。

そうしているうち春がやってくるのですから。

休日の横浜中華街にて

2018年09月24日 | Weblog


休日の横浜中華街にて。
「南粤美食」の海老ワンタン麺をいただく…てっ、麺が無いじゃん!
「注文は確かに''海老ワンタン麺''て言ったはずだよね」と、同行者と共に顔を見合わせたけれど…面倒くさいので、このままいただくことにしました。
どうやら有名店らしいのですが、私達が行った時には、狭い店内でしたが並んではいなくて、従業員がせっせと海老ワンタンを作っているテーブルを空けてもらいの、席確保となりました。
「おいおい、客テーブルで作業中かよ!」

「うっ、美味しい!」確かに美味しかったです。海老は『ザ・海老』プリプリだったのです。
麺が食べたかったと思いつつも、いやむしろ、海老ワンタンだけでも案外お腹が満たされいっぱいになりました。
「今度はちゃんと注文しよ!」

ひさしぶりの中華街は、やはり休日とあって人が多く、しかも皆さん買い食い立ち食い状態で賑わっていました。

中華街は昔からよく行っていたのですが、年月と共にお店や街のスタイルも変わっていって、それはそれで寂しかったりもするのですが、それでも路地の間から中国語の会話が聞こえてくると、「あー、中華街なんだ」と、妙な安心感が湧いてきたりします。

大陸のたくましさと、中国語の語気の強さに圧倒されながらいただく海老ワンタンと、いつもの聘珍茶寮の黒蜜杏仁豆腐はとても美味しかったです。

ごちそうさまでした。


(読む前から)おススメしたい本

2018年08月26日 | Weblog
『山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』

夏目漱石〈草枕〉の冒頭です。 さらに、

『住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』

なんだかふと思い出し…考えさせられ…そして反省です。


ここで本のお話。

〈たましいの場所/早川義夫(著)〉

いろいろな雑誌や出版社のHP等に書かれた早川義夫さんの文章をまとめた1冊です。
早川義夫さん…元ミュージシャン⇒元本屋さん⇒ミュージシャン復活されたらしいです。
幼少の頃から音楽マニアだった私は…早川さんの曲【サルビアの花】も、ぼんやりですが知っていたのでした。
というか、本に出会ったことで「えっ!?あの曲を作ったのが早川さん!?」と、つながったわけです。

たぶん"憧れる"ようなステキな感じではないけれど、
「なんだかこんな感じで生きていくのもいいかな~こんな感じで生きたいよね~」と思わせてくれるような、
早川さんの人間味あふれる人柄と生き方が垣間見えた、そしてなんともほっこりとさせられた、読みやすい1冊でした。
(…結構ダメ人間な私は、日々チカラを抜きながら、できればイヤなこと面倒なことは避けながら生きたいと考えているのですが、
なんだかそんな近いものを感じられ、「こんなんでもいいよね」と、妙な安心感と確かに気が楽になる1冊でした。)

実は、そもそも最初に出会った本は〈心が見えてくるまで/早川義夫(著)〉
タイトルに惹かれ、本屋さんで探したのですが見つからず、この1冊だけがありました。
〈生きがいは愛しあうことだけ/早川義夫(著)〉共々お取り寄せ中です。

読む前からおススメです。(きっと)

感想はまた次回。

特別な今年の夏。

2018年08月19日 | Weblog
あんなにも暑かった7月。
その月の終わりに、子供の頃からお世話になっていた義叔父が亡くなりました。
私とは血が繋がっていないのですが、近所に住んでいたため、家族とは何かと行き来をしていた親戚です。
5月に帰った時には既に入院をしていたため、お見舞いに行こうかどうか迷っていたのですが、何ともタイミングが合わず…
「夏に帰ったら(お見舞いに)行くね」という曖昧な言葉で帰京をしたものの、こちらもまた夏休みを取って帰ろうかどうか迷っていた中でした。

義叔父のこととは別に、私は私の中で長年抱えているものがあり、離れてみたり向き合ってみたりを繰り返して今日に至るのですが、
「また少し自分の足で歩こうかな、離れてみようかな」と思い、その報告がてら帰ってみようかなという気持ちに傾いていた頃に、訃報の知らせを受けたのです。

去年の夏、地方に住む姪たちが、田舎のお墓参りをしてくれたことを母が嬉しそうに話していたことを思い出し、
私はと言えば…「しばらく実家のお墓参りもちょっとしていなかったな」と少し反省をし、義叔父のこともあり、短い期間でしたがバタバタと帰ることにしました。

近所とはいえ、家にお邪魔をするのは子供の時以来です。
およそ、四半世紀ぶりくらいに会う従姉(※たぶんずっと前に登場したことのある…私を「ダリアの花」と言ったいとこです。)は、9か月にも及ぶ(義叔父の)闘病生活やら、自身の近況報告やらをマシンガンのように話し、田舎に一人残される母親(叔母)の心配をし、「将来のことを兄弟で話さなくっちゃね」と、この長い闘病生活の間で何ら覚悟はできていたのか、父親(義叔父)を悲しむよりも母親(叔母)の将来ばかり案じていました。
きっと…病気の本人もそうですが、家族にしてみれば本当に大変な9か月間だったと思います。
「お疲れさま」

いとこの家から帰ったその夜、思いがけずかかってきた電話は幼なじみからのものでした。
話をするのはこちらもまた四半世紀ぶりでしょうか。
しかも彼と私は、上記に出てきたいとこが共通のいとこです。(ややこしい)
もちろん、私たちは血は繋がってはいませんが。

私たちは…たぶん私が認識するには『同じ"傷"』を持っている仲です。
いえ、私だけがずっとひとり"傷"を持ったままだと思っていたのですが、この電話のひとことで、私たちは同じ傷、同じ痛みを今でも持ってる…
それは忘れてはいけない、そして忘れていない、という共通の暗号のような彼のひとことに少しホッとし、たわいもない会話でまたさよならをしました。
電話を切って会おうと思えば1分で会える距離にいたにもかかわらず、私たちはまた400㎞の距離間にお互い戻ったのです。

あれから何日か経ち…いつもの生活を送る中で、今年の夏は少し特別だったなと思い返し、私の中では思いがけず『同じ"傷"』の確認をし、そしてその報告ができたことでまた前を向いて歩いていけそうです。

義叔父の出来事で、いとこや幼なじみと再会やらお話しができ、変わったこと変わらなかったことはたくさんあるけれど、
私たちはいつだって、たとえ会わなくても、過去もこれからも繋がっているんだ、とちょっとした安心感とともに、見守ってくれているだろう誰かを想い、わけもなく「大丈夫」って心の中で呟くのでした。


きっと彼がこの夏を特別な夏にしてくれたんだと思います。

空に向かってピースサインとともに「ありがとう」を。