コメント
 
 
 
Unknown (とり)
2008-09-26 00:48:30
横須賀出身です。
地元でもあまり知られていない話ですが、神奈川で唯一の核処理施設が横須賀にあります。が、立教大学は知りませんでした。
 
 
 
夢の原子力の時代ですね。 (品川愚民)
2008-09-26 01:52:14
武蔵工大(今なんか違う名前)も五島慶太が
原子力電車を考えて炉を作りました。
原子力船むつの頃から風向きが変わったのかな?
立教炉の見学記録です。
http://www2.hamajima.co.jp/~tenjin/album/physics/rikkyo.htm
もう廃止解体届はでているようです。

今や原子力学科は今一番貧乏な科、東工大みればわかる。

 
 
 
Unknown (日美丸)
2008-09-26 19:38:48
 原子力アレルギーと言うより「軍事アレルギー」の方が強いのでは?
 TVでみる限る反対運動をしているのは「○○労連」とか「○○組合」とかの幟を掲げた人たちばかりのような
 最近「反戦平和教」は下火になっていて一般人の支持を得られにくくなっているから、日本人の変な“核アレルギー”を利用しているだけのような気がしています。
 TVのコメンテーターの多くが「横須賀に原発ができたような、もし事故があれば・・・」なんて煽っているけど、その言い方は、原発が「田舎にあるのは仕方ないが首都圏にできるのは“御免だ!”」的なエゴのように聞こえたのは私だけだろうか?
 それにしても“陸奥”の失敗は返す返すも痛いことだと思う。
 
 
 
Unknown ()
2008-09-27 00:43:24
とりさん、こんにちは、

核処理施設は忘れていました。立教のリアクターは
確か大江健三郎のエッセーに書いてあったので知りました。


品川愚民さん、こんにちは、

そうですねぇ。私が1987年に就職した会社は原子力関係の
製品も持っていたのですが、この時点で狭き門になって
いました。まぁ、企業は大学の2年強で遊びながら勉強した
「専門」なんて全然重視していませんけど。

「むつ」が放射線漏れ(放射能漏れではない)を起こしたのは
1974年なんですねぇ。半原子力の流れはこの頃からかも
しれませんね。伊方の提訴が1973年だそうで、万博の熱が
醒めた頃でもあるのかなぁ。


日美丸さん、こんにちは、

おそらくは反戦、反米なのでしょうね。しかし、マスコミの
論調はおかしいというか無知というか・・・

あと、原発はやはり都会には作れないんじゃないかと思います。
リスクは発生確率×被害量ですから、都会につくれば桁違いの
リスクになってしまいます。

「むつ」は技術的には失敗ではないんですよねぇ。試験中の
ことで放射線漏れは全くの想定外ではないし被害も出ていない。
発表の仕方を失敗した例だと思います。まぁ、商業的には
どのみち失敗だったのですが。

「むつ」の失敗がなければ今頃日本にも原潜があったかも
しれないですね。
 
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