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大本の預言を考えてみる。(再掲載2)

2023年10月13日 | 歴婆の勝手な解釈

原爆というと・・・

代理は

「思いが未来を決める」ということを思う。

わずか、15才のころか、

原爆を考え始めた。

それは、ひとつに、カメラをやっていた関係から、

ロバート・キャパの

当時

「撃たれる兵士」という写真を見たことにもよる。

「いつかは、広島に行く」

と、決心したのだが、

今、福山であるが

「広島」に居る。

ところが、もっと、考え直すと、

原爆を意識し始めたのは

小学校5・6年生の頃だった。

戦争のこと・原爆のことを親に聴いてみよう。

と、いう宿題でもあったのだろう。

新潟育ちの母から、聞かされた話は

「新潟も、原爆を落とされる候補に挙がっていた。

もしも、雲がいっぱいなければ、新潟に落とされていたかもしれない」

と、いう話だった。

その落とされる候補に入っていたのが事実かどうかは知らない。

ただ、もしかすると、すでにこの世に居なかったかもしれないのだ。

と、思った。

同級生の男の子たちは

へらへら笑って、意地悪く

「落ちて、お前がおらんようになってりゃ、良かった」

と、言うだけだった。

常日頃、白黒つけたがる性格だったため、文句をつけられた男の子は

ここぞと、意趣返しというところなのだろうけど

こういう「もしかしたら、この世に生まれていなかったかもしれない」

と、いう思いを味わったものと

そうでないものの、物の捉え方はもう、別次元のものになっていると思った。

*****

実際、今度は自分が親になってくると

子供たちが戦争・原爆をどうとらえていくか。

が、気になってきた。

教師が(それも、小学校の)が、天皇は戦犯だから、嫌いだ。

と、とんでもないことを言い放ち

それを子供の口から聞かされた。

それまでに、ある程度、話していたので

子供はむしろ

え?戦犯なの?と、びっくりしたのと

親の言うことと違う。

とで、パニックになったのだろう。

天皇が何もかも決めたなど、いい年した大人が思っていて

かつ、パールハーバーも

日本を経済封鎖して追い詰めて、手を出すように仕向けておいて

大義名分を作ったのがアメリカであり

原爆も、米国内で批判が起きないように

思想統制をおこない、

パールハーバーを忘れるな。

と、日本に原爆を落とせというような民衆心理に操った。

 

結局、天皇という存在を畏れたのが米国で

一時期は天皇を処刑するという考えであったところ

名前失念

誰だったか、日本をよく理解していた人に

天皇を処刑したら、日本人はすべていなくなるまで戦い続ける。と、諭され

米国は天皇を象徴天皇という形で残すしかなかった。

そして、最も、有名になったのが

マッカーサーの話だろう。

「ーどうせ、他の国の首相や軍人たちのように

命乞いをしてくるだろう。と、思っていた昭和天皇の口から出てきた言葉は

ー私はどうなっても良い。国民をたすけてほしいー

だった。」

マッカーサーはここでやっと

天皇に神を見たことだろう。

*****

 

出口王任三郎)の逸話・他を読んでいると

https://susanoo.jimdo.com/

王仁三郎は昭和十九年秋から「広島はひどいめにあう」と語っている。四月には、広島から中矢田農園に王仁三郎を訪問した信徒に「なにをぼやぼやしとるか」と叱り、「広島は危ないから、帰ったらすぐに疎開せよ」と指示している。 (「おほもと」昭和五十五年五月号五十一頁)。疎開指示の話は多い。

広島原爆のことは、明治三十三年旧十一月十七日の神諭(昭和四十四年『大本神諭」第二集)にも、暗示的に書かれていた。

「…この出口には、どんな夢も見せてあるぞよ。出口の屋敷に蜂が土手になりて囲みた夢みせてあろうがな。天に夜行きて、天にのぼりたちてありたことあろうがな。天につまりておろうがな。これは正真で、広島を立ちて戻りたことあろうがな。唐土の鳥がわたらん先に、やれやれ帰りたと申したことあろうがな。みな都合の夢でありたぞよ。はやく世の立替えをいたして、やまと魂にもどきんと、日本の国がなくなるぞよ。」広島原爆関連を「大本七十年史』(下巻六六二頁)から紹介すると、

「火の雨が降る。火の雨とは焼夷弾だけではない。火の雨は火の雨だ」「新兵器の戦いや」「東洋に一つおとしても、東洋が火の海となるような大きなものを考えている』

 

「昭和十九年に面会にきた広島の信者には、『戦争は日本の負けだ。広島は最後に一番ひどい目にあう。それで戦は終わりだ。帰ったらすぐ奥地へ疎開せよ』と指示。

『広島は戦争末期に最大の被害を受け、火の海と化す。…そのあとで水で洗われるんや。きれいにしてもらえるのや』敗戦直前 出口栄二著「大本教事件」(一九七〇年三一書房)二五一~二頁。

「外国軍隊による支配についても、敗戦の一週間前に綾部の山水荘(王仁三郎の居宅)で、『神風でも吹かして日本を勝たせてください」とたのんだ開祖時代からの古い信者に、『心配するな、今度はアメリカが日本にきて、ええ御用をするんや」とさとしていた。

その「ええ御用」について王仁三郎はつぎのように語っている。

『日本はな、世界を一軒の家にたとえると神床にあたるのや。所が、その神床が非常に汚れて塵挨が溜まっている。掃除をせねばならぬのだが、日本人自身にやらせると血で血を洗う騒ぎをくりかえすばかりで出来はせん。神様はマ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。つぎに座敷じゃ。世界の座敷は朝鮮と中国である。つぎに庭先の掃除が必要となってくる。世界の庭先とはソ連や米国にあたるのや』と。」

八月十五日 太平洋戦争終戦

「…この日は私(出口和明)の十五歳の誕生日であった。祝いに集まってくれた家族やいとこたちとともに、祖父を囲んで玉音放送を聞いた。

王仁三郎は「マツカーサー (負かさ)れた」と笑い出すが、私はぷいと立って家をとび出し、近くの寺川の水にもぐりこんで一人で泣いた。…」(出口和明『予言・確言」二九六頁)「八月十五日」という日については、大正時代から染筆するなど予示されていた。

「天祥地瑞」も昭和八年旧八月十五日に口述開始され、翌年新八月十五日に口述を終えている。『大本七十年史』にも、昭和十八年に長野の信徒に「二十年八月十五日に留意せよ。皆神山は安全地帯でB29の不安はない」と王仁三郎が語ったことが記されている(六六二頁)

十二月三十日、吉岡発言が大阪朝日新聞に掲載される。「…自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ。のお告げも実際となって日本は敗けた。これからは神道の考へ方が変わってくるだらう。国教としての神道がやかましくいはれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変りがあるわけはない。ただ本当の存在を忘れ、自分に都合のよい神社を偶像化してこれを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社が神様でなく、唯の人聞を祀っていることが間違いの根本だった。しかし大和民族は絶対に亡びるものでない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加はり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃した時にはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。」

昭和二十一年(一九四六)丙戊(ひのえいぬ)

*******

『広島は戦争末期に最大の被害を受け、火の海と化す。…そのあとで水で洗われるんや。きれいにしてもらえるのや』

終戦の日(しゅうせんのひ)は、一般に1945年(昭和20年)の戦争が終結した日をさす

日本は1945年  8月15日

そして、水で洗われる。これが枕崎台風のことを指すかどうかは判らないし

枕崎台風だと仮定しても、「きれいになる」という意味がつかめない。

昭和20年9月 枕崎台風 呉市,大野町 死者行方不明者2,012名

*******

枕崎台風

室戸台風伊勢湾台風と並んで昭和の三大台風のひとつに数えられる。被害者の内訳は死者2,473人、行方不明者1,283人、負傷者2,452人。終戦直後のことであり、気象情報が少なく防災体制も不十分であったため、各地で大きな被害が発生した。特に広島県では死者・行方不明者合わせて2,000人を超えるなど被害は甚大であり、原爆の惨禍に追い打ちをかけた。また、柳田邦男のノンフィクション小説『空白の天気図』の題材にもなった。

 

******

ただ、ある霊能力者の方の話によると

東北地震の津波の時、海から、いくつもの魂?が

空に上がっていくのが見えた。

海・水には、浄化の力があるのだろう。

上がっていく魂はみんな白くきれいな色をしていた。

*******

と、聞かされたことがある。

なにかしら、人智では、理解しがたい「救い」(と、いうかどうかも判らないが)が

働いているのかもしれない。

****

『心配するな、今度はアメリカが日本にきて、ええ御用をするんや」とさとしていた。

その「ええ御用」について王仁三郎はつぎのように語っている。

『日本はな、世界を一軒の家にたとえると神床にあたるのや。所が、その神床が非常に汚れて塵挨が溜まっている。掃除をせねばならぬのだが、日本人自身にやらせると血で血を洗う騒ぎをくりかえすばかりで出来はせん。神様はマ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。つぎに座敷じゃ。世界の座敷は朝鮮と中国である。つぎに庭先の掃除が必要となってくる。世界の庭先とはソ連や米国にあたるのや』と。」

******

この言葉も考えても判りかねるが

ひとつに、軍部が天皇を傀儡に仕立て上げてしまっていたことを指すのか

結局、戦争に負けなければ、

軍部は天皇の名をかぶり、傀儡政権のままだったろう。

負けとなったとき、結局、軍部では

国民を納得させることも。なだめることもできず

天皇を担ぎ出して、玉音放送に変えた。

国民のよりどころは天皇であるという事実。

そのよりどころたる存在を戦犯においつめた。

それでも、なお、天皇は日本国民の事しか考えていない。

それが神棚の掃除の一つだったろう。

勝っていれば、天皇を傀儡にしつくしてしまっただろう。

負けてよかったといえるところがあるとしたら

天皇の「真実・御心」を取り戻せたところであり、

大本の言うように

その天皇を裁く、処罰をあたえるようにしなかったことが、

ええ御用であるということだろう。

かつ、大本の言うように、日本人同士で掃除をしたら

血で血を洗うという

例えば軍部を廃掃するなどという事態になったら

目も当てられないことになっただろう。

と、考えると

はやく世の立替えをいたして、やまと魂にもどきんと、日本の国がなくなるぞよ

と、いう言葉も合点がいく。

やまと魂というのは、国を思う心であろう。

しんに国を思うものが、国(国民)を思う天皇を傀儡にするわけがない。

間違った状態であるところを

正さなければ、日本の国がなくなる。

そのいおうとするところもうなづける。

 

ひっくり返せば、

まちがった考え方のたどりついたところが

原爆投下であるのなら、

いやな言い方だが

天罰だったかもしれない。

 

そこにきがつくと、

大本の言う

マッカーサーがええようにする。と、いう意味が判ってくる。

日本人同士で掃除したら血で血をあらうというところも判る。

 

日本は天がめっこをいれてかわいがった国だ。

と、いう風に言われているのを聞いたことがあるが

どこの国に

私のことはどうなっても良いから

国民を助けてくれ

と、いってくれる「人」がいるだろうか?

こういう人が日本に居る・出てくること自体が

天にめっこをいれて、かわいがってもらっているということではないのか?

と、思えて仕方がない。


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