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古代王朝の存在はいくつ?・・・3(再掲載3)

2021年05月31日 | 古代王朝の存在はいくつ?

古代史になってくると、

非常に霊的な部分や、神という存在への

洞察が必要になってきて

この民族的?霊・神意識という

いわゆるオカルト的な伝承も含めて

まるのみでかんがえていかないと、ピンとこないところがあるのですが、

世界的な情報が、ネットで把握できるようになってくると、

奇妙なことに気が付きます。

 

例えば、ピラミッド

時代的な考証もふくめていくと、

日本がピラミッドのルーツじゃないか?

と、おもうようになってきます。

すると、稲作とかも、

日本が発祥で、インドやタイのほうに

おしえにいったか、

と、思うような事例も出て来ます。

例えば、タイ?(うろおぼえ)

稲作用語の日本語がそのまま、通じる。

粥とか稲とか、そういう言葉が同じものを同じ言葉で言われている事例がたくさん、あるわけです。

 

これだけでは

日本から、稲作が伝わったと考えるのが難しいところがあるので

今度は神社の千木に注目してみます。

すると、出雲のほうの神社などは、

縄文時代から?と思われるものがあるのですが、

まさか、縄文時代の建物がそのまま残っているわけが有りません。

朽ちれば、新しく、神社・祠・社を立て替えていくだろうと思うわけです。

その時に、神の住まい?をすきなように、かえていくことはせず、

そのままの形式を継承したはずです。

 

そこに、タイなどの千木とは意味合いの違う千木の存在が出て来ます。

女千木・男千木と推論され、

女の神様には垂直の千木 男の神様には、水平の千木

と、いう説があるわけですが

代理は、どうも、納得できず、いろいろ調べて来ました。

結果、

垂直の千木は、結界、守護の意味合い。

水平の千木は 天意を受ける。

と、いうものだと結論して

垂直の女千木を地千木

水平の男千木を天千木

と、呼び変えることしました。

 

この結論は、

伊勢神宮と日御碕神社の相違によるものからです。

ご存じのように、

伊勢神宮は水平の天千木を抱えています。

一方、日御碕神社も天千木を抱えています。

 

そして、着目したのは日御碕にある後から建てられた

天照大御神の神社の千木です。

当然、伊勢神宮のことを考えると

天千木を抱えていると考えていたのですが

事実は地千木です。

なぜ、こんなことになっているのだろうと考え調べていきますと

伊勢神宮は昼の日本を護れという天意があります。

日御碕神社には夜の日本を護れという天意が有ります。

その天からの勅命をうけたものが、

天千木を抱え、水平の部分はまさに天意をお受けしています。

と、いう表明の様に思えるわけです。

 

と、なると、

日御碕神社という天意をうけた存在が有れば

あとから、建てられた天照大御神といえど、

天意を受けた素戔嗚尊を守護し、周りからの邪魔だてを

防ぐかのように、地祇は垂直方向になっています。

 

この説が正しいかどうかはわかりませんが

タイの方にも千木を抱える風習が残っている部族があり

この酋長の家の屋根には地千木が載っています。

理屈としては、外敵を押して、部族を守護するという意味合いで

個人宅wwwにても、地千木を付けたのだと思えますが

この、地千木のルーツは聖なる牛の骨を屋根にのせ

結界・守護を張ったのが元だというのです。

牛の角の部分が千木になったということですが・・・

 

いかがでしょう?

日本の千木の意味合いはかなりの部分で

神の真意を把握し

神の上にまだ、天があるとかんがえているわけで、

非常に奥深いと思うのです。

 

タイの地千木が自然発生したのかどうかわかりませんが

仮に日本人がいけにえの様に骨を飾る姿をみたら、

ぞっとして、

木(板)で代替えにしませんかという事を提案し

実際、日本では、千木を掲げる風習があると説得したかもしれません。

 

ここが、ただの説得であれば、内部干渉であり、古来からの伝統だと

突っぱねていたかもしれませんが、

仮に稲作というものを伝えていたら、

あるいは、栽培方法、あるいはそこにかかわる治水・灌漑まで

技術提供していたとしたら、

木の地千木に賛同した可能性もあるわけです。

 

こんな風に考え始めると

もしかして、日本がなにもかもの発祥地?という

漠然とした推論が事実なのかもしれないと思うようになってきたわけです。

 

そこに、大本のいろいろな話が出て来ます。

そして、無断拝借している中の神官の霊がいったという部分も

霊がどうのこうのという存在論より以前に

その考え方がしっくり来たわけです。

そして、神官の言葉が謎ですが

「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」


「現代の人類の文明が、約6400年前にシュメールからスタートしたように、
さらにもう6400年前から始まった文明周期は、
今のあなたの国がある日本列島からスタートしたのだ」

と、いう部分をもう少し具体的に言及しているのが

 

話が変わるが、王仁三郎は次のように述べている。

「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、
イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。
このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため
富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。
中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、
富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」

 

と、いう部分で

ここも、日本が発祥の地というところを言っていますから

タイの方に稲作を伝えたのも

富士高天原から各地に降臨した天孫民族ではないかと考えると

千木の問題?もなるほどという気がしてくるのです。

 

   ****続きます***

 


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