ネットの限界といってしまえば、それまでなのだが、
一つの言葉・単語の中の
様々な情報というものは、なかなか見つからない。
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国史において気比神が再び現れるのは持統天皇6年(692年)で、その記事では越前の国司が角鹿郡の浜で獲った白蛾を献上したため、20戸の神封(神社に寄進された封戸)が増封されたと記されている
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気比神宮の記事であるが・・・
越前の国司が角鹿郡の浜で獲った白蛾
打ち間違いだとはおもえないが、
白蛾・・が、でてこない。
イルカ(入鹿魚)のことを白蛾と呼ばれていたのか?
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武内宿禰に連れられた太子(応神天皇)はイザサワケと名の交換を行ったとする(易名説話)。説話によれば、太子が角鹿(敦賀)の仮宮を営んでいると、夜の夢にイザサワケが現れて名を交換するよう告げられた。太子が承諾するとイザサワケは翌朝に浦に出るように言い、太子が言われたとおりにすると浦には一面にイザサワケの献じた入鹿魚(イルカ)があった。
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素直にしらべてくると、
やはり、白い「蛾」しか、見当たらない。
だが、
それが、浜で採れるか?
浜でとれて、文字音だけでいえば、しらが・・のようにみえる物。
海藻なら、あるかもしれない、と、思う。
単純に
白い藻でひく。
しらも【白藻】
紅藻類のエゴノリやイギスなどを使った心太(ところてん)の類の郷土料理を紹介したことがありました。紅藻類の海藻からはテングサのように、食物繊維であるアガロースを豊富に含むので、よく干し上げたものを煮溶かして冷やすとゲル化するのです。これがいわゆる心太であり、庄内のえごねりであり、博多のおきゅうとであり、瀬戸内海のいぎす豆腐や島原のいぎりすですね。それと、以前、フノリを煮溶かして、蕎麦のつなぎにしたことがありましたが、残ったふのりペーストを冷蔵庫で冷やしたところ、心太のようなゲル化食品が出来ていました。つまり、紅藻類には含有率の違いはあれ、どれもアガロースを含むだろうと思い、打ち上げされた種々の紅藻類を使って心太のようなゲル化食品ができるか試してみました。
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福山でも、「おきゅうと」と、言うのは、売られています。
たべてみましたが、う~~~む・・・
一方、天草?の乾燥したものをもらったことがあり
これで、心太を作ってみたことがあります。
その天草は上の画像の様に、白っぽいものでした。
見ようによっては
「しらが」ですね。
そして、上の記事の方も、心太を作れたとの事です。
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以前にも、刺す竹の枕詞当たりの記事で
文字音と漢字の対象の「性質」は、一致する。
と、いうことを書きました。
枕詞
「たらちね」は「垂乳根」で「老いた母」に架かる言葉ですが
文字音、たらちね=垂乳根=老母
と、いう三段論法みたいな仕組みになっています。
これと同じようにかんがえていくと、
しらが=白蛾(藻の形状から、白い蛾のようにもみえる物があります)=乾燥されて白くなった海藻
大熊猫をジャイアントパンダとよませてしまうような
連想系の名前ではあるのですが
もしかすると、
白蛾は心太を作るための海藻・・を、そう呼んだのかもしれません。
まず、ひとつ、糸口をみつけた気分なのですが・・・
はて?
持統天皇6年(692年)に、心太をたべていたでしょうか?
心太でなくても
ふのり(接着剤・つなぎ?)として、
なにかに利用していたでしょうか?
日本人の腸だけに存在?:海藻を消化する細菌
フランスの研究者が、藻細胞壁の分解を専門とする酵素を特定した。この酵素を生成する細菌の菌株は、日本人の腸にしかいないらしい。
科学雑誌『Nature』の4月7日号に掲載されたこの発見は、Roscoff研究所の生物学者Jan-Hendrik Hehemann氏によるZobellia galactanivorans(ゾベリア・ガラクタニボランス:一般的な海洋細菌)の分析から始まったものだ。この研究の中でHehemann氏は、ポルフィランを分解する酵素を見つけた。ポルフィランとは、紅藻類の細胞壁で見つかった炭水化物だ。
この酵素をコード化する遺伝子は、他の場所で発見されていた――人間の腸で見つかった微生物、Bacteroides plebeius(バクテロイデス・プレビウス)のゲノムだ。だが、すべてのB. plebeius菌株が、藻を分解する酵素を生成するわけではない。そういった菌株は、日本人にしか見つかっていないのだ。
研究者たちによると、この酵素はZ. galactanivoransが紅藻類を食べるのを助けるという。紅藻類の中で西洋人にとって最もなじみが深いのは、巻き寿司の周りに巻かれている海苔だろう。[紅藻類は、セルロースと厚いゲル状多糖からなる細胞壁を持っており、これが海苔や寒天など、紅藻から作られる製品の原料となっている]
日本人の過去において、どこかの時点の誰かの腸で、この酵素をコード化する遺伝子が、Z. galactanivoransからB. plebeiusに入り込んだのだ。この幸運なB. plebeiusは、紅藻類を処理するという新しく得た能力を活用して腸環境に広がり、最終的には日本人の集団に広がって、彼らの海藻をたくさん食べる食事習慣から、さらに多くの栄養を得るようになったのだろう。
人間の腸内には無数の細菌がいて、彼らが生み出す消化酵素の利点を人間は得ていることは知られているが、「このような民族的な違いを示した研究はこれまでにないと思う」と、Emory大学の免疫学者Andrew Gewirtz氏は語っている。
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断定しきれないところもあるが、(調査対象がわずがであると言う事で)
日本人が、海藻をたべてきた、長い歴史があるといってもよいのではないだろうか。
草食系の日本人の腸は、外国人より長いということだし、
長い年月で酵素が出来てきたと考えられる。
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「2年前から寿司を食べるようになったが、自分もこの酵素を持っているのだろうか、とよく聞かれる。その答えは、その可能性は非常に低いというものだ」と、Czjzek氏は語る。「昔は海藻は殺菌されていなかった。現代では海藻は、火を使って準備され料理されるので、こういった移転が起こる可能性はかなり低い」
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ただし、
海藻を「生」でたべていた。
あるいは、乾燥したものでも、酵素ができる。
さっと、ゆでていたものでも、酵素はできる。
と、考えると
海藻食の起源は、かなり古く、貝塚などのことも考えると
当然、海にいって、海藻に目を付けないわけがない。
つまり・・・
海藻から、心太をつくるという事自体は
もう少し、あとからのこととかんがえたいが
例えば、もうすこし、柔らかくできないか?とかで、
ゆであげてみて、
その汁をおいといたら、心太状のものができた。
と、いう偶然もありえるので、
それらが、
郷土食として、今に残るという風にも考えられる。
と、なると
国史において気比神が再び現れるのは持統天皇6年(692年)で、その記事では越前の国司が角鹿郡の浜で獲った白蛾を献上したため、20戸の神封(神社に寄進された封戸)が増封されたと記されている
ただ、海藻を献上するというのも、妙であり
珍しい心太を作れる、乾燥した白蛾を献上したと考えたくなる。
実際、若狭湾では
冬(1月~2月ころと記憶)に、浜に若布がうちあげられ、
ときおり、友人が生若布をおくってくれるのだが、
乾燥させて保存することも可能であったにせよ、
これは、めずらしいものではない(その土地の者にとって)
もしかすると、その土地に宿泊した持統天皇は
朝飯の御御御付(味噌汁?)として若布をたべていたかもしれない。
と、なると、献上するほどのものではないと考えるだろう。
そして、
白蛾ならば、
いや、しらが・・ならば
長寿の意味もあり、吉祥として、献上できたかもしれない。