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歴史の中の「経緯」・・69 寄り道話

2019年06月20日 | 歴史の中の「経緯」

先日、車、定期走行にいってきたのですが、

(なにせ、エンジンのせかえで、慣らし運転1万㎞までは

3000回転までにおさえなければならないのであるが・・・

1万㎞などというのは、、すぐにたたきだせない。

1運転

100~200Kmをめやすに動かすようにしているが、

その時間をつくることも、なかなかですwww)

 

車は、ちょこちょこ、うごかしてやるとともに

その都度に、健康状態を確認する。

と、いうのが、車の良い状態を維持していくために必須なので

ここは、そんな暇があったら、なぞといってくださらないようにwww

 

で、こんな調子では、10年かかるwwwと、

あいまをぬって、遠出したのですが。

そこで、みかけたものが、これと同じような紋。

 

これだけをみて、それが、誰の「紋」なのか、

判った人は、偉い!!

食事をしたところに置いてあった恵比寿さまの

「紋」だったのだ。

葉の間の鯨の潮吹きみたいな形は釣り針とのこと。

だが、そんなことは、どうでも良いwww

恵比寿さまの神紋が、三柏に釣り針・・

三柏?

 

 

それは、素戔嗚である。

どうやら、この地の近く、国譲りがあったところであり

美穂神社には、

事代主が祀られているし、美保崎灯台の近くには

事代主が釣りをしていた「史跡??」がある。

大国主命が大国(だいこく)様というふうになっている(きた?)せいか

七福神の大黒?と同一視されたか?

事代主を恵比寿として、まつるようである。

 

いずれにせよ、素戔嗚との関連があるので判らなくもないが・・・

大国主命は出雲大社にて、亀甲剣片喰

 

裏紋が

 

10月という字をくずしているのと

神有月が出雲では10月であるのとで、

有の字をかくというが・・・

それでは、大国主命の国譲りのあとの話になるので、

妙な話で有る。

出雲大社のための紋で、

大国主命の紋ではない、ということになる。

よく調べてみると

裏紋というのも、2つあり。

表立った場所でつかわない裏紋というのと、

嫁いだ女性がつかう紋をさす場合があるらしい。

この裏紋をそのまま神社にあてはめてしまっているようで、

正確には

神紋と社紋という。

有というのは、社紋ということになる。

(ただの無知をさらしただけになったwww)

********

それにしても、

大国主命が「三柏」をつかわず

事代主(恵比寿)が「三柏」を、つかっているのも奇妙に感じる。

 そこで、ネットを泳ぐこと暫時。

******https://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/201206070000/*******

古史古伝の一書とされる『宮下文書』によると、「記紀」でいうところの「三貴子」は、「アマテラス(長女)」・「ツキヨミ(長男)」・「エビス(次男)」と記されており、どうしたことか「スサノヲ」は「三貴子」に入っていないとのことである。

その解説文には、「イザナギ命」の次男「エビス命」は「栄日子命」と表記され、諱(いみな)は「蛭子(ヒルコ)命」とあり、別名を「大海津見(おおわたつみ)命」と称されたと書かれていた。


「記紀」の編纂時には、各氏族の伝える数々の文書等を広く参考にしており、おそらくはその編纂過程において、「エビス(ヒルコ)」を系図から削除せざるをえない何らかの事情があり、代わりに「スサノヲ」を「三貴子」に加えたのではないかと、今の私なりの感覚としては、そのように捉えてみたい。

ちなみに、『宮下文書』の描くスサノヲ像とは・・・新羅王の子の「多加(タカ)王」であり、高天原を支配するために乗り込んできたが、結局はアマテラスに屈服し、各地のまつろわぬ者達を追討する武将となり・・・という感じで、かなり寂しい筋書きとなっている。


この「栄日子(蛭子)命」について「日本書紀」では・・・蛭児(ヒルコ)といい三歳まで脚立たず、これを舟に乗せて棄て給う・・・と悪しざまに書かれている。

しかし『宮下文書』では、兄神の「ツキヨミ」が〔山〕を領する神(大山津見命)に対して、弟神の「エビス(ヒルコ)」は〔海〕を司る神(大海津見命)となっており、後に「恵比須(エビス)」と当て字されて「七福神」の一柱とまでなった大神様とされている。

 *********

素戔嗚の文字を解釈すると

素(元・根本)を傷つけ、嗚呼・・と泣く

と、読めてしまうし

すさーる という言葉の置き換えと考えると

(すさる・・・

すさるの類語、関連語、連想される言葉

 逃げ帰る・ 退く ・ 退る ・ 帰宅する ・ 帰参する ・ 生還する ・ 帰省する ・ 退るさがる 他多数・・

その文字解釈とを考えると

新羅王の子の「多加(タカ)王」であり、高天原を支配するために乗り込んできたが、結局はアマテラスに屈服し

=素(元・根本)を傷つけ、嗚呼・・と泣く状態になってしまった。

と、よめてしまうのだが・・・。

本来、高天原を支配する(素)が、かなわず(傷ついた・・・)嘆いた。

と・・・

*****

三柏という神饌を盛る「葉」を紋に使うというところも、

結局はアマテラスに屈服し、各地のまつろわぬ者達を追討する武将となり・・というところと

同じ意味合いになってくるのかもしれない。

自分の立場は、神にささげる供物をのせる「葉」である。

と、いう表明だとするのなら、

事代主の釣三柏も意味合いも判る。

事代主

元来言代(ことしろ)とは神託を管掌する神人の意。

自分の立場は、神(上)にささげる神託を伝える「事代」である。

神饌・神選を載せる「柏」であると言う事に成ってくる。


一方、それでは

天照大神の神紋と社紋はどうなるか。

伊勢神宮

それでは、社紋は?16菊花紋?

神社でないので、宮紋?

などと、考えながら、探してみたが見つからない。

SAKAKI -御朱印と神紋-

の、ページを覗くと、

天照も豊受も月読の各社、すべて、

神々、各々の神紋があってよいとかんがえるのだが・・・

どうも、社紋・・・と、考える。

*********

では、豊受あたり、他の神社では、どうだろうか?

と、みてくるのだが・・・

どうも、見当たらない。

あるのは、真名井神社

真名井があるので、有名であるが、

ここは、結局、元伊勢と呼ばれた籠(この)神社の奥の院ということで、

籠神社=伊勢神宮でもあるわけだから、

伊勢神宮と同じパターンが考えられ

真名井神社の社紋並びに豊受の神紋も

籠神社とおなじなのかもしれない。

探してみれば、探し方が悪いのか?

やはり、案の定。

籠神社の神紋は

社紋は

籠目紋だったのだが、

ダビデの星と間違えられるとか?とかで、

今は巴紋に換えている。

勝手に変えられるというところも

いかにも、社紋たるところなのだが

すでに、籠神社 神紋に籠目紋が使われている。

これは、さすがに、神紋なので、変えられないと言う事になる。

(日月籠目紋とでもいうのだろうか?)

そして、以前、かいたように

吉佐宮という元の名前も

ヨシュアの宮という話もある。

エジプト脱出以降

エジプトを出て放浪するユダヤの民。その1人だったエフライム部族のヌンの子ホセアはモーセによってヨシュアと呼ばれるようになる。

カナン偵察

彼はカレブたちと共に、モーセに命じられて自分たちの目指す約束の地であるカナンを偵察する。ヨシュアとカレブはカナンのすばらしさを伝えるが、それ以外の者たちはカナンの地に入ることの困難を強調する。そのため、民は動揺し、モーセに向かって不平を言うが、ヨシュアとカレブだけは不平を言わなかった。このため、ヨシュアとカレブだけは約束の地に入ることをゆるされるが、他の成人たちには許されなかった。

 

約束の地が日本であったということになってしまうがwww

 

この籠目紋というのが、伊勢神宮

804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』では天照大神御魂とされる。中世から近世の祭神には諸説あり、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀ると考えられた。  伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書において、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれる。同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。両神はつまるところ同じ神であると記されている。明治以降、伊雑宮の祭神は天照大神御魂一柱とされる(神宮要綱)

 

瀬織津姫まで、でてきてしまって・・・

話がややこしくなるのですが・・・

ここは、おいといて・・・。

この伊雑宮が イザヤの宮であるという話もあるのですね。

イザヤ 旧約聖書に登場する預言者。

名はヘブライ語で「ヤハウェは救いなり」を意味する。日本語では、「イザヤ」で呼ばれる

 

イエスは、「イエースースΊησοῦς, Iēsūs古典ギリシア語再建音)」の慣用的日本語表記である。

元の語は、アラム語のイェーシューア(ישוע, Yeshua)=ヘブライ語のヨシュア(イェホーシューア、יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshua)で、「ヤハウェの救い」「ヤハウェは救い」「救う者」を意味する。『旧約聖書』の「民数記」や「ヨシュア記」に登場するユダヤ人の指導者ヨシュア等と同名である。

**********

つまり?

ヨシュアの宮もイザヤの宮も

「ヤハウェは救い」の宮と、いう意味になる。

こののちに、キリストが誕生(と、いうか、実在したということで)

伊勢神宮が、キリスト教であるという風に、曲解されているが、

預言されたメシュアへの信仰?よりどころとしての

「祀り場所」であったと考える。

********

では、ヘブライ人が、天皇になったのか?

と、考えると、いささか、疑問を感じる。

どういうわけか、

今の日本人もそうであるけれど

「なんでもござれ」みたいなところがある。

一神教というのでなく、

ま~~簡単な言い方をしてしまうと、

八百万の神さまのひとりが名乗りをあげた。

みたいな感覚と

功徳のあった人物は「神様」にしてしまうし

無ねん・遺恨をだいて死んでしまった人物も神様にしてしまう。

死後の世界というものがあり、

その世界で、生きて?いけるようにと供養する。

誰かに救われなければいけない「民」では、ないから、

ヤハウェに救われる・・という

その「救われる」から、ありがたいという

変な?信仰はない。

むしろ、死後においても、救われるように供養する。

と、いう、いわば、

ひとり、ひとりが救世主のようなものであるといってよいか。

*******

大胆な言い方をすると、

神様(ヤハウェ?)に依存している考え方では

民のことを統括するということはできないと思う。

いわゆる、大御心というものをもって

なりたってきた政(まつりごと)なのだから、

言い方をかえれば、

救われていない?状態では

民を救う?ということはできないのではなかろうか?

と、なると、

すでに、天皇らしき存在があり

そこに協賛する形で補佐する、と、いう

どういうのだろう。

トップという器でなく

神様に依存しながら、

二番手に甘んじる「従」という生き方しかできなかったのではないかと考える。

天皇という血筋に食い込むことはできたかもしれないが、

日本がもっている精神性に対して

「神さま」では、あがなえない。

で、なければ、

ヨシュアの宮やイザヤの宮が、別の物になってしまうことなく

日本人もヤハウェを信奉した民になっていったと思う。

つまり、日本人というのは

良いものを消化して、日本流・日本独自のものにこなれさせてしまう。

その最たるところが

たとえば、紋であり

ヘブライ独自のものであったかもしれないが、

その奥にもう一つ違う意味を意義をしこむ。

仮定論だが、

素戔嗚の三柏を神饌の葉という意味合いで

協賛を盛る、という意味合いでつかったという解釈をたてていくと

単純に三柏を使ったわけではない。と、なる。

こういう「物」の中に「感情」「意志」などをこめていくのは、

日本人の言葉・五十音のなかにしくまれた「情緒」であると、思う。

それは、どの民族がはいりこんできても、

最終的には9歳まで日本語を使った人には、

左脳が働くようになるという

日本人、独特の「成長過程」があるわけで、

ここのところを考えると

天皇が(台所の)煙がたなびくのを見て、

民は安定して暮らしている様だ。と、喜ぶ。

と、いう「情緒・人を思う」というのと、

我。助かりたいで、神様に依存しているのとでは、

まったく、基盤が違ってくる。

その精神性を考えたとき

ヘブライ人の慣習はうけいれても、

それも、また、

「民がよくなるように・・」と、いう基盤にもどってしまうだろうから、

やはり、ヘブライ人の「基盤」は受け継がれず

日本人の精神性に沿うようにしていったことと思う。

 

そして、もっと、いってしまえば

「民を思う心・人を思う心」それ自体が

ヘブライ人にとって、求めていた「神」の顕在で有ったろうとも思える。

 

つまり、日本人の精神性は

血がかわっても、

脈々とうけつがれている。と、考える。

 

と、なると、

大事なのは、どういうDNAをもっているかでなく

どういう「精神」をもっているかと言う事に成ってくる。

 

その部分にスポットをあてていかないと

また、歴史の中の経緯も見えてこないのではないかと思う。

 


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