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現実―リアルーな音世界(再掲載)

2018年11月22日 | 代理のつぶやき

CDとレコードとどちらが、本物・自然に近いか?

という、論議を見かけたことがある。

むろん、そのソースが完全に再現されているという

前提条件に立つ物事なので

はっきり言って、比較することは不可能に近い。

ところが、高橋の言い分をきくと、

まったく、違うということになってくる。

つまり、一般的なCDPをいうのだけど

ソースだけを素直に再現させると

奇麗なだけの面白みのない音になる。

この辺りを解消しようと

CDP以外のシステム機器でいろいろと色付けをされるのだろうけど、

実際をいえば、

CDP自体を良くすると、

かなりのデーターが入っているのが判り

それこそ、距離感やら立体感やら陰影・響き・倍音・ありとあらゆる音の成分が

現実に、SPから出てくる。

つまり、この点だけを言えば、「本物」「自然」といえる音質が

成り立ってくる。

この時点でいえば、と、いうのは・・・

では、実際の本当の音(コンサート)とかと比べると、

CDから再現される音が、コンサート上での「本物」「自然」の音になっているかという

実は怪しい。

が、ここに盲点がある。

前提である コンサート上での音を、耳が「本物」「自然」と受け止めているかというと

実際には、疑問である。

「これが本物の音である」という「思い込み認識」により

本物の音・自然な音と(現実的にはリアル世界だし)認識している場合がある。

ーーーー

いつだったか、書いたことがあるのだけど、

例えば、コンサートの席によっても

ある楽器のインパクトだけに着目してしまいやすい。

と、いうことがおきたりして、

コンサート全体の音の把握がむつかしい。

そして、生身でうけたインパクトを「自分の音の把握」にしてしまい

CDが、全体の音を再現すると

このインパクトという「良いとこどり」で比較をしてしまう。

もしも、性能の良いシステムでCDを鳴らし

目の前にオーケストラを配置して、同じホールで

オーケストラがエア演奏をおこなったとき

どちらの音が心地よいか、やってみなきゃわからないwww

つまり、同じ聞き比べができないものを

比較検討できないわけなんだけど・・・

CDのよいところは、自宅で繰り返し聴ける。

聴き方を選べる。

例えば、ピアノの音に注目しようとか・・・

ところが、コンサートは一回こっきりで

インパクトも強く、いっそうこれが本物だと脳にきざみつけてしまう。

代理でいうL-580 記憶耳症候群がすでに形成されている。

その良いとこどりの記憶耳で

目の前のCDの音を比べる。

これは、無理があると思う。

****

では、CDPが目指す「本物」「自然」とは、

簡単に書いてしまえば

―よいとこどりをさせない音ーと、言うことになる。

例えば・・・活け花などが判りやすいと思う。

活け花が自然・本物かというと、あくまでも―創作物ーといってよいだろう。

ところが、相当の腕前の人が花を活けると芸術になってくる。

ここまでの域にいくと

いろいろな部分、緊張感、あでやかさ・空間美ほか・・

一つ一つの要素に隙がない。

CDPで目指すところは、これとよく似ている。

つまり、自然・本物をそのままに抽出していくのでなく

一つ、一つの要素に隙がないもの、

完成度の高い表現を実現することを目的にしているということになる。

で、なければ、代理も高橋を

チューナー・ブレンダー・調律士とは呼ばない。

せいぜいww メンテナンス屋というのが関の山。

これは、調理にもつうじるだろう。

活きの良い魚を刺身にして

(食べやすくして?)

調理の仕方が下手で、身は変にこそげていて

ところどころ、血がついていて・・・

見た目から食べる気が失せる。

それをきれいに調理し、

つまをかざり、皿を厳選し

刺身をひきたて、

かつ、

その食べる場所は清潔で落ち着いたたたずまいがある。

お酒もちょくから、手になじみ

味も香りも芳醇である。

こういう「世界」を音の中に構築する。

 

この部分とコンサートを比べるのもむりがあるがwww

こういう「世界」を構築しておればこそ

その世界にどっぷり浸かれる。

それは、たとえて言えば

コンサートはインパクトを植え付けられる(与えられる)ものであるのに比べると

CD-良いCDPからの音は

インパクトというのも違っているが

インパクト世界の中に入り込んで、一体化する。

だから、

―よいとこどりをさせない音ーと、言うことになる。

良いとこどりをする音というのは

自分が音の世界の外側に居るから音を摘まめる。

ところが、

音世界の中に入り込んでしまうと(一体化すると)

摘まむことができない。

いわば、自分の内臓を摘まみだすことができないのとおなじようなことになる。

 

このようなことを、

特にWADIA(LTD- blue)で

似たような評価を戴く。

―音の中に入り込んでしまうー

ーその会場に一緒にいるー

ー歌手が自分の傍にきて歌っているー

ー体の芯まで沁みるー

先日揚げた中にもあったと思う。

水槽の中の魚を見ていただけだったのが

自分も魚になって水槽の中に居る。

 

こういうリアルな感覚を持たらしてくれるものを

自然・本物ではないということはいいにくいが、

やはり、限りなく本物、自然に近い「現実―リアルー」を伴うものである。

むしろ、音のヴァーチャル世界の完成といっていいのかもしれない。

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