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ニュースからエージング耳を思う・・・

2018年09月16日 | 音を聴く耳

興味深い記事を見つけた。

まず、そのまま、張り付ける。

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一度経験すれば、VRに対する見方がまったく変わると言われたことはあるが、いまだにその経験はない。たかがゲームを面白くする、あるいは、映像メディアの延長だろうと思っていたのは浅はかだった。VRのことをまったく知らなさすぎたといえばそれまでだが、この本の内容には心底おどろいた。

 著者、スタンフォード大学心理学教授のジェレミー・ベイレンソンによると、VR経験は「『メディア経験』ではなく『経験』そのもの」である。驚くべきことに、あくまで仮想空間での体験であっても、VRでの体験はあまりに強烈なために、脳も体も本物の体験だと認識してしまう。それを様々な目的に利用できるという。いくつかの事例を紹介しよう。

9.11同時多発テロ、幻肢痛など想像力なしで治療が可能に

 9.11の同時多発テロの仮想空間を構築する治療用VRが作成され、PTSD(心的外傷後ストレス障害)患者の治療に使われた。ある若い女性患者ではPTSDの症状が90%おさまった。十分な精神的トレーニングを積んでいたにもかかわらず、9.11の壮絶な経験からPTSDになった消防司令長の場合は、VR経験により「自分の死を心から確信する」ことがPTSDの原因だったことがわかり、記憶の修正にとりくむことができ、症状の大幅な改善につながった。

 PTSDの治療には「暴露療法(トラウマ体験を再現して直面させる治療法)」と「認知行動療法(トラウマの受け止め方を修正する治療法)」を同時におこなうことが有効である。そのためには、PTSDをもたらした体験を正確に思い出す必要がある。しかしそれが難しい。そらそうだろう、なにしろPTSDなのだから、思い出すこと自体が怖い。その記憶を鮮明に蘇らせるためにVRが有効なのである。

 この9.11の治療用VRは50人以上の治療に用いられ、想像力だけに頼った暴露療法よりも治療成果が大幅に向上することが示されている。この成功をうけて退役軍人のPTSD治療用に作られたVRは、すでに2000人以上の治療に役だっているという。

 幻肢痛(ファントムペイン)というのは、手足を失ってしまったにもかかわらず、その失った手足に痛みを感じる原因不明の症状である。この治療には「ミラーセラピー」がおこなわれる。たとえば、なくなった右手に痛みを感じる場合、鏡に左手を映して、それを右手だと脳に錯覚させる。そして、左手を動かして、右手がうまく動いているかのように脳を上手に騙してやる。そんなちゃちなやり方でと思われるかもしれないが、これがうまくいくのだ。

 ただし、4割の患者では効果がない。この方法は、意図的にうまく錯覚する、先の例でいうと右手が本当に動いていると想像すること、が必要なのだが、それが不十分であるとうまくいかないらしい。しかし、VRを用いることにより、想像力なしでの治療が可能になる。

 慢性疼痛の治療にも用いることができる。火傷などの後、すでに原因がなくなっているのに疼痛が長期に続くのが慢性疼痛である。その緩和にVRディストラクションという方法が有効である。早い話がVRで気を散らせて痛みを感じなくさせようというやり方だ。

 痛みがあっても何か楽しいことをしていたら忘れることはよく経験する。それと同じことである。ビデオゲームでもある程度の効果はあるが、心身ともに仮想空間へと没頭できるVRの方がはるかに効果が高い。同じような方法は、苦痛を伴うリハビリにも応用が可能である。

実体験であれVRであれ経験したと脳に刻み込まれたことに基づいて行動

 夏休みにインド北部のラダック地方へ行ってきた。トレッキングで訪れた小さな村、水道はなく電気も不十分だった。それほど意識しているつもりはなかったのだが、帰ってきてから、明らかに水や電気の使用量を減らしたエコ生活になっている。

 ラダックは遠い。それに3500メートルほどの標高なので高度順応も必要である。そんなところまでわざわざ行かなくとも、VRで類似経験をさせるだけでエコ生活を自然と導入できるようになる。しかも、いったんVRが作られたら、費用はほとんどかからない。森林破壊を理解するために、チェーンソーで木を切り倒すVRを体験させると、実際に紙の使用量が減少したという研究がある。

 そんなことわざわざVRで経験しなくとも、報道を見たりたり本で読んだらわかる、と思われるかもしれない。しかし、どうやら違うのである。もしそうなら、すでに、もっと多くの人がエコ生活を営んでいるはずだ。大多数の人は実際に経験したことに基づいてしか行動しない。いや、より正しくは、実体験であれVRであれ、経験したと脳に刻み込まれたことに基づいて行動するのである。

 難民キャンプのVRを体験させて、難民への共感度をあげるというのも同じことである。もっとおもしろいのは、VRによる身体移転だ。VRを用いて、若者を高齢者のアバターへと「身体移転」させることが可能である。そういった体験をさせると、高齢者について肯定的になるというのだ。VRによっていともたやすく、文字通り、相手の立場にたつことができるのだ。

 アバターを使って人間関係をよく円滑にできる可能性。VRを使うことによって、実際にプレーしているかのようにおこなうイメージトレーニング。過去の時代を再現したVRを用いての歴史教育。など、さまざまな実例があげられている。あまりに豊富な内容に、ホンマですかとつぶやきながら、ため息のつき通しであった。

現実とVRの区別がつかなくなるVRが悪い目的で利用されてしまう危険性も

 ただし、恐ろしくもある。長時間VRの世界に身をおいていると、現実とVRの区別がつかなくなるというのだ。現状では20分以上VRを利用するのは控えたほうがいいらしい。言い換えると、VRにはそれだけものすごいインパクトがあるということだ。それに、VRが悪い目的で利用されてしまう危険性も多分にある。

 映画とVRの違いが論じられている。何よりもいちばん違うのは没入できるかどうかである。VRは現実と同じように没入できる、いや、無意識のうちに没入てしまう。映画では、そうはいかない。もうひとつの大きな違いは、映画は作り手の意図によって一つの方向へと導かれていくのに対して、VRは個人が自分の動きで見たいものを見ることができるということ。VRは、決して映像の延長ではないのである。

 VRを映画の歴史になぞらえると、1941年に公開されたオーソン・ウェルズの『市民ケーン』のレベルには到底達していなくて、リュミエール兄弟が映画を開発すべく実験を繰り返していた19世紀末くらいの時代にすぎないという。そんな幼弱な段階でここまでできるVR、はたして応用範囲はどこまで広がっていくのだろう。バーチャルリアリティー、その未来は果てしない。

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で、代理がまず、思ったのは、

ー実体験であれVRであれ経験したと脳に刻み込まれたことに基づいて行動ー

と、言う部分である。

それは、読書であれ、映画であれ、

強烈なインパクトをもっている事は、「脳に刻み込まれる」ということは起こりうると思われる。

極端なたとえになるが、

怖い話(怪談?)をきいたら、夜中にトイレにいくのもびくびくする。

これも、強烈なインパクト(恐怖)が脳に刻み込まれ

「疑似体験」を、現実のことであるという風に脳が認識してしまう作用と考えられる。

ーーー

また、ある友人は、人生に行き詰まり感を感じると、

むごい死体映像とか?そんなものをわざと見に行くという

それを見て、あんなになっちゃあいけない。

死んだら何もなくなる。

今を一生懸命生きなきゃ。と、いう活力を取り戻せるんだ。

と、いう。

これも、強烈なインパクトによる「疑似体験」であり、

彼女はそこで、生まれ直すのだろう。

ーーー

ところが、AUDIOの世界でも、これはあり得ると思う。

最初にインパクトを感じた「音」を

自分の現実として受け入れてしまう。

この音が良い音なのだ。と、いうふうに認識する。

すると、他の人がその音を聴いて

こりゃあ、だめだ。

と、いっても、どうしても、だめだと判らない。

よく、代理が逆エージング耳という言い方をするのだけど

その機器から出る音の「良いところ」だけを「現実」にする。

と、いうか、与えられたインパクトから、逃れられない様態になりやすい。

そのインパクトの心地よいと感じる部分だけを「現実」にしてしまうため

悪くいえば、どつぼにはまったままになっている。

ここから、ぬけだすためには、

例えば、もっと良い音の機器を聴くとかすればよいのだけど

そこが、わりにむつかしいことになる。

代理も実際あったけど、

L580をサイテーション16A(むろん高橋監修)に替えたしばらくは

サイテーション16Aの音を受け入れることができなかった。

なんという暴力的な音だ。繊細さもない。

そこまで、思った。

そして、脳裏の中の現実(L-580 の音)一生懸命追いかけていた。

ここでは、もっと、奇麗に伸びあがっていく。

もっと流麗だ。

と、言う風に、L-580 のインパクト部分だけと比べているとは思いもしなかった。

サイテーション16Aにかえて、半年もたったころに、

L-580 を聴くことがあった。

そのときの思い。

ーなんだ、この頼りない音。繊細なのは事実だが「繊細」なだけ。

むしろ、サイテーション16Aのほうが、よっぽど、緻密で繊細であるー

パワーのある音の中に埋もれていた「繊細」な音を

聞き取る耳が育っていなかったのだとは思う。

その一方で、聞き比べていないものだから

脳裏の中の「インパクトで植え付けられた現実」を

現実として、認識し続けていた。

良いとこどりの記憶(脳の現実)が、

もろくも、崩れていったのだが

反面、思い込みの怖さを思い知らされた気もした。

自分でも、L-580 のほうが良い。と、

暗示をかけていた節がある。

これが、もし、聞き比べることなく

L-580 を嫁にだしていたら、その暗示は一生取れなかったかもしれない。

そんな暗示に縛られている人は多い。

単純な例でいけば

メーカーの音が一番最高な状態であると思い込んでいる。とか

音質改善をしたら、音が変わって悪くなるとか。

笑い話でなく、そう思い込んでいる人がいる。

さらに、その法螺で、自分に暗示をかけてしまう。

 

その暗示とか、インパクトの良いとこどりをしているとか、

そこは、まあ、おいといて

怖いのは、代理の事例でもあったように

その暗示とか、インパクトの良いとこどりとかで

他の機器の良さを受け入れられなくなってしまうところ。

耳が受け付けないということが起きる。

そのあたりは、高橋のすごいところというか。

―リセット耳&未来耳ーというのかな?

(まあ、そうじゃなけりゃ、良い音の判断基準がおかしくなる)

ぱっときいて、(16Aのときね)

これは、良くなる。と、大改造して、よし!!となって、

CDPをあれこれ、かけたら、16Aの音になってる。wwww

これじゃあ、CDPの個性が出ない。

と、手直し。

で、CDPからの音が率直に伝達されるようになった。

あの、ぼろぼろ状態から、

まともな音にするだけで(率直な音)正直、普通だったら

それで終わる。

それが、16Aの個性を抑えて、伝達能力を忠実なものに仕上げる。

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まあ、例えばこんな話でも、

アンプのインパクトを受けた人には

アンプが音を決めるんだから・・・

伝達道具にしちゃだめでしょう。と、言うのだろう。

(インパクトによる現実)の中に居るということが

こういう暗示を作る。

暗示が、無い人は、良い意味で柔軟である。

「へえ?アンプを忠実なアンプにしたら、CDPの音をもっとよく伝達するってことなのかな?」

と、ほぼ正解の考えを持つだろう。

*****

つまり、人間の経験不足とかが、グローバルな理解を生まない場合があるというニュースの話のように

AUDIO世界においても、まだまだ、経験不足のところがあり

代理のように、「狭い世界」に自分をとじこめてしまったということを起こすのが

ほかならぬ、自分でしかないというのを、気が付けないことが多い。

そして、何よりも、

暗示をかけて、良いとこどりを肯定していることにより、

他への耳を失ってしまうということが、一番恐ろしいのだと思った。

いろいろ、聴いてみにゃあいけんねえwwww

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