森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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改憲という問題

愛敬浩二『改憲問題』を読みました。
この本の設定をみて、私は中江兆民の『三酔人経倫問答』をすぐに思い浮かべました。洋学紳士君と東洋豪傑君、それに南海先生による、西洋の列強のなかでの日本の外交政策をめぐっての問答。民権主義者と国権主義にたいする、南海先生の説く真の現実主義、この三者三様の問答の面白さを、かつて、この本では堪能しました。
かわって、この『改憲問題』という本は、一人の大学教師・狩田教授とそのゼミの学生による講義と問答(今流にディベートか?)で話がすすんでいきます。
私が1つの核心部分だと思っているのは、この本でもいくつかのところで取り上げられている長谷部恭男にたいする批判部分です。ご存知の方も多いと思います、長谷部は最近、『憲法とは何か』(岩波新書)を書いています。
著者愛敬はこう指摘します。長谷部は近年、絶対平和主義にたいして、それが「立憲主義=リベラリズム}と緊張関係にあるとして、「自衛のための必要最低限の実力組織の保持を認める」解釈を説いている。その際の、一切の軍備の放棄を定めた憲法九条に違反するという批判にたいして、長谷部は、九条を「準則(rule)」ではなく「原理(principle)」ととらえることをクリアした、と。
だが、この長谷部の理解には陥穽があった。長谷部の議論が実践的には「九条改定論を批判する論理としても機能する」面を認めつつも、つぎの2点に著者は疑問を投げかけています。それは、九条を「原理」としてとらえる長谷部の議論では、九条の規制力が「政治的マニフェスト」のレベルにまで弱まる、②九条が「準則」と了解されているからこそ、実際の政治過程で九条が「原理」として機能する側面を軽視すべきではない、のように要約できます。
この長谷部だけでなく、さまざまな論者の議論を紹介し、検証を加えた上で、著者愛敬は樋口陽一のつぎの言葉を引用します。
戦後憲法学は「非現実的」という非難に耐えながら、その解釈論を維持してきた。・・・その際、過小に見てならないのは、そういう「非現実的」な解釈論があり、また、それと同じ見地に立つ政治的・社会的勢力・・・・があったからこそ、その抑止力の効果を含めて、現在かくあるような「現実」が形成されてきたのだ、という事実である
愛敬のしめくくる言葉は、
この「事実」を軽視する九条論は、決して現代改憲に対する有効な対抗理論とはなりえない。
ここに、およそ60年の重みを私たちはかみしめる必要があると思います。
愛敬浩二『改憲問題』(ちくま新書)
この本の設定をみて、私は中江兆民の『三酔人経倫問答』をすぐに思い浮かべました。洋学紳士君と東洋豪傑君、それに南海先生による、西洋の列強のなかでの日本の外交政策をめぐっての問答。民権主義者と国権主義にたいする、南海先生の説く真の現実主義、この三者三様の問答の面白さを、かつて、この本では堪能しました。
かわって、この『改憲問題』という本は、一人の大学教師・狩田教授とそのゼミの学生による講義と問答(今流にディベートか?)で話がすすんでいきます。
私が1つの核心部分だと思っているのは、この本でもいくつかのところで取り上げられている長谷部恭男にたいする批判部分です。ご存知の方も多いと思います、長谷部は最近、『憲法とは何か』(岩波新書)を書いています。
著者愛敬はこう指摘します。長谷部は近年、絶対平和主義にたいして、それが「立憲主義=リベラリズム}と緊張関係にあるとして、「自衛のための必要最低限の実力組織の保持を認める」解釈を説いている。その際の、一切の軍備の放棄を定めた憲法九条に違反するという批判にたいして、長谷部は、九条を「準則(rule)」ではなく「原理(principle)」ととらえることをクリアした、と。
だが、この長谷部の理解には陥穽があった。長谷部の議論が実践的には「九条改定論を批判する論理としても機能する」面を認めつつも、つぎの2点に著者は疑問を投げかけています。それは、九条を「原理」としてとらえる長谷部の議論では、九条の規制力が「政治的マニフェスト」のレベルにまで弱まる、②九条が「準則」と了解されているからこそ、実際の政治過程で九条が「原理」として機能する側面を軽視すべきではない、のように要約できます。
この長谷部だけでなく、さまざまな論者の議論を紹介し、検証を加えた上で、著者愛敬は樋口陽一のつぎの言葉を引用します。
戦後憲法学は「非現実的」という非難に耐えながら、その解釈論を維持してきた。・・・その際、過小に見てならないのは、そういう「非現実的」な解釈論があり、また、それと同じ見地に立つ政治的・社会的勢力・・・・があったからこそ、その抑止力の効果を含めて、現在かくあるような「現実」が形成されてきたのだ、という事実である
愛敬のしめくくる言葉は、
この「事実」を軽視する九条論は、決して現代改憲に対する有効な対抗理論とはなりえない。
ここに、およそ60年の重みを私たちはかみしめる必要があると思います。
愛敬浩二『改憲問題』(ちくま新書)
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