コメント
 
 
 
1995年はネット元年というより (kojitaken)
2007-01-25 00:11:42
枝葉末節の部分へのコメントですみませんが、1995年はインターネット元年というよりは「ウェブ元年」というべきでしょうね。インターネット元年というと、実感では1988年くらいだと思います(私は90年から使っていました)。
mozaicは93年に登場したそうですが、Netscapeが普及したのが95年くらいですね。それで95年頃を「インターネット元年」と評する人がいるんでしょうか。

「2ちゃんねる」などでネットウヨの過激な言論がよく話題になりますけど、あの源流はネットニュースにさかのぼることができます。日本でそれが始まったのが88年くらいじゃないかと思います。それが、88年頃がインターネット元年ではないかと感じる理由です。

また、異なる組織に属する人との電子メールのやりとりは、90年頃からやってました。もちろん、当時はキャラクタベースのみでしたけど、本質は変わっていないと思います。
 
 
 
Unknown (これお・ぷてら)
2007-01-25 08:58:32
丁寧なコメントを頂戴し、感謝いたします。
ご指摘を受け、思い起こしたのは、歴史学における時代区分です。その立場、考え方によって諸説に分かれますね。
私の表記は、本書の中の表記によりました。
たいへん参考になりました。今後とも宜しくお願いします。
 
 
 
結局、本は読んでないけど (TB感謝)
2008-08-21 13:26:14
お久しぶりです。TB感謝。

>リアルの現状は改善する方向へ努力しなさい」というテーゼより、「今の環境が悪いんだったら、他の合う場所を探して、そちらへ移れ」という方が時代に合った哲学のような気がしています

は、ないですよね。後者が哲学のわけがない。

悪い環境を変えられない奴に、安堵するため逃避できる環境なんてあるわけがない。
で、私の場合、環境が悪いわけではないのですが、たまたま移った他の場所、それが形而上だったりしたものですから、ややこしくなってます。

どうも私の場合、「社会的エントリー」と「精神的エントリー」が対立してしまう。ひとつのブログのなかで混在すると矛盾なんですね。ちょうど内田樹が社会的にみると叩きのめしたくなったり、精神的にみると納得してしまったり、じゃあ両方納得してしまう私はどっちなんだ、という矛盾。まあ、これは個人で解決するなり、抱えこむなりすればいいのですが……。

ブログとして考えると「政治(社会)的ブログ」はブログ世界で終結できない。「哲学(精神)的ブログ」はブログ内で終結できる。と、思ってます。
どちらでもない「日記(島)ブログ」は……、どうなんでしょうね(笑)?

 
 
 
>dr.stoneflyさん (これお・ぷてら)
2008-08-24 08:29:50
コメントに深謝いたします。
貴ブログにコメントさせていただきました。
 
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