コメント
 
 
 
国家対市民 (mm)
2006-12-04 10:45:25
国家と国民を分けて考える考え方から少し離れて考察する事も必要ではないでしょうか。

もちろん、国民すべての思い通りの政治などできるわけがなく、時には多くの国民が反対するような事も推進められることがあるでしょう。しかしそんな政権は、選挙によって変える事が出来ます。
今の日本は、ほぼ公正な選挙が行われている民主主義国家、立て前上、法が全ての国民の上に平等に存在する法治国家です。

国とは悪で、国民と対立するものという固定概念から少し離れて見る事も試されてはいかがでしょう。

国家は私達国民が形成しているし、そうでなければならないと思います。 

政策を変えたいのなら、国家や権力という敵を造り攻撃するよりも、政府を変える事が出来る国民に訴えて、支持を得る事がその方法だと思います。
なぜ、この文章で述べられているようなことが支持を得られなくなってきたのかも考えて見るべきでしょう。
 
 
 
だからこそ (桂茶長)
2006-12-04 14:21:05
どうも(mm)さん
>政策を変えたいのなら、国家や権力という敵を造り攻撃するよりも、政府を変える事が出来る国民に訴えて、支持を得る事がその方法だと思います。

という方には、これらの記事をお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20060502
http://takeyama.jugem.cc/?eid=676#sequel
 
 
 
はじめまして (ima)
2006-12-08 19:14:55
細かい意見の違い、対立は起きても仕方が無いと思いますが、日本の方向性の最低限の決まり事、戦力を持たない 戦争しない加担しない勿論非核三原則も… これらを無条件に、ごく当たり前の常識として備える政治家を国民が生み出さなければ、民主主義の進歩は為されないのではないでしょうか。
 
 
 
どうも (これお・ぷてら )
2006-12-09 04:33:29
imaさん、はじめまして。
>日本の方向性の最低限の決まり事、戦力を持たない 戦争しない加担しない勿論非核三原則も

賛成です。そうあってほしいと思います。
10月、2つの衆院補選があったとき、野党共闘がブログ上で議論になっていたようです。その際、おっしゃるようにたとえば護憲で最低限一致するという「約束事」が必要だと私は思うのです。何にもなしに少数の政党は安倍をやっつけるために民主党候補を推すべきという議論だけでは通用しない。
政党の存在意義が「己の社会的要請が普遍的な妥当性を有することを示そうとする」ことにあるのであれば、そこはゆずれない線ですね。私はこのように考えています。
ただ、革新派が保守派とある課題で手をつなぐことはそれでもありうることでしょう。
今後とも宜しくお願いします。
 
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