言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「歴史と人間」2

2018年03月28日 18時34分03秒 | 日記

承前

 

「処女降誕が信ぜられないとか、何とか言つてますが、このやうに科学的に説明出来ないことは何でも信じないといふ合理主義が生き詰まつたところに、現代の思想的危機があるのではありませんか。(中略)科学の進歩によつて宇宙の秘密は見な解ると思つたが、科学が進歩すれば進歩するほど、科学の及ばない世界の存在が知られて来た。」

 今日の言葉で言へば、価値相対主義こそ「現代の思想的危機」であらう。科学主義に基づき科学的でないものは信じるに値しないとの割り切りが、一般的な常識となり、教養となつてゐる。それはじつに貧しいことではないのか。分からないことは分からないとし、それを保留にしておくといふことはどうしてもできないのである。科学的でないことは非科学的である。それはさうであらう。しかし、その非科学的であるといふことが非現実的であることとは本来全く違ふことである。科学的には分からないことがあるといふのが現実であるのだから、それは「科学の及ばない世界の存在」である、さう言へばいいだけのことだ。

 信じるといふことの内実は、科学といふ側面では測れようはずがない。

 この文章は、昭和17年、1942年に書かれてゐる。76年前である。「現代の思想的危機」は一向に解決してゐない。

 

 

 

 

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