言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

植木に水をやりに帰ってきたら、雨。

2015年05月04日 10時19分08秒 | 日記
 一週間も家を空けてゐたので、植木の乾燥が心配になつた。いや家を出るときから心配だつたから、ずつと心配してゐたが正しい。一昨日の深夜に蒲郡に戻り、急いで水をやる。真つ暗らだから水の加減も分からずとにかくやる。ここらあたりもずゐぶんといい加減である。小心者のくせにいい加減とくるから、何事も慌ててしまふことになる。そんな性分に付き合つて五十年以上も経つてゐるのにまつたく変へる様子もない。勝手にしろともう一人の自分が叫んでゐる。

 そして、今朝起きると雨ではないか。家を留守にしてゐた一週間は一滴も降らずに帰つて来たら、雨。何とも不条理。これも人生だと思ひながらも苦笑するばかり。出かける気にもならずにかうしてブログの更新。部屋の片づけでもしよう。ベートーヴェンの弦楽四重奏ラズモフスキー1番2番を聴いてゐる。

 
 水をやると一気に咲いた。今年はうまくいつたのか? つぼみが60個もある。しばらく楽しみ。品種名は、Sir Paul Smith あのデザイナーにちなんだもの。香りがいい。
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