言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「太陽の塔」岡本太郎と7人の男(サムライ)たち

2018年05月06日 13時13分10秒 | 日記

 太陽の塔の改修が終はり、一般に公開されてゐる。今回の改修は内部の公開と共に地下施設も一部復元されたものである。1975年当時を知るには懐かしく、それ以外の初めて見る人には新鮮に(あるいはやや奇異に)映るのではないないだらうか。

 万博のあらゆる施設の中で太陽の塔だけが生き残つた(鉄鋼館もなぜか残つてゐるが、それは保存庫の役割として、今日では記念館として役割である)のは、そこに違和感があつたからである。太郎の言葉で言へば「ベラボー」なものであるからだ。

 「ベラボー」とは、辞書によれば次のやうな意味である。

べらぼう(―ばう) 

(名・形動)[文]ナリ
(1)人をあざけりののしっていう語。ばか。あほう。
「とんだ―が現れたもんだ」
(2)筋の通らないこと。ばかげていること。また、そのさま。
「そんな―な話はない」「―な値段」
(3)並はずれてひどい・こと(さま)。
「―に暑い」
〔寛文年間(1661-1673)に見世物にされた、全身が黒くて頭がとがり、目が赤く猿に似たあごをもつ奇人「便乱坊(べらんぼう)」「可坊(べくぼう)」から出た語という。「篦棒」は当て字〕
[派生] ――さ(名)

三省堂提供「大辞林 第二版」より

 あまり良い意味ではない。この良い意味ではない言葉こそ、太陽の塔の本質である。何だか意味の分からない存在だが、尋常でない存在感を持つてゐる。実物を見た人なら分からうが、とてつもなく大きい。その存在感は他に比べるものがない。それでゐて何か役に立つてゐるものでもない。ましてや信仰の対象でもない。合理主義の近代社会にあつては、その無為で巨大な建造物は異物である。その異物の異物たるゆゑん(非合理性)が、万博終了後40年以上経つて、改修され復元され今改めて人々を引き寄せてゐる。これが驚きである。

 無用の用として、太陽の塔を合理的に説明し、それで満足してしまつては、きつと太陽の塔は40年後撤去されてしまふだらう。平野暁臣氏が、岡本太郎記念館館長としてその遺産を顕彰してゐる(本書もその一つ)が、太陽の塔の意味を理解する方向で説明していけば、やがて危機が訪れる。平野氏の手腕が問はれるのは40年後の太陽の塔が存在してゐるかどうかである。コンクリートの建物はやがて解体される時がくるであらう。40年後にその時期が物理的に来るとは思はないが、改修は必要である(マンションは10~15年毎にしてゐる)。違和感を保持しつつ、人々の心を繋ぎとめる存在であつてほしい。

 さて本書は、太陽の塔を建造するときに活躍した7人の男たちへのインタヴューである。私にはとても面白い内容であつた。東京藝大副学長を務められた伊藤隆道氏の話が面白い。かれはテーマ館地下展示のディレクタ―を担当したが、この人の発言は太郎に一定の距離がある。「ぼくは藝大で教えていましたが、藝大のいいところは、デッサンがものすごくうまくないとはいれないこと。」対して太郎は「言葉の政界から表に出てきた人」。藝術家としての評価は低いやうなニュアンスである。「一種のタレントみたいに見られていたんじゃないか」とまで言ふ。しかし、さういふ人物を巻き込んでテーマ館を作り上げた太郎の力量は素晴らしい。これまで読んだことのなかつた逸話に静かに心が動かされた。

 テーマ館の担当を岡本太郎に頼んだのは、丹下健三であつたといふのも驚きである。あの大屋根に穴を開け、そこから太陽の塔が顔を出す、といふあの構造を「二人の衝突」として描いた文献はたくさんあるが、丹下が太郎を招いたといふ「二人の協働」を端的に示す逸話を引き出した本書の価値は大きい。その他、技術的な苦労や関はつた人々の心意気は、平成30年の現代にはほぼ蒸発してしまつたもので、それを読むだけで胸が熱くなる。

「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たち
平野 暁臣
青春出版社




 

 

 

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