言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

ヒューマニズムとニヒリズム その2

2018年06月04日 13時51分02秒 | 評論・評伝

 人間の一番大きな苦痛は何か。それを矢内原は、「不安定」であると言ふ。

 何の不安定な。もちろん、経済的な不安定もあるだらうし、具体的には仕事が見つからないといふこともあるだらう。人間関係も不安定であれば苦痛である。いつもいつも周囲の人が自分のことをどう思つてゐるのかといふことに意識を使へば、苦痛であると共に疲れてしまふ。

 さうしたことを矢内原は具体的に述べてゐるわけではない。極めて抽象的に「人間は人間自らの本質をどう考へるか、それを解決しない限り、自分の立場といふものをもたない。従つて安定しないのです。」といふ言ひ方で説明する。

 「自分の落着く立場といふものを持ちたい。之は人間の深い要求であります」。

 その通りである。

 安定するためには、何か絶対的なものの上に立つ必要がある。それに対する思想には二つあり、それが唯物論と進歩主義とであると矢内原は言ふ。もちろん基督者の矢内原は、後者の思想にキリスト教を見るのであるが、ここではその内容よりも「絶対的なもの」を否定する相対主義についての矢内原の説明が面白い。以下に引用する。

 

  絶対主義に対して、相対主義といふ思想がありまして、世に絶対的なものはない、凡てのものが移り変る、凡てのものが相対的である、といひます。目に見える現象界は凡て変化し、凡て相対的であるといふことは本当の事ですが、併し、だからと言つて、それだけで決して人間は満足しないのです。何か変化しないもの、何か絶対的なものの存在を信じたい。求めたい。その上で自分が立たなければ安定しないのです。相対的なものを経験して生活して往く中にあつて、何らかの絶対的なものの上に自分の小さい生涯をつなぐ時に、初めて人間が安定する。人間が安定するといふのは、「人間」が死んでしまふといふことでなくて、本当に自由な人間として立つことが出来る事である。

 

 「人間は相対的なものでは満足しない」。「相対的なものを経験して生活して往く中にあつて、何らかの絶対的なものの上に自分の小さい生涯をつなぐ時に、初めて人間が安定する」。かういふ人間観察で人を見るから、矢内原の言葉は信じられるのである。

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