言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

歴史を見つめる強い目があるか――お祭り民主主義を利用する狡猾を見抜け

2017年07月03日 22時08分55秒 | 日記

以下は、2011年12月に『時事評論』に書かせていただいた文章である。

昨今の状況を見て、改めてこの思ひを深めてゐる。

 今年一年の最大の事件は、何と言つても東日本大震災である。今もその影響は殘り、言ふまでもなく原發の問題は原子爐の破壞的安定といふ皮肉な事態を招き長期的な課題を抱へることになつたが、本來その終熄を圖るべき政治の側は破壞的混亂が今も進んでゐる。

  そんな中、九月には總理大臣が代り、今度こそ復興の路をひたすらに進むのかと思ひきや、消費税の増税やらTPP參加やらの問題で關心をそらし、言はばめくらまし作戰をとるばかりである。もちろん「これなら鳩山や菅の方が良かつた」とは誰の口にも上らないのだから、餘程彼等が酷かつたといふことでもあつて、まだしもとも言へる。しかしである。この數年の政治状況は酷過ぎる。

  そして、それは國政だけではない。先月二十七日、大阪で市長と知事の選擧があつた。「維新の會」といふとんでもない名稱を自らの政治團體に使ひ、天皇のゐない都市を「都」と呼ぶ不敬に愛想をつかしてゐたが、政黨中樞やマスコミは彼等が勝つとこれでもかと持ち上げてゐるのを見て、危機を感じる。彼等の勝利はその主張の正當性を證明してはゐないではないか。

  仕事がないこと、景氣が惡いこと、給料が上がらないこと、街に活氣がないこと、あるいは家族の關係がうまくいかないこと、上司とうまが合はないこと、さうしたもろもろの「憂さ」を人人は晴らしたかつたといふことに過ぎない。そんな「憂さ」はいつだつてある。それを晴らすために以前ならもつと別のことをしてゐただらうに、今はそれが選擧になつてしまつた。私はさういふことだらうと思つてゐる。本來祭りが持つてゐた「物を神樣に奉つて幸福を祈る」といふ意味にも似た、勝ちさうな候補者に票を入れて憂さを晴らすといふのが今日の選擧なのである。候補者を載せた車からは名前が連呼され、車から降りては町中を練り歩く姿は、差し詰め神社の神輿をかつぐ若衆である。幟には政策が掲げられるが、神輿と神輿のぶつかり合ひにしか見えない。

  大衆社會の人民の願ひもまた、祭りに參加することである。それが證據に「都構想」なる幟を見て投票した人に、「では、それはどういふ内容か」と訊くと、沈默してしまふ。これで政策選擇選擧とは聞いて呆れる。その沈默が雄辯に語るやうに、人人の關心は氣分の昇華であり、憂さ晴しである。その意味で、京大名譽教授の佐々木克氏による「幕末の『ええじゃないか』にも似た雰圍氣を感じる」との發言が正鵠を得てゐる。橋下氏を應援した堺屋太一氏が日本近代の最大の祭典大阪萬博の提案者であつたといふのは出來過ぎた話である。

 投票した候補者が勝つた。大半の人人が溜飮を下げた。それだけであつて、先月號の本紙に「菊」氏が書いてゐたやうに、「内容空疎な政治ごつこ」が本質である。だから、終はれば次の祭りを待つだけで、早晩橋下氏は次の祭りを準備することになる。つまりは「政治」の名の下に文化的社會的な破壞が進み、大阪は更に混亂し、斷末魔の日本の一歩先を行くことになる。

アメリカの精神の骨

  かういふ状況にあるのが現代の日本社會である。いやいやかうした混亂は今日では世界的な規模で起きてゐることであり、世界の民主主義が試されてゐるのだといふ見方もある。なるほどさうであらう。不思議なことに來年には、樣樣な國で政權交代が豫定されてゐる。中東での民主化も續くだらう。イランの核開發が現實となり、イスラエルがその危機感に耐えられずイランを攻撃すれば、またぞろ戰爭が起きかねない。そんななかでアメリカの大統領選擧が來年の十一月に行はれる。期待を裏切り、經濟の中樞ウォール街で起きた若者の叛亂は、思ひの外深いところまで傷附けてゐるやうで、資本主義の危機とまで言はれる。が、オバマ大統領は手をこまねいて見てゐるだけだ。

 さうであれば政治のリーダーシップの不在は日本だけではない、といふ主張は一見尤もである。しかしながら、その一方でアメリカにはさうした流動化する社會の危さと共に、絶えず歸るべき原點を探らうとする動きがあることも忘れてはならない。このことを思ひ出させてくれたのが、この度新譯が出されたロバート・ベン・ウォーレンの『南北戰争の遺産』(圭書房)である。ウォーレンは「二十世紀アメリカ文學の巨人」であるが、日本ではそれほどの讀者はゐない。しかし、間違ひなくアメリカ精神の正統である。そのウォーレンが南北戰争勃發百周年を機してハーヴァード大學から刊行したのが本書である。

 そして今年は、アメリカ南北戰争勃發百五十年。各地で樣樣な行事が行はれ、飜譯した留守晴夫氏によれば、昨年十二月二十六日附の「ワシントン・ポスト」は、南北戰争百五十周年を前にしてそのことが「國民の記憶の中に極めて大きく立ち現はれつつある」と報じたと言ふ。つまり、あの戰爭こそが今日のアメリカを決定附けたものであり、良くも惡くもアメリカ人がアメリカ人であることを認識する時、どうしても避けてはゐられない出來事であることを自覺してゐるといふのである。本書は日本の保守論壇のやうに過去を美化する書ではなく、「吾々が過去の一時代に移動してみて、その時代の樣々な問題や價値基準と吾々自身のそれとを複眼的に考察し、相互の批判と相互の明確な理解との裡に互ひを對比させようとした」ものである。そのためその筆は決して過去への憧憬に傾くことなく、「事實を事實として」執拗に追求し、資料に基づいて克明に描き出すスタイルをとつてゐる。時に晦澁な表現に出會ふと立ち止まらざるを得なかつたが、かういふ書物が存在することへの羨望を禁じ得なかつた。

 アメリカの文化を皮相なものと見、その内政外交を謀略とのみ見る見方は、それ自體が皮相である。歸るべき精神の據り所を明確に意識してゐる作家が一人でもゐる國には、私たちの凡庸で浮き足立つた政治家が束になつてかかつても敵ふはずはない。

民主主義の正統とは何か

  プラトンは『ゴルギアス』のなかで、相手を打ち負かすことだけが目的の議論なら私はこの議論をやめることにしたいとソクラテスに語らせてゐる。互ひに教へたり教へられたりしながら、雙方の納得のゆくまで問題になつてゐる事柄を探求するのではなく、議論で相手に勝つこと、その場を盛上げ聽衆を喜ばせることが目的であるやうな議論ならしても意味がないと考へるのが民主主義の正統である。少なくともソクラテスやプラトンはさう考へた。さうであれば、劇場型民主主義=御祭り民主主義が支配する日本の現状においてなされる「議論」から生まれるものは、貧しくて小さいと言はざるを得ない。

  人間としての弱さを見つめるのは辛い。しかし、南北戰争をアメリカ人が「怨恨、獨善、惡意、虚榮、自尊心、復讐心、机上の流血欲、自己滿足」の「捌け口」としてゐたといふことをウォーレンは剔抉した。しかも、さうした人間の持つ「缺點や無知や惡徳を曝け出してゐるにも拘らず」、同時にそれが「人間の尊嚴の可能性について教へてくれる」ものであると自覺してゐるから、日本の左翼のやうに過去の一方的な斷罪と現在の正當化、あるいはその逆に右翼のやうに過去の美化と現在の不當を安易に主張することもしない。人間の「複雜で混亂した行動の動機と、事件の雜多にして渾沌たる集合の只中にあつて」、意味を探らうとする複眼的な精神をこの作家の筆に見るのである。

政策は快樂の追求なのか

  アメリカ國民全體が、かういふ高尚な精神を持つてゐると言ふのではない。さうではなく、かういふことを確信をもつて語る作家がゐ、それを稱揚する一群の讀者がゐる國と、ただ氣分の造形をしてゐるだけの國との違ひに思ひを致すのだ。王政復古と關係のない維新を掲げ、天皇のゐない都を作らうとする動きに對して、何等の批判をしないどころか政府首腦から一般國民までが拍手喝采する國との違ひを歴然と感じるのである。

 私たちの國に、何が今一番缺けてゐるのか。それは、私たちの國とはどういふ國かと問ふ意識である。何もすべての國民がそんな意識を持てといふことではない。しかし、未曾有の大慘事が東日本を中心に全國に擴がつた現在においてさへ、その問ひや答へが全く聞えて來ないといふことは異常である。

  政策論議なるものはこの十五年ほど嫌になる程聞いた。しかし、その結果、政治家の言葉はいよいよ輕薄になり、もはや人人の快樂を滿たす「パンとサーカス」を提供する給仕と成り果ててゐる。政治家の言葉が貧しくなるゆゑんである。

  南北戰争に、あのリンカーンの有名な言葉が紡がれたのは、決して偶然ではない。アメリカの現實と理想とを兩睨みした結果、彼をしてあのやうな發言をさせたのである。オバマ大統領の就任演説は決して優れたものではなかつたが、それでもアメリカとはどういふ國かといふ意識に貫かれてゐた。我國の首相の發言にはそれがない。どぢやうによる國民のための政治はあつても、日本とはどういふ國なのかといふことへの言及はない。いやさういふ發想すらない。

 日本の近代は、ひたすら幸福=快樂を求めて來たが、その裏面に虚無が貼附いてゐた。さういふことである。斷末魔であるが、行くところまで行くしかない。

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