言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

松原正氏は、小谷野敦さんを讀んでゐた。

2004年11月30日 08時23分45秒 | 日記・エッセイ・コラム
 小谷野さんの『評論家入門』の續きである。面白さは繼續してゐる。だが、やや穩當さを缺くやうに思へる部分もある。山崎行太郎と大西巨人との論爭についての件は、そんなに批難するほど山崎さんは「キチガイ」であるとは思へない。江藤淳の文章にたいする大西さんの理解は、やはり適切ではなく、正確さが必要であつただらう。つねづね小谷野さんは「意見よりも事實を」といふのであるから、むしろ山崎さんを擁護すべきであると感じた。これでは、山崎さんに何か個人的な感情があるのではないかと思つてしまふ。

 ところで、第6章に松原正氏の『夏目漱石』についてのコメントがあつたのには驚いた。松原氏がなんと小谷野敦さんの『夏目漱石を江戸から讀む』を引用、批判してゐたのである。私も松原氏の本書は讀んだが、その頃は小谷野さんのことを知らずに素通りしてゐたやうだ。小谷野さんがまた松原氏を讀むと言ふのも驚きで、讀書の幅の廣さにこれまた驚いた。
 意氣軒昂、干されても鬪ふ批評家として松原氏を擧げてゐるのは、好感が持てた。

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