言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

西郷どん、あと一回

2018年12月11日 21時33分17秒 | 評論・評伝

  西郷どん、とうとう見続けてしまつた。史実かなと思はれるやうな怪しい展開に少々疑問を持ちながらも見てしまつた。

  前回の放送では以前住んでゐた延岡市の和田越峠が出て来て懐かしく見た。そこは激戦の地でもあり、薩摩軍が解散を宣言した場所とも近い。敗走する西郷が通つた可愛岳(えのたけ)も懐かしい響きだつた。

  西南戦争だけを見ると悲劇の側面は強い。しかし、鳥羽伏見の戦ひで怪しい勅書を奉じたのも西郷である。それなら大久保を怨んでも仕方ない。策を弄する者は策にやられる。そしてまた薩摩軍を滅ぼした新政府陸軍は、日清日露を経て大東亜戦争で敗れる。日本の近代は、勢力争ひでしかない。そこに精神の高みは開かれてゐたか。

  私はそれを強く疑つてゐる。誰誰には負けられない、といふこと以上の動機がない近代化には富国強兵や殖産興業は実現できても、個人と社会とをつなぎとめる超越者を見つめる人間観を発見できない。それはあたかも「はないちもんめ」の遊びのやうで、勢力争ひに勝つても子供のままであるのと同じである。

  近代化は子供の遊びか。さうではあるまい。自己の存在を否定する絶対他者を意識でき、それに対峙する中で自己を高めていくといふ観念操作をできるのが大人である。幕藩体制を否定しておいて、それ以上にひどい権力集中を招いた藩閥政府を作つた彼らはやはりはないちもんめに違ひない。西郷がその中で一つだけ秀でてゐたのは自ら命を落としていつたといふことである。西南戦争の重みはそこにあると思ふ。

西郷どん 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド)
NHK出版,中園 ミホ,NHKドラマ制作班
NHK出版
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