言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

滝廉太郎青年は、「荒城の月」ただ一曲で対峙している。

2018年06月23日 17時22分02秒 | 評論・評伝
正論2018年7月号 (向夏特大号 平和のイカサマ)
日本工業新聞社
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 『正論』7月に、新保祐司先生が正論大賞東京講演会で話された内容を寄せてゐる。題は「日本人は日本文明を保持する意志があるか」である。

 文明を論じ、明治150年を主張するたいへん構への大きい論考である。しだいに憂色の濃さが際立つやうになつてゐる新保先生の文章である。しかし、文学の士であるからその味はひには滋味があつて、胸が焼けるやうな粘着質のものではない。なんと表現したらよいだらうか、覚悟を秘めてゐるが清々しいのである。その一つの例が、表題にあげた言葉である。

 明治期、滝廉太郎は23歳で夭逝した。ライプチヒに留学した折、下宿の主人に「タキ、おまへは日本といふ国からドイツに一所懸命西洋音楽を学びに来てゐるけれど、どんなものを作つてゐるんだ」と訊かれた。その時、滝は「荒城の月」をピアノで弾いて聴かせたといふ。司馬遼太郎はそのことに触れて「胸がつまりそうになる」と書いた。1685年生まれのバッハ以来、豊穣なる音楽の傑作を産み出してゐる国に応戦するのに、日本人「滝廉太郎青年は、『荒城の月』ただ一曲で対峙している」。この圧倒的な音楽の伝統に「ただ一曲で対峙した」青年に注目する司馬や新保には、同じやうな覚悟はないとは言へまい。

 明治といふ時代のその孤独で虚弱で、それでゐて気概だけはある、無鉄砲な姿。そこには短調がふさはしい響きなのであらう。明治の精神とは、「受けてゐるさまざまな挑戦に対して応戦する意志」である、新保氏の主張はそこにあると感じた。さういふ「意志」を受け継がうとしてゐる人の無言の伝達が、この近代日本を支へてきたのである。

 滝がこの曲を構想したのは大分県の竹田市にある岡城址であるといふ。小さい山で、こんもりとその山だけが周りとは別にある。私も九州にゐた折に二度ほど登つたことがあるが、石垣が部分的に遺る、あまりひと気のない静かな山である。

   滝は療養中の大分市で亡くなつた。その日は6月29日、間もなく命日である。

 

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