言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

ソフトファシズムだらうね。

2018年07月05日 22時26分46秒 | 評論・評伝

 誰の言葉だつただらうか。

 消費社会の人生観を善きものとして「柔らかい個人主義」と名付けた山崎正和かもしれないが、嫌煙ブームを取り上げてソフトファシズムと言つた人がゐた。

 そしてその柔らかい全体主義は、もうどうしやうもないぐらゐ私たちの社会を覆つてゐる。それはソフトでももはやない。例へば、連日サッカーの話ばかり。その前は和歌山の資産家の話、その前は日大のアメフトの話、そしてその前はモリカケ問題。もううんざりしてゐるはずなのに、それでも話題はそればかり。テレビの作り出す空気が今や日本の文化をこれ以上ないほど破壊してゐる。政治は前進せず、大学は経営に走り、拝金主義はいやますばかり。「節操のない御都合主義」が「不見識な全体主義」を産み出してしまつた。

 端的な例は身近にもある。今、日本中の学校において授業の質が落ちてゐるはずだ。なぜか。それは学級崩壊のせいでも学力低下のせいでもない。生徒も教師もワールドカップを見てゐるからである。どこかの国のテレビのゴールデンタイムに合はせるために、試合はいつも夜中になる。だから、夜中にテレビを見ることになる。ベルギー戦の最高視聴率は42.6%だと言ふ。もう馬鹿としかいいやうがない。何が楽しくてその時間に生で見なければならないのか。それをしなければならない理由がどれほどの国民にあるのだらうか。じつに国民のほぼ半数が見てゐるといふこと自体、文化の融解を意味してゐる。多様性の尊重などと声高に叫び相対主義の時代を称揚してゐる人たちが、玉転がしに興じてゐる。伝統文化の尊重などと論陣を張る保守主義者の論客もまた然りである。これはいつたい何なのだらうか。

 もう十分にファッショだね、これは。思想も哲学も、感情にはかなはないといふことか。

 「群衆は、ほとんどもっぱら無意識に支配されるのである。その行為は、脳の作用よりも、はるかに脊髄の作用を受ける。遂行される行為は、その出来栄えからいえば完全であることもあるが、脳によって導かれるのではないから、個人は、刺戟の働くのに任せて行動する。」といふのはフランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの言葉である。

 群衆化した社会にあつては、良き習慣を守る、それ以外の対抗策はない。夜は早く寝ろ、朝は早く起きろ。以上。

群衆心理 (講談社学術文庫)
桜井 成夫
講談社
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