言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『常識的で何か問題でも?』

2018年12月27日 18時17分55秒 | 本と雑誌

 内田樹がアエラに連載してゐたものをまとめたものである。

常識的で何か問題でも? 反文学的時代のマインドセット (朝日新書)
内田 樹
朝日新聞出版

 

 一項目、新書にして2頁ほどのものであるので極めて短い。しかし、分量が決められてゐるから余計なことは言はずに結論をストレートに書くから分かりやすい。その分かりやすさは、納得がいくといふことではない。政治的な内容については殊に偏りがひどく、論理的に書いてゐるやうで実は情念の告白だなといふことが多い。けれども、主旨は分かりやすい。

 内田といふ人は、話芸の達人だ。知的なおばさんがしゃべつてゐるやうに(これはセクハラかな)文章がよどみなく流れていく。これは蔑んでゐるのではもちろんない。頭の回転がよいといふことである。読んでためになるといふのではなく、自分の頭で考へることをしてゐる人を身近に感じられる知的刺戟がある。

 面白かつたのは、後書だつた。どうして政治的な見通しを外し続けたのかといふことへの自分の仮説が述べられてゐる。その答へをここで書いてしまふのはルール違反なので、本屋ででも読んでもらひたいが、なぜフランス文学学会が衰退したのかを考へることで、その解答を得ようとしてゐるのは内田樹の面目躍如であつた。

 年末の忙しいなかで、移動の車中で読むにはもつてこいであつた。ぜひお勧めする。

 ただ、内田樹が「常識的」かと言へば、さうではあるまい。彼が常識的であれば、彼の批評はつまらないものであるはずだ。しかし、面白いのであるから、それは非常識なのである。それはちやうど福田恆存が「常識に還れ」と言つたのと同じである。ついでに言へば、河上徹太郎が日本の正統はアウトサイダーの中にあると言つたのとも通じてゐよう。もちろん、そのお二人と内田とが同じ水準にゐるかと言へば、率直に言つて否ではある。しかし、現代の批評界の、底を打つたやうな状況の中で読むべき人の一人であることは間違ひない。

 来年も新著を期待してゐる。

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