言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

蟹の穴ふせぎとめずは高堤やがてくゆべき時なからめや

2018年12月07日 12時52分06秒 | 評論・評伝
夜明け前 全4冊 (岩波文庫)
島崎 藤村
岩波書店

 蟹の出入りするやうな穴があれば、それを塞いでその出入りを止めなければ、高い堤防もやがて崩れてしまふ時が来ないわけがない。

 先日、新保祐司先生の「正論」を読んでゐて出てきた、島崎藤村『夜明け前』の中の歌である。

 かういふ危機意識を持つことを私達は嫌ふ。曰く「縁起でもない」。曰く「何にも無かつたら、それに対処した時間とお金をどうするつもりだ」。

 危機意識を言葉にするとそれが現実化するから言葉にするな、といふ言霊の信仰が今も私達には生きてゐる。ポジティブシンキングを持たう、などといふ軽薄な風潮はその現代版でもあらう。しかし、危機(リスク)を予測しない安全はないし、それを持たなければ本当の危機(クライシス)が来たときには崩壊する。

 「くゆべき時」を想定しない限り、私達の社会は、私といふ人間自身もよくはならない。

 だから、「蟹の穴」をふせぎとめようとする者が現れなければなるまい。

 彼らのことを、預言者と言つてゐた。エレミヤは、それゆゑ悲しみや寂しみを聖書に残してゐる。そして漱石の悲哀もそれにつながつてゐる。さういふ文学が、今の日本にあるのだらうか。小説をあまり読まない私は知らないが、売れてゐる作家には、さういふものはないだらう。

 

 

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