声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

今年の薔薇

2019-05-27 11:44:17 | Diary
 
ようやく咲き始めた我が庭のバラ。
 
いつもなら
 
わーっといっぺんに咲くのに
 
 
今年は、何かヘン
 
 
ちょぼちょぼと、遠慮しがちに
 
( 咲いていいのかなぁ)
 
と、季節を探るように咲いている。
 
 
5年前に住んでいた家から今の家に引っ越す際に移植したピエール・ドゥ・ロンサールも、
 
なんとなく元気がない。
 
 
 
インフィニティだけが
 
毎年変わらずに、いつもの場所でマイペースに咲いている。
 
 
 
アンジェラは、
 
咲いたと思ったら、すぐに散ってしまう
 
 
 
その典型が、
 
最初に咲いたモッコウバラだった。
 
残念なことに、咲いてすぐ枯れた
 
 
夫が剪定を失敗したのかと思って訊いてみたが
 
原因は、わからないと言う。
 
 
一気にやってきた猛暑に戸惑っているのかなぁ
 
(~_~;)
 
 
 
 
 

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お江戸日本橋〜ふじの山

2019-05-27 09:44:00 | Diary
皇居宮殿での歓迎式典を
 
TVの前で、いつのまにか
 
かしこまって見ている自分に気づいた。
 
 
私の祖母が、
 
かつて天皇皇后両陛下のご様子がTVに映し出されると、
 
必ず正座して見ていたように
 
 
(私は、典型的な昭和の家庭に育った日本人なんだなぁ)
 
と、
 
無意識に身についた習慣におかしくなった。
 
 
 
TV画面には、
 
通訳なしで、エスコートされる天皇皇后両陛下が映し出された。
 
元外交官の皇后様は、ごく自然に米大統領夫人と話されてる御様子で
 
何より、堂々とされていて、
 
とても感銘を受けた。
 
 
 
 
栄誉礼では、
 
コシノジュンコさんの特別儀仗隊の式服が美しく映えていて、
 
一糸乱れぬ《捧げ銃》に
 
赤い絨毯の上のトランプ大統領の顔が
 
やや上気しているようにみえた。
 
 
黛敏朗さんの栄誉礼の曲はカッコいいけれど、
 
聴きながら、
 
(どこか、ゴジラ映画で自衛隊が出動するときの曲と似てるなぁこの場合のゴジラは、トランプさんか)
 
と、少し不謹慎な思いがよぎった。
 
(~_~;)
 
 
栄誉礼巡閲の曲は、
 
トランプ大統領の歩くテンポが速いのか、
 
最後が“尻切れとんぼ”になってしまった。
 
(あと少しで曲が終わるのに)
 
という思いが残った。
 
 
 
メラニア夫人の装いは昨日とは打って変わって、
 
花の刺繍を施した清楚な白いワンピースドレス。
 
“和”を意識したのだろうか、
 
付け下げのような品の良いデザインだった。
 
 
陸自中央音楽隊の
 
「お江戸日本橋」「ふじの山」は、
 
行進曲風のアレンジが功を奏して、
 
一曲ずつ演奏したあと、
 
「お江戸」の2回目のイントロで終わり
 
出迎えた要人への挨拶も、スムーズな印象だった。
 
 
 
ワシントンポストは
 
昨日の厚遇ぶりを
 
「大統領はほぼ観光客として1日を過ごした」と皮肉ったそうだが、
 
今回の《おもてなし外交》は、
 
これからが、正念場だとニュースは伝えている
 
 
我田引水のミスター・プレジデントに
 
日本流の“おもてなし”が、どれだけ伝わったのか
 
 
 
今日も、真夏のような猛暑。
 
いつも、
 
こんな暇人のblogを読んでくださって、ありがとうございます。
 
 
この暑さで一気に、ピンクチャイムが咲きはじめました!
 
 
 
 
 

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八田別荘

2019-05-27 08:58:54 | Diary
避暑地として知られ、

一時の賑わいはなくなったものの

依然としてアジア系の外国人観光客には人気のある軽井沢の中でも、


比較的静かな室生犀星記念館やレイクガーデン周辺は特に私のお気に入りの場所だが、

軽井沢銀座を避け、

裏通りに一本入ったところの旧い別荘を見て廻るのも、また楽しみの1つ。

何が楽しみかって、

そこに、かつて棲んでいた人の顔を想像しながら、

暮らしぶりを勝手に妄想するのが愉しいのだ。


昨日は、

5年前に町の文化財に指定された八田別荘の周辺を散策した。


築125年の外観は、意外なほど質素な印象…



見学には事前予約が必要らしく入り口にはロープが張られていた。



もともとは個人の持ち物だったようだが、

旧い建物で維持管理が大変なのだろう…町に寄贈されたという事だろうか?


有名な建築家が造ったとかではなく、

建物そのものの価値云々ではなく、

軽井沢の“別荘第1号”ということへのオマージュを込めて、

遺されているのかな…?


中には和室もあるらしい。

湿気の多い軽井沢で、畳のある木造建築物を管理するのは大変だなぁ…。


…で、


この文化財のHPによれば

八田裕二郎氏は、この別荘を建てた後、

《日本人に夏の転地療養に高原の軽井沢へ別荘を建てることを勧めた》

のだそう…。


もし、そんな歴史がなければ、


上皇様と上皇后様のテニスコートの出逢いは、

なかったかもしれない…。




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