TBA

(仮)

なんだっけ トイレで思う アスパラか

2018-06-19 | テレビ番組

きたない話。

アスパラガスおいしいんだけど、

トイレ行くときちょっとなあ。



まだ安心はできないけど、

1日たってちょっと落ちついたかも。


ここで出てくる不謹慎叩き。

不注意とか言葉足らずはかんべんしてあげてほしいけど、

確信犯的に発言してる人となら、

お互い正々堂々と戦えばいいんじゃないだろうか。

日本にはまだ言論の自由があるんだし。


言いたいことは言っていいけれど、

結果に対して責任は負わないといけない。

それさえわかっていれば、あとはどうぞお好きに。




それにしてもあのブロック。

さんざん地震の時にはブロックに注意って言いながら、

あれを放っておいたのは…

写真撮ってて気づかなかったかなあ。


ほんとかどうか知らないけど、

同じような塀がその市内にほかにもあるのだとか。

ブロック積み上げるのって安いのかもしれないけど、

目隠しだけなら、支柱を立てて、

カラーの波板でもアルミの板でもいいわけで、

そういうふうにした理由がなにかあるのかもしれない。




「ゴールデンカムイ」見て、

夜中に腹かかえて笑ってしまった。

食べられるオソマに、

白石うしろーからの、あっさり…でやられて、

最後は茂造階段。

タイトルを見てホラーだといやだなあと思ったんだけど、

完全に裏切られた。


不安なときには笑うのも正解かも。




で、そのあと「フットニスタ」のあとで、

見たり見なかったりしてた「ミューブ」

なんだかんだおもしろかった。

ちゃんと見ればよかったかな。


平祐奈さんはやれるうちに、

こういう役いっぱいやっとけばいいと思う。




「100分de名著」も。


「いじめ」に例えるのはちょっとずれてるような。

自分が不幸なんだから、みんなも不幸になればいい、

的な感じのように思える。



『実践的な行動の中で人と人とが結びつく』


待機児童、貧困対策…、

ほんとうに必要なことなら、

NPOでもなんでもでできることから、

とりあえずやってみればいい。


それこそ今の日本の震災ボランティアのシステムなんかは、

そうやってできてきたものではなかったかな。


やってみて初めて無関心な人のことも動かすことができる。


野党が政権交代をしたいのなら、

与党の足を引っ張るのではなくて、

一歩一歩地道に自分たちでやれることをやって、

実績を積むしかないのでは。

TVカメラの前でパフォーマンスをするのではなく。


「神」とか「信仰」についてのことは、

やっぱりよくわからないけれど、

日本人はずっと「神」という存在なしに、

自然とともに生きてきたのだと思う。


そして死は突然訪れるのだから、

神と死が関係ないのはあたりまえ。

宗教はそういう苦しみを和らげるための方便でもあるのだから、

逆も真というわけではないはず。


ペスト=殺人は、?だけど、

そもそも死刑と殺人もイコールではない。


『あらゆる場合に犠牲者の側に立つことを決めたのだ』


ご自由に。

でも、それを他人に強制するのは違う。


すべての人が持っている、

『自分のうちにある悪』

それは受け入れなければいけないけれど、

どう受け止めるかはそれぞれの自由でいいはず。



神父についての伊集院さんの発言で、

映画の「Uボート」とか、

「ポセイドンアドべンチャー」を思い出したけど、

キリスト教圏の方とはやっぱり感じ方は違うのかな。

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