我を通したいなら 強くなるしかない
と。
ここでの 強さ とは 責任感。
無責任 に
自分のことしか考えられない人間 は
次の段階には 進めないはず。
個々の能力 に 大差 変わりはなく
物事の原因 は 自身にある と 捉え
多少の我慢 と 責任 を 知り
その覚悟を決めれるかどうか の 違い が
要 だと 思います。
無責任 に
権利ばかり主張していては
誰も相手にしてくれません。
先ずは 気持も 行動も
自分にできること を 前向きに
一生懸命に。
その結果として
世の中から与えられるのが
『 権利 』 なのだと思います。
何も貢献してないのに
自己主張だけ一人前じゃあ
誰も 相手にしてくれません。
国 が 悪い
政治 が 悪い
社会 が 悪い
親 が 悪い
子供 が 悪い
友達 が 悪い
伴侶や恋人 が 悪い
会社 が 悪い
上司 が 悪い
同僚 が 悪い
部下 が 悪い
出逢った人 が 悪い
って 卑屈になって
物事 うまくいく ワケ も なく
せっかく 与えられた
個々の素晴らしい才能 を
発揮できない どころか
さらに 状況 を 悪化させるだけ。
卑屈で 愚痴ってばかりの人より
明るく 前向きで 楽しい人のほうが
人 が 集まります。
世の中 の 出来事 や
自分の人生で起こる事 に 対して
その現実 を どう捉えるか ・・・
起きている現実 や 状況 は
変わりません。
しかし その現実 や
状況 の 捉えかた次第 で
その後 の 未来 は
いかようにも 変えられる
と 思うのです。
運 が 悪い と 捉え
嘆き 悲しみ 恨み 不幸の連鎖 で
苦しむか
良い経験 教訓として 捉え
今後に活かそう と
前向き に 活かしていくか
選ぶのは 自分 です。
そうはいっても
今回 の 大震災により
被災者の方々が 受けた
想像を絶する悲しみ や
恐怖 ・・・
それら経験 を
すぐに前向き に 捉えることは
難しい と 思います。
しかし 被災地以外 で
直接 被害を受けることもなく
生き残った我々 は
被災者の方々 の 回復 や
復興のためにも
日々の生活 で 起こる
ちょっとした困難 に 対して
前向きな選択 を
していかなくてはならない と
想うのです。
『 仕事ができる 』 という現状 を
ありがたい と 想います。
「 ~ が 悪い 」 と
捉えるか
「 ~ の おかげさま 」 と
捉えるか
毎日の出来事 に 対する 見かた や
考えかた を 意識して 変えるだけで
感謝すべきこと が ハッキリ と
解ります。
感謝できれば
貢献したいという 想い が 生まれ
本来の能力 を 発揮して
喜び が 増えるはず です。
想いやり や 喜び が 増えれば
人生の協力者 も 増えます。
結果 人に愛され 豊かな人生 を
楽しめるものだと 思います。
未熟ながらに
経験上 そう 思っています。
国 の おかげ
政治 の おかげ
社会 の おかげ
親 の おかげ
子供 の おかげ
友達 の おかげ
伴侶や恋人 の おかげ
会社 の おかげ
上司 の おかげ
同僚 の おかげ
部下 の おかげ
出逢った人 の おかげ
『 おかげさま 』 と 思えるところは
良く想えば 必ず あるはずです。
少し 目線 や 角度 を 変える と
見えかた が 変わり
違った面 が 見えてきます。
影 が できるということは
光 が あたって いるからで
表 と 裏 が あるように
どちらも 存在する以上
選択するのは 自由。
であれば
自分にとって 有益な捉えかた で
納得できる人生 を
楽しんで生きたい と 想います。