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20年前の節目に

2015-01-17 18:08:05 | Weblog
20年前の節目に思うこと

当時の自分の手記から抜粋



1995年1月17日、午前5時46分、阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)。
当時、ボランティアでキャンプリーダーをする、自然大好き、子ども大好きな、ごく普通の大学生。
災害現場に野外活動で学んだことが生かせるのではないかということで、すぐに神戸に派遣されることになりました。
車で行けるところまで進み、神戸の街に着いたのは夜中。
あたりは停電のため真っ暗。
映画のセットのような暗闇の瓦礫の中…ウルトラマンが闘った後の街ってこんな状態なのかな…とまったく現実感が沸いてこない。
車で進むうちに、こんな状況で自分に何ができるのだろうと不安で胸が一杯に。そして、自分の考えの甘さを痛烈に感じた…。
自然はすばらしい!そのことを疑うことなく信じていた私には、自然の持つもう一つの顔を全く見ようとしていなかった。
私たち生きている、そして、この星”地球”も生きている。
そのことを忘れてしまいがち。
たくさんの「生」とかかわりあい・つながって生きている。
私は神戸でボランティアとして3ヶ月ほど活動し、”それまでの自分”ではいられないと痛感。この大震災での体験と神戸の人たちとの出会いが、自分の人生のターニングポイントでした。
私が神戸で活動していたのは、被害がもっとも大きかった東灘区。小学校で私は物資を配ったり、時にはひなん所の子どもたちと話をしたり、遊んだり(某大学とのプロジェクトで子どもたちの心のケア担当)していました。
被害の大きさと犠牲者の数ばかりが注目されますが、この大震災では、助けを必要とした人…二万人以上の方が家族や地域の人の手で助けだされたこともまた事実です。
全てを失いながらも、自分のことだけでなく、他の誰かに手を差し出す・・・そんな強さとやさしさがこれからは必要となってくるでしょう。



当時、4年生だった子の作文です
 あたりまえ
 家がまっすぐたっている
 じゃくちをひねれば水が出る
 ガスが出て おふろに入る
 かぐがまっすぐにたっている
 全ぶあたりまえのことだけど
 今の神戸は あたりまえじゃない
 ぼくは ふだん あたりまえを
 ぜんぜん気にしていなかった
 学校が5時間目まであって
 給食もあって
 ごくふつうのこと
 こんなのいやだなっと思っていたけれど
 今は その時にもどりたい
 あたりまえが 一番いい

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