LiveInPeace☆9+25

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

迷走する政府答弁(下) 憲法9条は究極の原理 

2015-06-12 | 集団的自衛権

 72年の「集団的自衛権は行使できない」との『政府見解』は決して「その時の安全保障環境を当てはめた」ものではない。憲法9条から必然的に導き出される帰結である。その根本原則を変えてはならない。政府は72年から一貫してこの政府見解に従ってきた。
 中谷防衛相は5日「現在の憲法をいかにこの法案に適用させていけば良いのかという議論を踏まえて、閣議決定をおこなった」と発言して大問題になったが9日には「憲法の範囲内で法案を作成するという意味だ」と釈明にまわった。しかし10日に中谷氏は“情勢によって再解釈可能”と発言し、横畠内閣法制局長官は「存立を脅かす明白な危険がなくなれば、(個別的自衛権に)限られる」と発言し、政権と情勢の変化によっては集団的自衛権合憲解釈が変わる可能性を示唆した。これではまるで安倍政権下で9条の縛りを一時的に停止させ、無憲法状態を生み出すことを表明するようなものだ、「安倍政権下に限って集団的自衛権は合憲だ」と。
 この程度の憲法認識の人物が防衛省そして内閣法制局のトップにいるということは危機的である。
※憲法を「安保法案」に適用させる――中谷防衛相の発言に「憲政史上最悪」と非難の声(弁護士ドットコム)
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3217/
※安保関連法案:防衛相…憲法解釈「時代背景とともに」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20150611k0000m010099000c.html
※憲法解釈、再変更も 防衛相が見解 安保環境次第で(北海道新聞)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0143976.html

 情勢の変化によって憲法解釈を変えることなど許されない。集団的自衛権は禁じられている。したがって、「我が国の存立の危機」「他国防衛」等いかなる理由をつけようとも許されない。
 その上で、あえて「情勢の変化」を問題にするにしても、それが憲法解釈変更の理由となり得ないことは明らかだ。
 『政府見解』が出された72年は米ソ核戦争の脅威が現実のものとしてあった。核軍拡競争を押さえるためにSALTⅠ(第一次戦略兵器制限交渉)が調印された。5月には米施政下にあった沖縄が、基地自由使用と日本の巨額の財政負担の密約のもと日本に返還された。11月には米軍による北ベトナムへの空爆が再開されている。在日・在沖縄米軍基地がベトナムへの出撃基地となった。これだけでも、他国の武力行使で我が国が存立の危機に陥るという意味では、今よりも数倍危険性が高かった。ベトナム反戦運動と反核平和運動に押されて、日本政府は憲法9条のもと「集団的自衛権行使は許されない」との見解を表明し、自衛隊を海外派兵したり直接ベトナム戦争に加担するようなことはなかった。もしこのときに集団的自衛権を行使していれば、アジア太平洋侵略戦争に続いてベトナム戦争への直接加担というとりかえしのつかない過ちを犯したことになっただろう。

 政府は6月9日に出した『安保法案に関する政府見解』のなかで「パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展」などと言っているが、それはいつの時代にでもあることだ。「大量破壊兵器などの脅威」は、まさに72年当時、米国が地球を何回も破壊できる量の核兵器を保持し、ベトナム戦争では枯れ葉剤や化学兵器、毒ガス兵器などの大量破壊兵器、非人道兵器を使った。「大量破壊兵器」の保有・行使の最大の犯罪者は米国である。
 72年に集団的自衛権の行使を禁じたのは「当時の安全保障環境」などではなく、過去の侵略戦争を反省し、「戦争放棄」「戦力の不保持」を貫こうという日本の人民の固い決意と、全世界のベトナム反戦運動だった。

[転載]「安保法案に関する政府見解」と「自民党議員向け文書」全文

---------------------------
1972年の自衛権に関する政府見解の全文

 国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第5条、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソビエト社会主義共和国連邦との共同宣言3第2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。そして、わが国が国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。
 ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。
 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
 しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

---------------------------

迷走する政府答弁(上)憲法無視、憲法破壊は許されない

迷走する政府答弁(中) ねじまげ、こじつけ、すり替え--集団的自衛権合憲論の2つの「根拠」

(ハンマー)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。