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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

(ベネズエラ連帯) ベネズエラ・ラテンアメリカ短報No.45

2022-04-29 | ラテンアメリカ
ベネズエラ・ラテンアメリカ短報No.45
( 2022年4月28日 )


(ベネズエラ要点)
・ 今回は、2002年4月に起きた反革命クーデターと革命的人民によるその逆転についての論説をとりまとめた。特に、People's World(April 14)の論説は、20年前の事態をよくまとめて再現しているので全訳した(はじめの方に概略、最後に全訳を入れている)。 / 4月11日、マドゥーロ大統領は、2002年4月11日のクーデターを逆転した20周年記念集会で、社会主義社会の構築に向けて前進することを再確認した。
・ 現状については、ベネズエラ経済の回復基調が本格化しつつあることと、その中でコロンビアがそれを妨害しようと画策していることに絞って報告(その他のことについては次回回しに)。 / コロンビアのドゥケは、ベネズエラの経済状況が徐々に改善していることを踏まえ、大統領任期終了前にベネズエラに危害を加えたいという欲求に駆られている。ベネズエラ内の極右勢力と協力して、電気システムと飲料水サービスを狙った攻撃を計画していたという。 / マドゥーロ政権は、この間、国境沿いに軍事物資の貯蔵場所や準軍組織の拠点などの掃討作戦を展開。
・ ベネズエラの経済回復が本格化している。2014年以降に強化された米国による経済封鎖の中で、石油輸出だけに依存しないように経済の多角化に取り組んできたことで、2021年には経済成長率がプラスに転じるところまできた。 / 「クレディ・スイス」や多くのアナリストたちが、ベネズエラの経済回復を確認しており、今年も昨年以上に回復すると予測している。

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(20年前のクーデターとその逆転)

Venezuelanalysis Apr 20th 2022 By Dan Beeton - CEPR
The Venezuela Coup, 20 Years Later 
(ベネズエラのクーデター、20年後)
【2002年のクーデターは社会主義指向になる前のチャベスだったということを指摘し、なぜそれを米国はクーデターで倒そうとしたかを論じている。それがハイチ(2004年)、ホンジュラス(2009年)、パラグアイ(2012年)、ブラジル(2016年)、ボリビア(2019年)でのクーデターなどでも繰り返されたという。 / 「ラテンアメリカの革命的大衆闘争」(2022.04.24 Sunday)に訳あり。】

Peoples Dispatch April 16, 2022 by Tanya Wadhwa
Venezuela commemorates 20th anniversary of the failed coup against Hugo Chávez
(ベネズエラ、チャベス大統領に対する失敗したクーデターの20周年を祝う)
クーデターの失敗は、21世紀における米帝国主義に対するベネズエラ人民の最初の勝利であった。それは、今日まで続いている米国の攻撃に対するベネズエラ人民の抵抗の始まりであった。 / 2022年4月13日、ベネズエラ人民が、民主的に選出された社会主義大統領ウーゴ・チャベスに対する米国支援の右翼クーデターを2日足らずという記録的な時間で打ち破ってから20年を迎えた。 / 水曜日(4/13)、数十万人のベネズエラ人が首都カラカスの通りに溢れ、帝国主義クーデターに対する人民の歴史的勝利の20周年を記念した。 / 反ファシズム国際サミット クーデター20周年を記念して、ベネズエラで「反ファシズム国際サミット」が開催された(4月11日~13日)。53カ国から200人以上の代表が参加した。 / ベネズエラのフェリックス・プラセンシア外相は、このイベントの目的は、「2002年のファシストによるクーデターに対するベネズエラ国民の抵抗を記憶するだけでなく、世界のどこでもファシズムに反対する力を結集することだ」と述べた。プラセンシアは、3日間の会議の間、世界中の政治的・社会的指導者たちは、新しいコミュニケーションの形態について話し、闘争と民衆の抵抗の経験を共有したと報告した。 / 4月12日にはマドゥロ大統領も会議に参加し、ベネズエラの大衆放送局がボリバル革命に対抗する西側メディアのコミュニケーション覇権を打破するためにいかに努力してきたかについて語った。 / また、ベネズエラの人民と政権がチャベスの遺産を守り続けていることを強調した。

People's World April 14, 2022 BY ANDREW KING
Venezuela 2002: The coup heard around the world
(ベネズエラ2002年:そのクーデターは世界中で聞かれた)
【概略】
20年前、21世紀の幕開けに、あまり知られていなかった南米の国ベネズエラで起きた米国が後押しするクーデターが失敗し、そこからラテンアメリカは新しい道へ歩み始め、社会主義がグローバルなアジェンダに返り咲くことになった。 / 石油に依存するこの国は、・・・地球の黒い金である石油が経済を完全に支配し(輸出の90%以上を占める)、農業生産をラ米で最も低いGDP比率にまで低下させ、国内の産業発展を完全に阻害してしまった。 / 1989年、カルロス・アンドレス・ペレス大統領の政権は、IMFの「構造調整パッケージ」に応じた。それが、新自由主義に対する世界的な反乱の起源であると多くの学者によって考えられている「カラカソ」の引き金を引いた。 / この蜂起に対する軍の残忍な弾圧により3,000人以上が死亡したが、国民のほとんどが依然として貧しいままであった。 ・・・このような政治情勢が、ウーゴ・チャベスの当選を準備したのである。 / ウーゴ・チャベスの当選 新自由主義政策の失敗と政府による弾圧が何年も続いた後、1998年にウーゴ・チャベスが地滑り的な勝利を収め、この国の古い政治エリートたちに前例のない動揺を与えた。チャベスは、軍の中の左翼メンバーで、ベネズエラ初のアフリカと先住民の血を引く指導者であり、貧困と闘い、国の莫大な石油の富を少数派のエリートから多数派の貧しい人々に再分配することを誓って、社会正義を掲げて立候補した。 / チャベス大統領は、就任早々、旧来の支配階級を権力から除く作業に取りかかった。チャベスは、それを、19世紀の南米独立の英雄シモン・ボリバルにちなんで「ボリバル革命」と名付けた。 / クーデター計画者たち 2001年、チャベス大統領は、ブッシュ政権の「テロとの戦い」の「味方か敵か」の論理に公然と反抗し、アフガニスタンでの民間人爆撃を批判した。 / ベネズエラは、すぐに米国の「民主主義的介入」の次のターゲットにされた。国務省は、試行錯誤を重ねた政権交代の方式を近代化し微調整して、ベネズエラを実験室として使うつもりだった。 / 2002年4月11日 2002年4月11日から13日にかけての衝撃的な出来事は、クーデター発生時にチャベス大統領の映画を撮影していたアイルランドの、信じられないほど幸運なカメラ・クルーによって撮影された画期的なドキュメンタリー「革命はテレビ中継されないだろう(The Revolution Will Not Be Televised)」にとらえられているように、壮大なドラマとして展開された。 / 4月11日(木)、数千人の反政府勢力のデモ隊がPDVSAに向けて行進を開始した。その一方で、大統領官邸ミラフローレス宮殿の外では、政府との連帯を示すために、チャビスタの対抗デモ隊の数が増えていた。そして、突然、反政府勢力の指導者がデモ行進のルートを違法に変更してデモ隊を大統領官邸に向かわせたため、両者が必然的に対峙することになった。 / 軍が群衆を引き離す緩衝材になろうとしたが、そのときどこからともなく隠れた狙撃手が発砲し、数人のデモ参加者の頭を撃ち、少なくとも10人が死亡、双方で数十人が負傷した。反政府勢力が支配するメディアは、近くの橋の上にいたチャベス支持者が狙撃者に向かって反撃する姿を捉えたが、メディアはこれらの映像を操作して、チャベス支持者が下の通りにいる「罪のないデモ参加者を殺害している」と非難した。 / 金曜日(4/12)の早朝、さらなる流血を避けるため、チャベスは平和的に去ることに同意した。ミラフローレスで逮捕され、最終的に彼を離島に連行すると思われるクーデター派の人質となった。暗殺の危機に直面しながらも、彼は、辞任の文書に署名することを拒否した。 / あらゆる「4月11日」は「13日」である その時、前代未聞のことが起こった。チャベス大統領の支持者の大群衆がカラカスの貧民街から押し寄せ、宮殿を包囲し、正当な大統領の帰還を要求したのだ。一方、チャベス大統領に忠誠を誓う大統領護衛隊の士官と兵士たちは、宮殿を奪還すべく急襲をかけた。 / 日曜日(4/13)の早朝にミラフローレスに戻ってきた人民の大統領は、拍手喝采する何千人もの支持者たちに迎えられた。クーデターは、軍の部隊と人民の間でのチャベスの大衆的支持により、48時間のうちに崩壊したのである。 / 「21世紀の社会主義」は、“貧困層に権力を与える”ために政府が設立した何万もの「コミューナル・カウンシル」において普通の人々によって実行され、草の根の意思決定と参加型民主主義を促進した。 / 四面楚歌の革命 国際的な左翼を再活性化し、世界中の何百万人もの人々を鼓舞した後、ボリバル・プロジェクトは、大変な後退を経験し始めた。6つの選挙に勝利した革命の最愛の指導者が、2013年に稀な癌で死亡し、何百万人ものチャビスタが失意と不信に陥った。 / チャベス大統領の後継者で同志の社会主義者ニコラス・マドゥーロの政権下では、事態は悪化する一方だった。・・・2014年、原油価格が1バレル130ドルから30ドルにまで下落すると、国は経済危機に陥り、3桁のインフレ率を引き起こし、大量の食糧と医薬品不足に陥り、ここ7年以上にわたって600万人のベネズエラ人が祖国を離れざるを得なくなった。 / その間、新植民地であり続けることをベネズエラ人民が拒否したことに対する米帝国主義の対応は、犯罪的かつ野蛮というほかはない。ワシントンは、ベネズエラの人々に対して、20年にわたる「ハイブリッド戦争」を遂行した。これは、ベネズエラの主権と自決権に対する情報戦、経済戦、金融戦、準軍事戦からなる。 / このような絶え間ない無慈悲な攻撃にもかかわらず、ボリバル政府と、そしてより重要なことに「コミューナル・カウンシル」で組織されたベネズエラの草の根とが、中国やロシアとの増大した貿易の助けもあって、何とか耐えて持ちこたえてきたのである。 / 流れは再び変わりつつある。ボリビア、ホンジュラス、チリで最近左派の大統領が選出され、新自由主義モデルを拒否する政府が増えてきている。 / 2002年4月13日が、大陸の歴史の転換点として記憶され、人々が帝国主義の抑圧に直面して挑戦状をたたきつけた日として記憶されることになるのは間違いないだろう。チャベスの精神で社会主義世界のための闘いを続けよう。すべての「4月11日」に「4月13日」をもって応えられるように願って。 【全訳は最後に】

Prensa Latina April 13, 2022 Published by: Pavel López Lazo
Venezuelan president reaffirms path to socialism
(ベネズエラ大統領、社会主義への道を再確認)
マドゥーロ大統領は、水曜日(4/11)、国民の福祉に焦点を当てた社会主義社会の構築に向けて前進するというコミットメントを再確認した。 / 「我々は新しい繁栄、幸福の新しいステージ、ボリバル社会主義に向かっている」と、2002年4月11日のクーデター後に憲法を回復した市民と軍の蜂起の20周年を記念する大衆集会で述べた。 / マドゥーロは、政府が「バリオ・アデントロ」医療ミッションの強化に取り組むことに加え、国内のすべての学校、高校(中・高)、大学の復旧に向けた取り組みを強めると強調した。 / 労働者の賃金を持続的に回復し、インフレを抑制するための行動を地方当局が展開していると付け加え、ベネズエラの退職者と年金受給者の購買力を回復するための特別計画も発表した。 / ベネズエラ大統領は、国民に対し、国家の努力を信じ、ベネズエラの経済的繁栄と最高の社会的幸福への扉を開くために働くよう呼びかけた。 / 同様に、重要な国有機関を苦しめている官僚主義や汚職を撃退することの重要性を強調した。

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(現状について: 経済回復とコロンビアの妨害活動)

Venezuelanalysis Apr 25th 2022 By José Luis Granados Ceja
Maduro Warns of Plot by Colombia’s Duque to Kill Venezuelan Security Forces and Sow Unrest at Border 
(マドゥーロ大統領、ベネズエラの治安部隊を殺害し国境に不安をもたらすというコロンビアのドゥケによる計画を警告)

マドゥーロ大統領は、ベネズエラの治安部隊を標的として殺害し両国の国境に不安をまき散らす計画の背後に、コロンビアのイバン・ドゥケ大統領がいると警告した。 / 大統領は、さらに、ベネズエラのインフラも攻撃される可能性があると警告し、土曜日(4/23)にカラカスで開催されたベネズエラ社会主義統一党(PSUV)第5回大会の中で、警告を発した。 / この情報はベネズエラの情報機関のもので、ベネズエラの経済状況が徐々に改善していることを踏まえ、ドゥケは大統領任期終了前に危害を加えたいという欲求に駆られていると、マドゥーロ大統領は述べた。

teleSUR Published 24 April 2022
President Maduro: Duque Plans Military Strikes in Venezuela
(マドゥーロ大統領「ドゥケがベネズエラで軍事攻撃を計画」)
ベネズエラ大統領の糾弾によれば、ドゥケが画策した計画は、ベネズエラの警察と軍隊の中での選択的暗殺に加え、国家電気システム(SEN)と飲料水サービスを狙ったものと思われる。 / 「極右細胞は、ベネズエラで起こっている回復と経済成長のプロセスを止めることを追求するつもりだろう」と、大統領は指摘した。

teleSUR Published 21 April 2022
Venezuela Thwarts US Criminal Plans Against Its Economy: Maduro
(「ベネズエラは自国経済に対する米国の犯罪的な計画を挫折させる」マドゥーロ)
木曜日(4/21)、マドゥーロ大統領は、ボリバル国民の基本的権利を侵害する米国の経済封鎖を打ち破ったと強調した。 / 「2014年以来施行されている500もの我が国に対する一方的な強制措置を打ち破った」と、マドゥーロはツイートしている。 / 米国の経済封鎖に対処するため、マドゥーロ大統領は、原油輸出だけに依存しないよう、国家経済を他の分野に多角化することを提案した。この戦略のおかげで、ベネズエラは7年間の不況を経て、2021年に高い経済回復率を示した。 / 昨年中に国民の可処分所得は1兆7000億米ドルに達し、食糧供給は2017年比で69%増加し、民間企業の60%が売上を伸ばした。 / 非伝統的な輸出は76%増加し、ホテルの稼働率は94%に上昇した。2021年末のインフレ率は約2%、税金の徴収率は120%まで上昇した。 / マドゥーロは、「米国の封鎖に対抗する戦略を成功させたことをうれしく思う」と強調したが、国営石油産業の再構築にはまだやるべきことがたくさんあると主張した。

teleSUR Published 20 April 2022
ALBA Denounces Vandalism at Venezuelan Consulate in Colombia
(ALBA、在コロンビア・ベネズエラ領事館での破壊行為を糾弾)
ベネズエラ政府は、2019年、イバン・ドゥケ政権がベネズエラの平和と安定に対する不安定化計画を支持していると非難し、コロンビアとの関係を断絶した。それを受けて、ボゴタのベネズエラ領事館は19年2月に閉鎖された。 / ベネズエラは、コロンビア政府に対し、両国の関係が破綻しているとはいえ、外交的ベースを尊重し、保護するよう求めた。 / 近年、ベネズエラとコロンビアの間には、緊迫したにらみ合いが続いている。米国に続いてコロンビアが野党指導者のフアン・グアイドをベネズエラの暫定大統領に認定したことで、両国は2019年にすべての国交を断絶した。

teleSUR Published 14 April 2022
Venezuela Dismantles Colombian Terrorists’ Drug Centers
(ベネズエラ、コロンビア人テロリストの麻薬センターを解体)
ボリバル国軍(FANB)は、西部のアプレ州で、コロンビアの麻薬密売グループの、またひとつ別のキャンプを解体した。 / 今年に入ってから、FANBはこの地域のパトロール活動を強化し、犯罪集団と対決し、彼らが活動するキャンプを解体している。 / FANBは、コロンビアで麻薬や爆発物を製造するために使用されているいくつかの即席の飛び地を不活性化することに成功した。

Venezuelanalysis Apr 9th 2022 By Ricardo Vaz
Venezuela: Inflation Lowest in Decade as Credit Suisse Forecasts 20 Percent Growth
(ベネズエラ: インフレはこの10年で最低で20%の成長をクレディ・スイスが予測)
スイスの投資銀行は、同国の石油部門が2022年に大きく成長すると予想している。 / ベネズエラは2012年以来最も低い月間インフレ率を記録した。 / ベネズエラ中央銀行(BCV)の報告によると、3月の消費者物価上昇率はわずか1.4%で、2月の2.9%の半分以下であった。これは、7ヶ月連続で一桁のインフレ率を記録したことを意味する。 / インフレ率は年間11.3%、過去12ヶ月では284.7%で、近年ハイパーインフレを経験した後、大きな転換期を迎えている。累積インフレ率は、2018年130,000%、2019年9,584%、2020年2,961%を記録している。 / インフレ率の低下は、ベネズエラ経済が2021年に7年ぶりに安定し成長することができた要因の1つとして、アナリストに評価されている。BCVの数値では、GDPは2015年以降3分の2以上縮小している。 / クレディ・スイスは、最近のレポートで、2022年の成長率予測を4.5%から20%に引き上げたが、この数字は「タイプミスではない」と強調した。 / ベネズエラの石油生産が20%以上増加するとの予測に基づいている。この楽観的な見通しは他のアナリストも共有しており、エコノミストのFrancisco Rodríguezも同様に、石油生産の増加と市場価格の高騰によって2桁の成長が維持されると予想している。

teleSUR Published 8 April 2022
Venezuela Manages to Deliver 4 Million Social Houses
(ベネズエラ、400万戸の社会的住宅建設を達成)
木曜日(4/7)、マドゥーロ大統領は、「グレート・ハウジング・ミッション(GMVV)」プログラムの一環として、ベネズエラ国民に400万戸の住宅を引き渡したことを祝った。 / GMVVプログラムの一環として、さらに100万戸の住宅を建設する計画であることを想起した。 / また、ベネズエラの住宅建設産業が使用する投入資材の97%が、現地の7つの生産工場で製造されていることも強調した。

Granma 8 de abril de 2022 Autor: José Llamos Camejo
Venezuela alerta ante nuevos sabotajes incentivados desde Colombia
(ベネズエラ、コロンビアからの新たな妨害工作の奨励を警告)
【スペイン語、機械翻訳】 イバン・ドゥケは、反ボリバル敵意を国策とした。彼はこの慢性的な憎悪の兆候を毎日示し、大統領の任期がほぼ終わり、ベネズエラに対する行動を加速させようとしているようである。 / コロンビア政府は、ベネズエラの経済的・生産的回復を阻害するために、ベネズエラの電力と飲料水をターゲットにしているようで、ベネズエラを苦しめ、感情を煽り、ベネズエラの経済的・生産的回復を妨げようとしている。 / ドゥケが引退前にベネズエラの右翼を招いて攻撃を計画していたことを知ったニコラス・マドゥーロは、これを非難し、攻撃の標的となりうる電気と水道を守るために「治安部隊、人民の力、労働者階級」を呼び寄せた。

Prensa Latina April 7, 2022 Published by: Luis Linares Petrov
Venezuela confirms decrease in consumer price index
(ベネズエラ: 消費者物価指数の低下を確認)
ベネズエラ中央銀行(BCV)は、3月の全国消費者物価指数の前月比変動率がわずか1.4%となり、低下傾向を確認した。 / インフレ率は過去115ヶ月間で最も低く、2月に報告された2.9%を下回った。 / 7ヶ月連続で消費者物価指数の月次変動率が10%未満となった。

teleSUR Published 6 April 2022
Venezuela: President Maduro Reactivates Social Dialogue
(ベネズエラ: マドゥーロ大統領、社会的対話を再活性化)
火曜日(4/5)、マドゥーロ大統領は、「市民フォーラム」のメンバーと「民主同盟連合」の議員を迎え、国民対話プロセスを再活性化することを目的とした会議を開いた。 / 「市民フォーラム」は、人権団体、学術団体、宗教団体、実業家、労働組合などが集まるプラットフォーム。

Prensa Latina April 5, 2022 Published by: Ileana Ferrer Fonte
Venezuelan Armed Forces dismantle explosive devices 
(ベネズエラ軍、爆発物を解体)
ボリバル国軍(FANB)隊員は、アプレ州でコロンビアからの非正規部隊が設置した爆発装置を発見し、破壊したと軍最高司令部が火曜日(4/5)報告した。 / 2022年初頭から、ベネズエラ国軍の迅速行動部隊は、これらの犯罪組織を無力化し、彼らの活動拠点として使用されている違法キャンプを解体するため、南西部境界の国境線でパトロール行動を強化した。

Prensa Latina April 4, 2022 Published by: Luis Linares Petrov
Venezuela reinforces security against possible attacks from Colombia
(ベネズエラ、コロンビアからの攻撃の可能性に備えて警備を強化)
ベネズエラ政府は、コロンビアからの攻撃の可能性についてニコラス・マドゥーロ大統領が訴えたことを受け、国内のすべての戦略的施設を強化した。 / 大統領報道機関のコミュニケによると、マドゥーロ大統領は、ドゥケが大統領職を去る前にベネズエラに対する不安定化戦略を描くためにボゴタで開かれたドゥケと過激派セクターとの会合について直接報告を受けたと断言した。

teleSUR Published 31 March 2022
FANB Seizes High Volatility Explosives in Apure, Venezuela
(ベネズエラ: アプレ州でボリバル国軍が高揮発性爆薬を押収)
軍関係者によると、ボリバル国軍(FANB)は、コロンビアとの国境にあるベネズエラのアプレ州で、コロンビアからの高揮発性爆発物を押収した。 / FANBは、「Vuelvan Caras」作戦を実施しており、コロンビア麻薬テロリストとその協力者を根絶するために、76,500平方キロメートルを現場で検査し、憲法上の主権を行使している。 / この作戦は、ボリバル市民軍を含むすべての軍部隊の兵士からなる大規模な部隊で平原に展開されており、「Tancol」(コロンビアの組織化された武装グループ)を追放し、ベネズエラ領内での彼らの行動を解体することを意図している。
【ここしばらく何度もこの軍事作戦の報道あり。】

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People's World April 14, 2022 BY ANDREW KING
Venezuela 2002: The coup heard around the world
(ベネズエラ2002年:そのクーデターは世界中で聞かれた)
 【全訳】

 20年前、21世紀の幕開けに、あまり知られていなかった南米の国ベネズエラで起きた米国が後押しするクーデターが失敗し、そこからラテンアメリカは新しい道へ歩み始め、社会主義がグローバルなアジェンダに返り咲くことになった。

 1991年のソビエト連邦崩壊――自由市場の信奉者フランシス・フクヤマがいまわしく「歴史の終わり」と宣言した出来事――によって、幾百万幾千万人もの労働者を守る最後の砦が失われた。その後、多くの労働者がグローバルな自由市場資本主義の餌食となる。

 2つの世界大戦の後30年にわたる冷戦(実際には第三次世界大戦)が続き、映画監督のマルセロ・アレアーサが言うところの「第4次世界大戦」の舞台がセットされた。それは、新自由主義グローバリゼーションとその多国籍企業エリートが、主に南半球に集中する世界の抑圧された人々に対して繰り広げてきたものである。

 NAFTA(訳注:米国による新自由主義経済構想)やその他の自由貿易協定によって、資本は自由に国境を越えることができるようになり、一握りの強力な多国籍企業がグローバルな自由貿易圏の上に君臨する神のような地位に上りつめた。そこでは、メキシコ、ハイチ、インドネシア、その他無数の国々の安い労働力を搾取して法外な超過利潤を手にすることができるようになった。

 実際、ヴィジェイ・プラシャドが「人類の国際的分断(international division of humanity)」と呼ぶものをつくり出すために、ワシントンは国際通貨基金(IMF)と世界銀行という強力な金融機関を育成し、発展途上国の世界に債務危機を引き起こした。1970年から1991年の間に、最も重い債務を負っている15カ国の債務合計は、179億ドルから1兆4千億ドルに急増した。それは、これら諸国の総輸出の126.5%に当たる。

 この負債を返済するために、世界の最貧国37カ国の社会基盤が破壊された。一人当たりの教育費は50%カットされ、保健医療費は25%削減された。ユニセフによると、この新自由主義的な金融システムは、1日あたり約4万人の子どもの死を招いたという。実際、グローバリゼーションの時代における資本蓄積の代償として、第三世界の幾百万幾千万もの人々の悲惨さ、飢餓、そして死が、増大してきたのである。

 米帝国主義は、銃口を突きつけてこの一極集中の世界秩序を強要した。モンロー・ドクトリンで予言された19世紀の米帝国の西方拡大主義は、20世紀の南方介入主義の、特にラテンアメリカを帝国の裏庭と見なす政策の、前兆であった。20世紀の後半だけでも、米国は、グアテマラ、キューバ、チリ、ハイチ、グレナダなどで右翼の暴力的クーデターを支援したり、時には直接侵略をおこない、キューバに対しては60年にわたる犯罪的封鎖をおこなってきた。

 この地域の反共冷戦は、約6万人の活動家の殺害につながった。その多くは、労働組合員、社会主義者、共産主義者だった。実際、米国の軍産複合体は、キング牧師が「地球上で最大の暴力の提供者」と呼んだものであり、今日でも7,280億ドルの国防総省予算を取り込み(emcompass)、自国の「ヒューマン・ニーズ・プログラム」を食い物にしている。

ベネズエラ

 世界第4位の石油輸出国ベネズエラほど、帝国主義的低開発(imperialist underdevelopment)を例証したラテンアメリカの国はおそらくないだろう。石油に依存するこの国は、経済学者が「オランダ病」と呼ぶものに悩まされていた。地球の黒い金である石油が経済を完全に支配し(輸出の90%以上を占める)、農業生産をラ米で最も低いGDP比率にまで低下させ、国内の産業発展を完全に阻害してしまったのである。

 権力は、複数の堕落した政党によって共有されていた。それらの政党は、石油の富の外国企業に渡ってはいなかった部分のすべてをコントロールしていた。1979年に石油価格が下落すると、ラテンアメリカで最も高いレベルにまで貧困と不平等が急増し、トラウマ的な20年にわたる衰退が始まった。

 1989年、カルロス・アンドレス・ペレス大統領の政権は、IMFの「構造調整パッケージ」に応じた。それが、新自由主義に対する世界的な反乱の起源であると多くの学者によって考えられている「カラカソ」(訳注:1989年に首都カラカスから始まった大規模な人民反乱)の引き金を引いた。「カラカソ」では、何十万人もの人々がペレス政府によるショック療法に抗議してカラカスの通りで暴動を起こした。ペレス政府の緊縮財政パッケージは、何百万人もの貧しい人々に対して、一夜にして交通費や食費、サービスの価格を劇的に引き上げた。

 この蜂起に対する軍の残忍な弾圧により3,000人以上が死亡したが、国民のほとんどが依然として貧しいままであった。1990年代末までは、ベネズエラ国民の20%だけが莫大な石油資源の恩恵を受けており、国民の80%(1700万人)が貧困にあえいでいた。このような政治情勢が、ウーゴ・チャベスの当選を準備したのである。

ウーゴ・チャベスの当選

 新自由主義政策の失敗と政府による弾圧が何年も続いた後、1998年にウーゴ・チャベスが地滑り的な勝利を収め、この国の古い政治エリートたちに前例のない動揺を与えた。チャベスは、軍の中の左翼メンバーで、ベネズエラ初のアフリカと先住民の血を引く指導者であり、貧困と闘い、国の莫大な石油の富を少数派のエリートから多数派の貧しい人々に再分配することを誓って、社会正義を掲げて立候補した。チャベスによれば、その莫大な富は「カンペシーノ(貧農)には決して届いていない」のであった。

 チャベス大統領は、就任早々、旧来の支配階級を権力から除く作業に取りかかった。チャベスは、それを、19世紀の南米独立の英雄シモン・ボリバルにちなんで「ボリバル革命」と名付けた。チャベス政権は、野心的なキャンペーンをともなって、今日のチリで進行中の取り組みを前もって示すような形で、社会的経済的公正と参加型民主主義を促進する法律と原則に基づいて憲法の書き換えを開始した。

 新憲法は、米国憲法のような狭い政治的自由をはるかに超えて、すべてのベネズエラ国民に保証された権利として、すべての国民への普遍的な保健医療制度と教育制度を確立した。また、女性、先住民、労働者、農民の、社会的、文化的、政治的権利を推進した。それは、ほぼ間違いなく、地球上のどの民主主義国家のものよりも徹底的に平等主義的な憲法となった。

 ボリバル政府は、数十万ヘクタールの遊休地を数十万人の農民に再分配するために、急進的な土地改革を実施した。チャベスは、何十年にもわたって押し付けられてきた新自由主義的な秩序に代わる道を開拓し始め、そうすることで「ワシントン・コンセンサス」に対して大胆な挑戦を投げかけたのである。

クーデター計画者たち

 2001年、チャベス大統領は、ブッシュ政権の「テロとの戦い」の「味方か敵か」の論理に公然と反抗し、アフガニスタンでの民間人爆撃をあえて批判した。このため、チャベス大統領はCIAの注目を浴びた。そこには、エリオット・エイブラムス、オットー・ライヒ、チャールズ・シャピロなど、ラテンアメリカにおける過去の危険な帝国主義的試みの犯罪的立役者たちが含まれていた。

 ベネズエラは、すぐに米国の「民主主義的介入」の次のターゲットにされた。国務省は、試行錯誤を重ねた政権交代の方式を近代化し微調整して、ベネズエラを実験室として使うつもりだった。もはや、世界をリードする軍事的ヘゲモン(米国)は、戦闘機や戦車の猛烈な力でピノチェット式の打倒を組織する必要はない。

 今や、国防総省は、強力な民営のマスメディア組織を操り、何百万ドルもの米国の税金を直接反対勢力に流すだけでよいのである。ベネズエラの反対勢力に資金と訓練を提供する「全米民主主義基金(NED)」や「米国際開発庁(USAID)」のような、多くの“民主主義擁護”の非営利団体に流すだけなのである。その目的は、民主主義の名の下に、民主的に選出された大統領を転覆させることであった。

 2002年4月のクーデターまでの数日間、カラカスのバリオ(貧民街)からかなり離れた裕福な地区では、ヨーロッパ系白人のベネズエラ人が、熱心な民間メディアのカメラの前で、チャベスに対する独善的な怒りを表し、大統領がベネズエラをキューバ型の共産党独裁国家にする寸前だという根拠のない主張をしていた。

 反対勢力の2人の指導者が、チャベス打倒の先頭に立った。ベネズエラ経団連会長のペドロ・カルモナと、旧来の労働組合CTVの議長カルロス・オルテガである。この高位のクーデター実行者たちは、民間の新聞社やテレビ局の有力オーナーたちやカトリック教会を後ろ盾にしており、ブッシュ政権からのゴーサインを確保するために何度もワシントンに足を運んだ。

 ボリバル政府の急進的な方向性に対するワシントンの高まる警戒を前提とすれば、2021年1月6日にワシントンで行われた議事堂襲撃が子どもの遊びに見えるような政権転換のための違法な陰謀を、米国に全面的に支持してもらうことは難しいことではないと考えたのだ。実際、ゴリアテ(米国)はダビデ(ベネズエラ)に全力で注意を注いでいた。

2002年4月11日

 2002年4月11日から13日にかけての衝撃的な出来事は、クーデター発生時にチャベス大統領の映画を撮影していたアイルランドの、信じられないほど幸運なカメラ・クルーによって撮影された画期的なドキュメンタリー「革命はテレビ中継されないだろう(The Revolution Will Not Be Televised)」にとらえられているように、壮大なドラマとして展開された。

 4月10日、高位の陸軍将軍が民放のテレビに出演し、CIAが書いたと思われる台本で、権力を暴力的に奪われたくなければ放棄せよとチャベスに要求した。チャベス大統領の強制的退陣への号砲が鳴らされたのである。そして、カルモナは、国営石油会社PDVSAへの大規模なデモ行進を呼びかけた。しかし、このデモ行進の参加者は、それがもっと大きな計画の一部であることを知らされていなかった。

 4月11日(木)、数千人の反政府勢力のデモ隊がPDVSAに向けて行進を開始した。その一方で、大統領官邸ミラフローレス宮殿の外では、政府との連帯を示すために、チャビスタの対抗デモ隊の数が増えていた。そして、突然、反政府勢力の指導者がデモ行進のルートを違法に変更してデモ隊を大統領官邸に向かわせたため、両者が必然的に対峙することになった。

 軍が群衆を引き離す緩衝材になろうとしたが、そのときどこからともなく隠れた狙撃手が発砲し、数人のデモ参加者の頭を撃ち、少なくとも10人が死亡、双方で数十人が負傷した。反政府勢力が支配するメディアは、近くの橋の上にいたチャベス支持者が狙撃者に向かって反撃する姿を捉えたが、メディアはこれらの映像を操作して、チャベス支持者が下の通りにいる「罪のないデモ参加者を殺害している」と非難した。

 そのカメラ・アングルでは示されていなかったが、この銃撃戦の間、下の通りには誰もいなかったのだ。チャビスタは上の狙撃兵と交戦しており、それゆえ彼らは絶えず身をひそめていた。政府支持者が平和的なデモ行進の参加者を殺害した事実はなかったが、この繰り返された嘘は、クーデターの陰謀者たちが慎重に計画してきた危機をつくり出すためのトロイの木馬となったのである。

 この出来事の直後に、軍の高官数名が、「自然発生的な蜂起」を受けてチャベス大統領に辞任を求めるという事前に作成した文書をもってテレビに登場した。軍は分裂し、大統領を守るために招集されていたフエルテ・ティウナの軍部隊は、大統領の逮捕と辞任を求めるクーデター支持派に阻止された。

 金曜日(4/12)の早朝、さらなる流血を避けるため、チャベスは平和的に去ることに同意した。ミラフローレスで逮捕され、最終的に彼を離島に連行すると思われるクーデター派の人質となった。暗殺の危機に直面しながらも、彼は、辞任の文書に署名することを拒否した。

 大統領が誘拐されて邪魔にならなくなったので、オリガーキーは直ちに傀儡政権を立ち上げた。それはすぐに米国によって正当と認められた。カルモナが新大統領に就任し、国民議会と最高裁判所は解散させられ、人民の新憲法は廃止された。すべてが失われたように見えた。

あらゆる「4月11日」は「13日」である

 その時、前代未聞のことが起こった。チャベス大統領の支持者の大群衆がカラカスの貧民街から押し寄せ、宮殿を包囲し、正当な大統領の帰還を要求したのだ。一方、チャベス大統領に忠誠を誓う大統領護衛隊の士官と兵士たちは、宮殿を奪還すべく急襲をかけた。

 カルモナは逃走したが、フエルテ・ティウナで逮捕された。日曜日(4/13)の早朝にミラフローレスに戻ってきた人民の大統領は、拍手喝采する何千人もの支持者たちに迎えられた。クーデターは、軍の部隊と人民の間でのチャベスの大衆的支持により、48時間のうちに崩壊したのである。

 独裁者という中傷が絶えない大統領であるが、チャベスが政権に復帰した後、クーデターを企てた者が一人も投獄されなかったのは、まったく皮肉な話である。失敗したクーデターの数カ月後、反政府勢力は、国内を麻痺させようとして国営石油会社の労働者の間で石油ストを組織し、政権を不安定にする第2の試みをおこなった。しかし、これも失敗に終わった。

革命は攻勢に転じる

 2002年の反革命の攻撃は大衆に撃退されて裏目に出た。それは逆に、チャベスへの大衆的支持を強化し、不平等に対する、またブルジョアジーに対するチャベスの政策を強化した。チャベスは、新たに「21世紀の社会主義」と呼ぶようになった道を、つまり歴史の新たな主人公となるべき労働者と農民や先住民のコミュニティに根ざした下からの草の根参加型社会主義の道を、歩み始めたのである。

 石油収入を財源に、政府は「社会的ミシオン」として知られる革命的なプログラムを開発した。それは、その後10年間で何百万人もの貧しい市民が社会変革による利益を得る結果となった。2年以内に、「ミシオン・リバス」のボランティアによる夜間学校を通じて150万人の低所得者層が読み書きを学んだ結果、国連はベネズエラに非識字者がいなくなったことを宣言した。

 高齢のカンペシーノたちは、何十年にもわたり石油で潤うエリートから放置されてきた後に、初めて民主的なプロセスに参加できるようになった。政府は3,000の新しい学校を建設し、2002年にはすべてのレベルで就学率が25%上昇した。

 「万人のための医療保険」提唱者の熱狂的な夢(the wildest dreams)を超える取り組みとなったミシオン「バリオ・アデントロ(隣人の中で)」を通じて、、1万5,000人のキューバ人医師と医療専門家がカラカスのバリオや貧しい農村地域に派遣され、それまで医者にかかったことのないベネズエラの人々に数百万件の無料診療がおこなわれた。このようにして、無料の医療に対する新しい憲法上の権利が保証された。

 政府は、数百の総合診察センターおよびリハビリテーション・センターと6,000以上の地域診療所を建設し、他方で、国内の病院を改修するために数十億ボリバルを費やした。2009年までには、ベネズエラ国民の82%が無料の医療システムを利用するようになり、乳児死亡率は半減し、50万人以上の命が救われた。

 飢餓対策として、高品質な食料を低価格で提供する公共食料品マーケットのネットワーク「メルカル」を1万以上設立し、憲法で定められた国民の権利である「栄養の確保」を保証した。人口のわずか3%の手に耕作地の70%が握られているという植民地時代の遺産と闘うために、国家は、エリートや多国籍企業が所有する200万エーカー以上の遊休地を約20万の働く世帯に再分配した。

 さらに、ベネズエラ政府は、アメリカ大陸で最も先進的で大規模な公共住宅建設プログラム「ミシオン・アビタット」を通じて、2011年と12年だけで30万戸以上の社会住宅を貧しい人々のために建設した。チャベス政権のプログラムは、2010年までに、栄養失調のレベルと貧困を半減させた。また、極貧は3分の2減少した。不平等格差の指標であるジニ係数は、ラテンアメリカで最も低いレベルに達した。

 「21世紀の社会主義」は、“貧困層に権力を与える”ために政府が設立した何万もの「コミューナル・カウンシル」において普通の人々によって実行され、草の根の意思決定と参加型民主主義を促進した。ベネズエラの都市部と農村部の至る所に設置されたこれらの「コミューナル・カウンシル」は、それぞれ200~400世帯からなる草の根の民主的意思決定機関である。連邦政府から直接資金援助を受けており、自治体の干渉や官僚主義を回避することができる。それらは自分たちのリーダーを選出し、集団で地域プロジェクトを計画し実施する。

南・南連帯

 革命の社会主義思想は、ラテンアメリカの地域全体に広がった。2006年、ボリビアの社会運動は、先住民のコカ農夫であるエボ・モラレスを大統領に選出した。エクアドル、ニカラグア、ブラジルは、ベネズエラの独立と自決の姿勢を再現しようとする左派大統領を選出し、米帝国に反旗を翻してボリバル・プロジェクトとの連帯を表明した。

 チャベスは、地域の小規模農家に打撃を与えたNAFTA(訳注:スペイン語略称はALCA)の自由貿易政策に代わるものとして、地域の統合、協力、連帯を促進する貿易システム「ALBA(米州ボリバル代替構想)」を発足させた(後に略称はそのままで「米州ボリバル同盟」と改称)。それは、文化、健康、教育の共同プロジェクトを包含しており、北米メディアのプロパガンダの支配を打破し、ラテンアメリカ人が自分たちのことを自分たちの目で見るようにするための大陸横断テレビチャンネル「Telesur(南のテレビ)」を含んでいる。

 カラカスは、反帝国主義で発展途上の勢力の団結の拠点となり、さまざまな国際会議を主催した。世界社会フォーラム、青年と学生の世界フェスティバル、さらに女性解放、食糧主権、平和、労働者の力などに関する現代の根本的な問題に取り組むことを目的とした会議が開催された。

四面楚歌の革命

 国際的な左翼を再活性化し、世界中の何百万人もの人々を鼓舞した後、ボリバル・プロジェクトは、大変な後退を経験し始めた。6つの選挙に勝利した革命の最愛の指導者が、2013年に稀な癌で死亡し、何百万人ものチャビスタが失意と不信に陥った。

 チャベス大統領の後継者で同志の社会主義者ニコラス・マドゥーロの政権下では、事態は悪化する一方だった。政府は経済の多角化に一定の努力を払っていたが、結局、この国の「オランダ病」から逃れることはできなかった。2014年、原油価格が1バレル130ドルから30ドルにまで下落すると、国は経済危機に陥り、3桁のインフレ率を引き起こし、大量の食糧と医薬品不足に陥り、ここ7年以上にわたって600万人のベネズエラ人が祖国を離れざるを得なくなった。

 その間、新植民地であり続けることをベネズエラ人民が拒否したことに対する米帝国主義の対応は、犯罪的かつ野蛮というほかはない。ワシントンは、ベネズエラの人々に対して、20年にわたる「ハイブリッド戦争」を遂行した。これは、ベネズエラの主権と自決権に対する情報戦、経済戦、金融戦、準軍事戦からなる。

 ベネズエラの貧しい人々が新たに獲得した諸権利と尊厳は、北米のメディアにとっては何の関心もないことだった。実際、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CNNは、ベネズエラ人が「カラカソ」の最中に路上で虐殺されたときには沈黙していたが、今ではベネズエラの「人権」の主唱者として、同国の社会主義政府を悪魔化し掘り崩そうとする何百もの記事を載せている。メディア戦争は、ベネズエラで起こっていることについてのまともな理解をほんのわずかも許さない。

 2017年と19年、トランプ政権は、すでに包囲されているベネズエラに包括的な全面的制裁を課し、経済危機を悪化させ、重要な食料輸入と命を救う医薬品へのアクセスを遮断した。「経済政策研究センター(CEPR)」の報告書によると、このような集団的懲罰が4万人の民間人の死亡をもたらしている。この制裁は、COVID-19のパンデミックの中で、より致命的なものとなっている。

 2019年、トランプ政権は、またもうひとつ別の絶望的な試みをおこなった。つまり、敗北した野党の指導者フアン・グアイドを同国の正当な大統領として正式に承認することで、ニコラス・マドゥーロの再選を正統なものではないということにしようとした。トランプが2020年に自らの選挙を不正で盗まれたものだと主張しながら敗北することになったことを考えると、なんとも皮肉な話である。米財務省はPDVSAの資産70億ドルを凍結し、他方イングランド銀行はベネズエラの金塊20億ドルを盗み、ベネズエラ経済を窒息させようとした。

 このような絶え間ない無慈悲な攻撃にもかかわらず、ボリバル政府と、そしてより重要なことに「コミューナル・カウンシル」で組織されたベネズエラの草の根とが、中国やロシアとの増大した貿易の助けもあって、何とか耐えて持ちこたえてきたのである。

 しかし、流れは再び変わりつつある。ボリビア、ホンジュラス、チリで最近左派の大統領が選出され、新自由主義モデルを拒否する政府が増えてきている。チャビスモの現状は確かに不安定であり、論争点も多く、ボリバル・プロジェクトが今後どうなるかはっきりしない。

 だが、2002年4月13日が、大陸の歴史の転換点として記憶され、人々が帝国主義の抑圧に直面して挑戦状をたたきつけた日として記憶されることになるのは間違いないだろう。チャベスの精神で社会主義世界のための闘いを続けよう。すべての「4月11日」に「4月13日」をもって応えられるように願って。

(以上)


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