東アジア海域史料研究

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さまざまな言語史料を駆使して海域交流史の多角的解明をめざす

コモリン岬より

2010-06-10 13:10:55 | 調査記録
16世紀から17世紀に東アジアと西ヨーロッパを行き交う船が必ず通過した岬があります。三角形をしたインドからインド洋に突き出た最南端のコモリン岬です。
2009年9月、本研究メンバー3名を含む調査隊は、インド西岸のムンバイから1600キロ続くマラバル海岸を南下、途中、隊員の怪我や病いに苦しみながらも、9月20日最南端の岬に到達しました。
翌朝、まだ暗い岬の海岸にはどこからともなく人々が現れ、東方の海を拝みます。数百名の人々が見守る中、水平線から昇る太陽の光。かつてこの海を通って東西を行き来した交易者の思いが彷彿された瞬間です。(kage)


ランパカウの位置

2010-06-03 12:19:31 | 関連情報
双嶼を追われた仏浪機が澳門に定住する前に、いったん拠点にした地域として、上川島と浪白澳(ランパカウ)が知られています。
いずれも珠江デルタの島です。上川島は現在景勝地として有名らしいのですが、浪白澳がどこにあるのか、あまり知られていませんでした。
今年は珠江デルタ湾岸の調査も予定されているので、山崎さんに調べていただきました。

現在、「浪白澳島」は広東省珠海市の南水鎮という場所で、すでに埋め立てられて島ではなくなっている模様です。
珠海市は現在開発真っ只中で、澳門大学新キャンパスも越境して珠海市に建築中であったり、昔の景観はどんどん失われているようです。
上川島周辺は水中考古学が盛んらしく、もしかしたら沈没ジャンクなどの資料が整理されてないかしらん、と期待してます。
情報募集中。
この地図は1571年作成の広州付近図です。


日本西洋史学会小シンポジウム報告

2010-06-01 13:28:30 | 関連情報
事後報告になってしまいますが、先週末、日本西洋史学会第60回大会(於 別府大学)で次のようなパネルが組まれました。
大航海時代における東アジア世界の交流 ―日本をめぐる銀と鉛等の金属交易を中心に―
報告者:飯沼 賢司(別府大学) 「大航海時代における日本への鉛流入の意義」
平尾 良光(別府大学)「鉛同位体比から見た日本の中世戦国時代における南蛮船で運ばれた鉛材料」
村井 章介(東京大学)「銀と鉄砲とキリスト教」
岡 美穂子(東京大学)「大航海時代のジェノヴァと日本 ―ポルトガル船への融資・投資事例分析を中心に―」
仲野 義文(石見銀山資料館)「石見銀山の開発と東アジア ―銀と鉛をめぐって―」
このプロジェクトは別府大学の文化財学科が中心になっておこなわれている、鉛同位体比を使った金属分析と文献史学を組み合わせて、これまで知られていなかった日本で出土する金属製品の産地などを特定していく作業です。現在は、大友遺跡で発掘される鉛製のメダイなどを分析し、その産地がタイであったことなどが特定されています。チームリーダーは、別府大の文化財学科の平尾良光さんという、日本の同位体比測定の権威でいらっしゃる先生です。
なんでも私の南蛮貿易商品についての小論が、産地特定に繋がったということで、昨年からプロジェクトに入れていただいております。詳しくはこちらをご参照。
【大分合同新聞2010年5月31日】

当日のシンポジウムでは、こちらの科研メンバーからも中島リーダーや、鹿毛インド探検隊長が参加して、場を盛り上げてくださいました。 先々週のエツ合宿に続き、この3日間大分で関アジや地鶏など、おいしいものばかり頂きましたので、体重増加に歯止めが利かない状態です (文責 ソウザ)