結婚は、永遠の約束だと信じて結婚する人がいる。
果たして「永遠の約束」なんてあるんだろうか?
結婚して、「妻」とか「夫」という肩書に安心してしまう人がいる。
結婚することで、義務とか権利とか、経済的な安定とか、家族とか、
そういうものは得られるけれど、
相手の心を繋ぎとめておくことは、必ずしもできないということを、
どれくらいの人が理解しているのだろうか?
結婚したんだから、相手は自分のことを永遠に好きでいるべきだと、堂々と言う人がいる。
どうしてそういう発想ができるのか、全くわからない。
結婚はただの契約である。
家族を作るための契約?
心が通い合っていようが、いなかろうが、家族は家族である。
契約したのだから、家族に対する義務を放棄してしまうのはいかがなものかと思うけれど、
結婚という形によって、あるいは家族という形によって、
人の心を繋ぎとめておくことはできない。
結婚した相手を、家族を、どんなに大切にしたいと願っていたとしても、
恋は突然やってくるのである。
その想いを理性だけで押し殺してしまうことができる人もいるだろう。
でも、その想いは、ずっとその人の心の中で燻り続ける。
人を恋するその想いは、自分の意志ではどうしようもできないのである。
もちろん、結婚した相手のことがずっとずっと好きで好きで堪らない人もいると思う。
でも、うまくいっている夫婦でも、本当にその相手のことがいつまでも好きなのかと言ったら疑問である。
「好き」と言うより、家族としての「情」、あるいは「所有欲」?
大抵は、その情でも所有欲でもいいけれど、それを大切にして、生涯添い遂げる、
それができれば倖せである。
本当は、倖せは、何もない平穏な毎日を過ごせること。
でも、それを実感できる人はなかなかいないんじゃないだろうか?
平穏な毎日に退屈して、何か楽しいイベントがないかと思っている人はたくさんいるだろう。
そういう人がみんな恋に走ると言いたいわけじゃない。
だって、恋はしようと思ってするものじゃないから。
私の場合は、恋なんて考えたこともなかった。
自分にまた恋ができるなんて思ってもいなかった。
私の周りにもそんな話をする人はいなかった。
せいぜい「あの先生がかっこいい」という程度。
でも、結婚している人間が配偶者以外の人に恋をしたなんて簡単に言えるものじゃない。
だから聞こえてこなかっただけのことかもしれない。
自分が恋をして、そういうことに敏感になってみると、
結構あるのかもしれないということに思い当たった。
それはそうである。
独身時代だって、好きな人ができて、つき合って、
でも、その相手を嫌いになったり、嫌いではなくても、恋愛対象ではなくなって、
別れて行く恋人同士はたくさんいる。
結婚したからといって、その相手をずっと好きでいられるわけじゃない。
ずっと好きでいられないのなら、別に好きな人が現れたって、何の不思議もない。
私は、ずっとIGUちゃんのことをひきずって、恋をすることができなかったから、
逆に幸いだったのかもしれない。
女性の場合は、子育て中は、そんな気にもならないのかもしれない。
でも、子供の手が離れてしまったら、そんな気持ちが顔を出すのかな?
だけど、そんな歳になれば、エネルギーが足りない。
前にも書いた。
恋するには、エネルギーが必要なのである。
この歳になって、恋愛論をまくしたてるとは思わなかった。
恋をするのは、とても大切なことなのである。
私は、IGUちゃんに恋をして、本当に本当に恋をして、
その事実があったから、今まで生きてこられた。
結婚もできた。
自分の人生を受け入れることができた。
「本当に恋をした」と言うことができない人はかわいそうだと思う。
でも、恋は楽しいばかりじゃない。
でも、できるなら、ちゃんと堂々と、「あの人が好きだ」と言えるような恋をするのがいい。
でも、恋は思い通りにはいかない。
どんな恋でも、好きになってしまえば、そんな自分を受け入れるしかない。
不倫に走れとか、離婚しろとか、そういうことじゃない。
道ならぬ恋でも、そんな恋をしてしまった自分を受け入れる。
そういうこと。
現実的なこととか、社会的なこととか、そういうことは、
改めて理性で考えればいい。
果たして「永遠の約束」なんてあるんだろうか?
結婚して、「妻」とか「夫」という肩書に安心してしまう人がいる。
結婚することで、義務とか権利とか、経済的な安定とか、家族とか、
そういうものは得られるけれど、
相手の心を繋ぎとめておくことは、必ずしもできないということを、
どれくらいの人が理解しているのだろうか?
結婚したんだから、相手は自分のことを永遠に好きでいるべきだと、堂々と言う人がいる。
どうしてそういう発想ができるのか、全くわからない。
結婚はただの契約である。
家族を作るための契約?
心が通い合っていようが、いなかろうが、家族は家族である。
契約したのだから、家族に対する義務を放棄してしまうのはいかがなものかと思うけれど、
結婚という形によって、あるいは家族という形によって、
人の心を繋ぎとめておくことはできない。
結婚した相手を、家族を、どんなに大切にしたいと願っていたとしても、
恋は突然やってくるのである。
その想いを理性だけで押し殺してしまうことができる人もいるだろう。
でも、その想いは、ずっとその人の心の中で燻り続ける。
人を恋するその想いは、自分の意志ではどうしようもできないのである。
もちろん、結婚した相手のことがずっとずっと好きで好きで堪らない人もいると思う。
でも、うまくいっている夫婦でも、本当にその相手のことがいつまでも好きなのかと言ったら疑問である。
「好き」と言うより、家族としての「情」、あるいは「所有欲」?
大抵は、その情でも所有欲でもいいけれど、それを大切にして、生涯添い遂げる、
それができれば倖せである。
本当は、倖せは、何もない平穏な毎日を過ごせること。
でも、それを実感できる人はなかなかいないんじゃないだろうか?
平穏な毎日に退屈して、何か楽しいイベントがないかと思っている人はたくさんいるだろう。
そういう人がみんな恋に走ると言いたいわけじゃない。
だって、恋はしようと思ってするものじゃないから。
私の場合は、恋なんて考えたこともなかった。
自分にまた恋ができるなんて思ってもいなかった。
私の周りにもそんな話をする人はいなかった。
せいぜい「あの先生がかっこいい」という程度。
でも、結婚している人間が配偶者以外の人に恋をしたなんて簡単に言えるものじゃない。
だから聞こえてこなかっただけのことかもしれない。
自分が恋をして、そういうことに敏感になってみると、
結構あるのかもしれないということに思い当たった。
それはそうである。
独身時代だって、好きな人ができて、つき合って、
でも、その相手を嫌いになったり、嫌いではなくても、恋愛対象ではなくなって、
別れて行く恋人同士はたくさんいる。
結婚したからといって、その相手をずっと好きでいられるわけじゃない。
ずっと好きでいられないのなら、別に好きな人が現れたって、何の不思議もない。
私は、ずっとIGUちゃんのことをひきずって、恋をすることができなかったから、
逆に幸いだったのかもしれない。
女性の場合は、子育て中は、そんな気にもならないのかもしれない。
でも、子供の手が離れてしまったら、そんな気持ちが顔を出すのかな?
だけど、そんな歳になれば、エネルギーが足りない。
前にも書いた。
恋するには、エネルギーが必要なのである。
この歳になって、恋愛論をまくしたてるとは思わなかった。
恋をするのは、とても大切なことなのである。
私は、IGUちゃんに恋をして、本当に本当に恋をして、
その事実があったから、今まで生きてこられた。
結婚もできた。
自分の人生を受け入れることができた。
「本当に恋をした」と言うことができない人はかわいそうだと思う。
でも、恋は楽しいばかりじゃない。
でも、できるなら、ちゃんと堂々と、「あの人が好きだ」と言えるような恋をするのがいい。
でも、恋は思い通りにはいかない。
どんな恋でも、好きになってしまえば、そんな自分を受け入れるしかない。
不倫に走れとか、離婚しろとか、そういうことじゃない。
道ならぬ恋でも、そんな恋をしてしまった自分を受け入れる。
そういうこと。
現実的なこととか、社会的なこととか、そういうことは、
改めて理性で考えればいい。