酒井直樹さん(スポンサー:四日市・大分LC)
7月23日に福岡空港から、熊本のYE生6名、長崎のYE生2名と私を含めた9名でシンガポールに向けて飛び立ちました。6時間後シンガポールのチャンギ空港に着き、そこでライオンズクラブやレオクラブの方々から熱烈な歓迎してもらいました。空港では、男子全員(4人)を地元の方に1時間ぐらい案内しもらいました。その後レストランで歓迎パーティーを開いてもらい、ホストファミリーの家に行きました。
翌日朝早くから、シンガポールを出発し東マレーシアのコタキナバル空港へ行きました。 そこから200kmほど離れたテノムという街に着きました。テノムに着いたのは、出発から10時間あまりがたちとても疲れました。テノムの街は田舎でしたが、いろんな体験をしました。地元レオクラブの人と、プールでゲームしたり、学校へ行き日本の歌をマレーシアの人に教えました。テノムでは5泊してホストファミリーの方がコタキナバルに連れて行ってもらいました。着いて別れるとき、一緒にいた女子はみんな泣いていて、僕ももとても悲しかったです。
コタキナバルのホストファミリーは、祖母、父、母、男の子3人の6人家族でメイドさんが2人いました。そこでは、息子さんの誕生パーティーが開かれたり、YEのみんなとビーチにいき海水浴を楽しみました。ここでの5日間もあっというまに過ぎ別れが来ました。おばあちゃにはかわいがってもらって、自分の祖母を思い出し寂しくなりました。コタキナバルからミリという街に飛行機で移動しました。
ミリでは着くとすぐに現地の日本石油の会社に行き、油田を見学し説明を受けました。ここで1泊した後、熊本県の6人と別れ、大阪のYE生と長崎のYE生2人と僕の4人で、シブという街に移動しました。シブの空港は、自分の近くの小学校の校舎ほどもないような小さな空港でした。シブのホストファミリーの家はマンションのような大きな家で、聞いてみると他にも家を7カ所も持っているような富豪でびっくりしました。シブでは、一緒に行ったYE生の2人が風邪を引き、ホストマザーもその影響で風邪を引き大変で、家にいること多かったです。
3日後、シブを出発してクチンの街に移動しました。クチンは猫の街といわれていて、町中に猫がたくさんいました。ホームスティ先では、台湾のYE生が先に来ていて、3日一緒に暮らしました。クチンの市長に挨拶に行ったり、記念博物館見学のやとても忙しくて、有意義な日々でした。そんな日々も過ぎて、シンガポールに向かうためクチン空港に行くと、別の場所に行っていた熊本のYE生6名がそこにいました。そして全員そろって再びシンガポールに向かいました。
シンガポールのチャンギ空港に到着すると、初日に会った人と再会しホームスティ先に行きま
した。シンガポールでは、募金活動や市内観光(マーライオン見学)と数々のことをしました。そして、帰国の日が近づくにつれて少しずつ淋しくなり、帰国当日は本当に日本に帰りたくないくらいでした。ホストファミリーの方と別れるときは、ほとんどのみんなが泣いていて、僕も少し泣けてきました。
シンガポールやマレーシアのライオンズクラブの方達には、行く先々で大きな歓声やで熱烈な歓迎をしていただき大変感謝しています。
日本に着くと、父親が待っていて少し照れくさかったです。シンガポールには、学校の課題を持って行きましたが、余りしていなかったため、今は勉強が大変です。
学校を卒業して、社会人になってから自分の力でシンガポールに行き、ホストファミリーの方達に会いに行きたいです。
こんなすばらしい体験をさせてもらった多くのライオンズクラブの方と両親や家族に感謝します。
松浦勇人さん(スポンサー:宮崎LC)
空路で異国の地マレーシアに到着したのは、7月28日18時50分に到着。
マレーシアのことは、旅行会社の人の説明やテレビ、パンフレットを通じて確認をしていましたが、やはり現地に行ってみないと分からないもので驚きの連続でした。まずは初日から数日はマレーシアの空気、生活環境、雰囲気になじめず、精神的に疲れを感じることが沢山ありました。その中で一番苦労したことは、日本語が通じず、日々慣れていない英語で話さなければいけなかったことです。私の訪問を歓迎してくれているホストファミリーの為にも言葉で迷惑をかけてはいけないという思いがあり、慣れるまでは電子辞書を持っての会話でした。ファミリーとの会話にはSlong(スラング)、その国でよくつかわれている日本でいえば方言などがあり、理解できないことも沢山ありましたが、スキンシップができるにつれ、分からない単語があった時などは、その意味を積極的に聞くことが苦にならなくなりました。そのおかげで、分からない単語を覚えたり、忘れていた単語を思い出すなど、とても英語の勉強になりました。そして心と心のつながりの大切さを感じられたことは最高の収穫になりました。
社会生活面では驚くことが多く、ビックリすることが沢山ありました。
まずは、モーターバイクが多いこと。日本と違って5倍程度多かったような気がします。それと、日本では考えられないほど、交通ルールに対するマナーが悪いのにはおどろきました。どのドライバーも猛スピードでウインカーはごくたまにしかつけないなど・・・・正直、怖かったです。公衆トイレはトイレットペーパーがあるところが少なく、日本と違って蛇口が横に付いていて、私にとっては使いにくいものでした。しかし、短所ばかりではありません。長所も沢山ありました。日本では高級果実のあつかいのフルーツの種類がたくさんあることです。しかし、日本ほど品質は良くありませんでした。キング・オブ・フルーツの代名詞にもなっているドリアン。又、パパイヤその他食べたことのないフルーツを楽しむことができました。個人的には、ドリアン以外は普通においしく食べられましたが、ドリアンの味はそこそこでしたが、食感、匂いが苦手でした。匂いに関しては、歯を磨いても一日中とれませんでした。また、普段食事をするときはほぼ外食で、中華料理や上海料理、インド料理とレストランの料理の数も多く、食べ飽きずいつも満足していました。味としては全体的にスパイスのきいた辛い料理が多かったのが食に関する特徴でした。
話は変わりますが、私がお世話になったホストファミリーはとても親切で居心地の良いファミリーでした。いつも私のことに気くばりをしていただき、本当に環境の良いところで勉強させて頂きました。マレーシアで一番心に残ったことは、自分が出会ったマレーシアの人々は皆さん親切で心の温かい人が多いことでした。しかし、経済面では表は豊かですが、裏の方ではお金がなく路上に倒れこみ「お金を下さい」といってお願いしている貧しい人々も沢山みかけました。日本にもホームレスをしている貧しい人が数多くいますが、マレーシアの貧しい人の場合、自分の体を傷つけてお金をもらうという影の存在の現実が心に強く残りました。
私はマレーシアへYCEの派遣生として行かせて頂き、良いこと、悪いことの社会体験をし、私の人生においてとても身になる最高の時間でした。これから先、私はこのチャンスをスタートとして、数多くの国に行ってみたいと思った次第です。もっと世界の国のこと、人々のことを知り、自分が本当にしたいことをもう一度考えてみたいと思います。
私をマレーシアへ派遣して頂きましたライオンズクラブの皆様に心から感謝申し上げます。
杉田百合香さん(スポンサー:宮崎LC)
この度2009年度夏期YCE派遣生としてニュージーランドに約一ケ月ホームステイをさせて頂いたことに心から感謝申し上げます。この一ヶ月間私は本当に貴重な体験をさせていただきました。日本ではみることのできない壮大な自然を見たり、日本とは違った生活様式に触れたりして本当に様々なことを学ぶことができました。
私が空港を出てまず初めに気づいたことは、まず、空がきれい、そして太陽の日差しが日本よりも強いということです。本当に空が青々として太陽がまぶしく、緑が青々としていて、日本の冬とは打って変わって、まるで肌寒い夏のようでした。初日、ランチのあと海に行ったのですが、太陽の光が海に反射して本当に美しかったです。ニュージーランドで本当に様々な自然を写真にとってきましたが、どの写真もほんとに美しくとることができました。最初のホスト家庭では日本から一緒に行った11人の学生たちとそれぞれの家庭から集まって一緒にいろいろなところに行き、2,3家庭目ではみんな2,3人ずつ北島や南島に別れて過ごしました。どの家庭もほとんど毎日私たちをいろいろな所に連れて行ってくれて本当に毎日が充実し、楽しく過ごすことができました。 ニュージーランドといえば皆さんご存知のとおり、ほんとに羊が多いところです。3家庭回ったうちどの家庭も私たちを羊農場に連れて行ってくれました。この時期は子羊が生まれる時期だったらしく、たくさんの“ラム”といわれる子羊を見ることができ、子羊を抱いたりミルクをあげたりすることができてとてもかわいかったです。その他にも馬、ロバ、鹿、ペンギン、アザラシなど別に動物園に行かなくても様々な動物を見ることができました。
ニュージーランドはイギリスから来た人々でつくられた国ということもあり、生活様式はほとんどイギリス式だったといえます。食事は朝昼は軽く、途中にティータイムがあって、夜は肉とデザートがでるといった感じです。ナイフやフォークの使い方もこの一ヶ月でだいぶ慣れました。どの家庭もほんとに素晴らしくて、きれいなお皿の置物や絵が飾ってあり、きれいな庭を持っていました。私たち派遣生のためにとてもいい部屋を準備してくださって毎日を快適に過ごすことができました。またニュージーランドは外国人に対してとてもウェルカムな国で、たくさんの外国人がすんでいます。私も過ごしながら日本人であることを忘れそうになりました。 ニュージーランドではすべて英語でしたが、簡単な英語でなら会話することもでき、もし発音が悪くても聞き取ってくれたのでよかったです。ただ、伝えたいことがなかなか単語が出てこないこともあり、もっと勉強が必要だと痛感したときもありました。このホームステイの間、何回かライオンズのミーティングに行かせてもらったのですが、本当にたくさんのライオンズの方と話す機会を持つことができ、どの方も優しく愉快な方たちばかりだったので本当に英語が好きになりました。
このホームステイで私は本当によい経験をすることができました。本当にライオンズの皆様と、ホームステイを受け入れてくださった方々、家族、その他ニュージーランドの方々のおかげです。この経験は人生の中でもとても貴重なものになると思います。この経験をこれからの将来に大いに生かして生きたいと思っています。本当にありがとうございました。
7月23日に福岡空港から、熊本のYE生6名、長崎のYE生2名と私を含めた9名でシンガポールに向けて飛び立ちました。6時間後シンガポールのチャンギ空港に着き、そこでライオンズクラブやレオクラブの方々から熱烈な歓迎してもらいました。空港では、男子全員(4人)を地元の方に1時間ぐらい案内しもらいました。その後レストランで歓迎パーティーを開いてもらい、ホストファミリーの家に行きました。
翌日朝早くから、シンガポールを出発し東マレーシアのコタキナバル空港へ行きました。 そこから200kmほど離れたテノムという街に着きました。テノムに着いたのは、出発から10時間あまりがたちとても疲れました。テノムの街は田舎でしたが、いろんな体験をしました。地元レオクラブの人と、プールでゲームしたり、学校へ行き日本の歌をマレーシアの人に教えました。テノムでは5泊してホストファミリーの方がコタキナバルに連れて行ってもらいました。着いて別れるとき、一緒にいた女子はみんな泣いていて、僕ももとても悲しかったです。
コタキナバルのホストファミリーは、祖母、父、母、男の子3人の6人家族でメイドさんが2人いました。そこでは、息子さんの誕生パーティーが開かれたり、YEのみんなとビーチにいき海水浴を楽しみました。ここでの5日間もあっというまに過ぎ別れが来ました。おばあちゃにはかわいがってもらって、自分の祖母を思い出し寂しくなりました。コタキナバルからミリという街に飛行機で移動しました。
ミリでは着くとすぐに現地の日本石油の会社に行き、油田を見学し説明を受けました。ここで1泊した後、熊本県の6人と別れ、大阪のYE生と長崎のYE生2人と僕の4人で、シブという街に移動しました。シブの空港は、自分の近くの小学校の校舎ほどもないような小さな空港でした。シブのホストファミリーの家はマンションのような大きな家で、聞いてみると他にも家を7カ所も持っているような富豪でびっくりしました。シブでは、一緒に行ったYE生の2人が風邪を引き、ホストマザーもその影響で風邪を引き大変で、家にいること多かったです。
3日後、シブを出発してクチンの街に移動しました。クチンは猫の街といわれていて、町中に猫がたくさんいました。ホームスティ先では、台湾のYE生が先に来ていて、3日一緒に暮らしました。クチンの市長に挨拶に行ったり、記念博物館見学のやとても忙しくて、有意義な日々でした。そんな日々も過ぎて、シンガポールに向かうためクチン空港に行くと、別の場所に行っていた熊本のYE生6名がそこにいました。そして全員そろって再びシンガポールに向かいました。
シンガポールのチャンギ空港に到着すると、初日に会った人と再会しホームスティ先に行きま
した。シンガポールでは、募金活動や市内観光(マーライオン見学)と数々のことをしました。そして、帰国の日が近づくにつれて少しずつ淋しくなり、帰国当日は本当に日本に帰りたくないくらいでした。ホストファミリーの方と別れるときは、ほとんどのみんなが泣いていて、僕も少し泣けてきました。
シンガポールやマレーシアのライオンズクラブの方達には、行く先々で大きな歓声やで熱烈な歓迎をしていただき大変感謝しています。
日本に着くと、父親が待っていて少し照れくさかったです。シンガポールには、学校の課題を持って行きましたが、余りしていなかったため、今は勉強が大変です。
学校を卒業して、社会人になってから自分の力でシンガポールに行き、ホストファミリーの方達に会いに行きたいです。
こんなすばらしい体験をさせてもらった多くのライオンズクラブの方と両親や家族に感謝します。
松浦勇人さん(スポンサー:宮崎LC)
空路で異国の地マレーシアに到着したのは、7月28日18時50分に到着。
マレーシアのことは、旅行会社の人の説明やテレビ、パンフレットを通じて確認をしていましたが、やはり現地に行ってみないと分からないもので驚きの連続でした。まずは初日から数日はマレーシアの空気、生活環境、雰囲気になじめず、精神的に疲れを感じることが沢山ありました。その中で一番苦労したことは、日本語が通じず、日々慣れていない英語で話さなければいけなかったことです。私の訪問を歓迎してくれているホストファミリーの為にも言葉で迷惑をかけてはいけないという思いがあり、慣れるまでは電子辞書を持っての会話でした。ファミリーとの会話にはSlong(スラング)、その国でよくつかわれている日本でいえば方言などがあり、理解できないことも沢山ありましたが、スキンシップができるにつれ、分からない単語があった時などは、その意味を積極的に聞くことが苦にならなくなりました。そのおかげで、分からない単語を覚えたり、忘れていた単語を思い出すなど、とても英語の勉強になりました。そして心と心のつながりの大切さを感じられたことは最高の収穫になりました。
社会生活面では驚くことが多く、ビックリすることが沢山ありました。
まずは、モーターバイクが多いこと。日本と違って5倍程度多かったような気がします。それと、日本では考えられないほど、交通ルールに対するマナーが悪いのにはおどろきました。どのドライバーも猛スピードでウインカーはごくたまにしかつけないなど・・・・正直、怖かったです。公衆トイレはトイレットペーパーがあるところが少なく、日本と違って蛇口が横に付いていて、私にとっては使いにくいものでした。しかし、短所ばかりではありません。長所も沢山ありました。日本では高級果実のあつかいのフルーツの種類がたくさんあることです。しかし、日本ほど品質は良くありませんでした。キング・オブ・フルーツの代名詞にもなっているドリアン。又、パパイヤその他食べたことのないフルーツを楽しむことができました。個人的には、ドリアン以外は普通においしく食べられましたが、ドリアンの味はそこそこでしたが、食感、匂いが苦手でした。匂いに関しては、歯を磨いても一日中とれませんでした。また、普段食事をするときはほぼ外食で、中華料理や上海料理、インド料理とレストランの料理の数も多く、食べ飽きずいつも満足していました。味としては全体的にスパイスのきいた辛い料理が多かったのが食に関する特徴でした。
話は変わりますが、私がお世話になったホストファミリーはとても親切で居心地の良いファミリーでした。いつも私のことに気くばりをしていただき、本当に環境の良いところで勉強させて頂きました。マレーシアで一番心に残ったことは、自分が出会ったマレーシアの人々は皆さん親切で心の温かい人が多いことでした。しかし、経済面では表は豊かですが、裏の方ではお金がなく路上に倒れこみ「お金を下さい」といってお願いしている貧しい人々も沢山みかけました。日本にもホームレスをしている貧しい人が数多くいますが、マレーシアの貧しい人の場合、自分の体を傷つけてお金をもらうという影の存在の現実が心に強く残りました。
私はマレーシアへYCEの派遣生として行かせて頂き、良いこと、悪いことの社会体験をし、私の人生においてとても身になる最高の時間でした。これから先、私はこのチャンスをスタートとして、数多くの国に行ってみたいと思った次第です。もっと世界の国のこと、人々のことを知り、自分が本当にしたいことをもう一度考えてみたいと思います。
私をマレーシアへ派遣して頂きましたライオンズクラブの皆様に心から感謝申し上げます。
杉田百合香さん(スポンサー:宮崎LC)
この度2009年度夏期YCE派遣生としてニュージーランドに約一ケ月ホームステイをさせて頂いたことに心から感謝申し上げます。この一ヶ月間私は本当に貴重な体験をさせていただきました。日本ではみることのできない壮大な自然を見たり、日本とは違った生活様式に触れたりして本当に様々なことを学ぶことができました。
私が空港を出てまず初めに気づいたことは、まず、空がきれい、そして太陽の日差しが日本よりも強いということです。本当に空が青々として太陽がまぶしく、緑が青々としていて、日本の冬とは打って変わって、まるで肌寒い夏のようでした。初日、ランチのあと海に行ったのですが、太陽の光が海に反射して本当に美しかったです。ニュージーランドで本当に様々な自然を写真にとってきましたが、どの写真もほんとに美しくとることができました。最初のホスト家庭では日本から一緒に行った11人の学生たちとそれぞれの家庭から集まって一緒にいろいろなところに行き、2,3家庭目ではみんな2,3人ずつ北島や南島に別れて過ごしました。どの家庭もほとんど毎日私たちをいろいろな所に連れて行ってくれて本当に毎日が充実し、楽しく過ごすことができました。 ニュージーランドといえば皆さんご存知のとおり、ほんとに羊が多いところです。3家庭回ったうちどの家庭も私たちを羊農場に連れて行ってくれました。この時期は子羊が生まれる時期だったらしく、たくさんの“ラム”といわれる子羊を見ることができ、子羊を抱いたりミルクをあげたりすることができてとてもかわいかったです。その他にも馬、ロバ、鹿、ペンギン、アザラシなど別に動物園に行かなくても様々な動物を見ることができました。
ニュージーランドはイギリスから来た人々でつくられた国ということもあり、生活様式はほとんどイギリス式だったといえます。食事は朝昼は軽く、途中にティータイムがあって、夜は肉とデザートがでるといった感じです。ナイフやフォークの使い方もこの一ヶ月でだいぶ慣れました。どの家庭もほんとに素晴らしくて、きれいなお皿の置物や絵が飾ってあり、きれいな庭を持っていました。私たち派遣生のためにとてもいい部屋を準備してくださって毎日を快適に過ごすことができました。またニュージーランドは外国人に対してとてもウェルカムな国で、たくさんの外国人がすんでいます。私も過ごしながら日本人であることを忘れそうになりました。 ニュージーランドではすべて英語でしたが、簡単な英語でなら会話することもでき、もし発音が悪くても聞き取ってくれたのでよかったです。ただ、伝えたいことがなかなか単語が出てこないこともあり、もっと勉強が必要だと痛感したときもありました。このホームステイの間、何回かライオンズのミーティングに行かせてもらったのですが、本当にたくさんのライオンズの方と話す機会を持つことができ、どの方も優しく愉快な方たちばかりだったので本当に英語が好きになりました。
このホームステイで私は本当によい経験をすることができました。本当にライオンズの皆様と、ホームステイを受け入れてくださった方々、家族、その他ニュージーランドの方々のおかげです。この経験は人生の中でもとても貴重なものになると思います。この経験をこれからの将来に大いに生かして生きたいと思っています。本当にありがとうございました。