マダムLinのほろ酔いトーク

映画と小説の日々

恋の勝者は? 「O嬢の物語」と「アマンテス」

2008-06-25 18:20:31 | Weblog
「O嬢の物語」、映画のつもりで借りたDVDが実はTVドラマで、1時間10回連続シリーズを結局、見てしまった。正直、面白いともエロティックとも思わなかったのだが。
澁澤龍彦訳の小説も同時進行で読んだ。
おかげでドラマがほぼ原作に忠実であることもわかった。

単なるSMものと違うのは「O」が最後まで愛されることを望んでいる点。
これは切ない恋愛を描いているのだ。
究極の愛とは何なのか、それを問うているようで最後まで目が離せなかった。
そして結末はあまりに虚しかった・・・

カメラマンの「O」は仕事先で知り合ったルネという青年と恋に落ち、官能的な日々を送る。
ルネを喜ばせたい一心で性の調教を受けることにも同意、秘密の館で鞭打ちと乱交の日々を重ねる。
不思議なことに、陵辱されればされるほど「O」には気品が備わっていく。
ルネの邸宅に戻り、100%命令に従うことが愛の証であると信じ、愛し愛される喜びにひたるが、ルネはその「O」を義兄のステファン卿に差し出す。
彼を喜ばせるために「O」を調教したのだとまで言う。

ステファン卿の奴隷となり、性器に鉄輪をはめられ、尻に焼き鏝で烙印を押され、鞭打たれ、客に提供され、最後はふくろうの仮面をつけた全裸でパーティー会場でさらし者にされる。
だれも彼女に話しかける人もなく、完璧なオブジェとなったところで物語は終わる。
ルネからステファン卿に譲り渡されたとき、わずか数週間でルネよりもステファン卿を愛し始める自分に気付き、愛の脆さに愕然とする「O」だった。
しかし100%身をささげ、奴隷となっても、ステファン卿の心もつなぎとめることはできなかった。
作者によって削除された終章で、「O」はステファン卿に捨てられ、死を選ぶことを卿に許可されて終わるのだという。

愛とは移ろいやすいもの。
ここまで身も心も捧げ、自由を失い、自分を失い、最後は命まで失って愛しても愛は完結しないのだ。
いや、「O」にとっては完結していたのだろうか。
完結しないのは「恋愛関係」なのか。


「アマンテス」という古い映画を見た。
1991年、スペイン映画。
こちらは三角関係。
処女の婚約者と手だれの女主人(下宿屋の)が一人の男をめぐって、嫉妬の火花を散らす。
男の心を独占した方が恋の勝者のはず。
ところがこの映画を見ていると、男などどうでもいいのではと思えてくる。
婚約者も女主人も、相手に負けたくないから男の気をひくのに懸命になっている。
負けることは女の価値を否定されること、恋人を失う以上の屈辱なのだ。

不思議なものでさほどにも思っていなかった男に求愛者が現れると、とたんにその男の価値が上がる。
男の価値はそのパートナーで決まるのか。いい女を連れていれば、いい女が寄ってくる。
鮎の友釣りみたいなものだ。

この映画では優柔不断な男のために女の争いは激化し、最後は婚約者を殺した男が女主人とともに、警察に捕まるところで終わる。
恋の勝者は男の気持ちを独占した女主人なのか、死んで恋を全うした婚約者なのか。

「O」とは奇妙な名前だが、これはゼロを意味するのだろう。
100%相手にベクトルが向いてしまったらゼロになる。
ここでも「O」を捨てたステファン卿が恋の勝者ではないだろう。

もちろん恋に勝ち負けはない。
が、上がりはゼロなのかもしれない。
どこまで捨てられるだろうか。
全部捨ててしまったら、もう恋も成り立たなくなるのだけれど。
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