ウラ伊予弁【愛媛新聞 伊予弁コラムで書ききれなかったコトを綴る】

大三島リモーネ Iターン就農から酒造り(リキュール)6次産業の取り組み色々想う事のコトダマを綴る主観ですのでご了承を

老化に抵抗する男

2018-11-30 10:41:50 | 日記
老化に抵抗する男
いつの頃から、文字に産毛が生えたように輪郭がぼやけるようになった。
これが老眼というやつか
「老眼」という言葉に抵抗がある。
せめて「壮眼期」だとか「エルダー・アイ」とか造語で良いから
老眼を受け入れる心の準備期間が欲しかった。
雑誌を遠目に離してみていると
「お、ついに山崎くんも壮眼期かぁ。老眼まであっという間だぞ」
冷やかす先輩との会話をしているうちに「老眼」を身近に感じ自然に受け入れる。
そんな時間が欲しかった……。
そんな仲間も欲しかった……。 

活字も読む機会が少なくなった。
でも図書館で小説を朗読するCDを借りてきて
納品やら引き取りで車に乗る時に聴いている。
最近、聴いたのは六人の俳優が朗読する「江戸川乱歩短編集」
早朝から聴く江戸川乱歩が爽やかな一日のスタートを約束してくれるはずもなく
陰鬱で、逆に言えば自分らしい。
中身を評論する気はないので俳優陣について。

吹越満 「屋根裏の散歩者」
 ロボコップ漫才のイメージが強くてなぁ……。
永作博美 「お勢登場」
二十年ほど前、東京のボクシングジムでトレーナーをしていた。
当ジムから東日本新人王の予選にA君が参戦した。
相手は後の世界王者となる内藤大助。
リングインした内藤大助は狂気を孕んだ視線でこちらをねめつけ
檻の中の猛獣のごとく、せわしなく身体を動かしウォームアップしている。
しかし私の目を惹いたのはトランクスにデカデカと縫い込んだ
「永作博美」の文字。永作博美が観に来ているのか?
本来、セコンドである私はA君を全身全霊で観てなければならない立場にもかかわらず、
後楽園ホールを見渡し永作博美を探していた。
当時は駆け出しボクサーの応援でタレントさんが後楽園ホールに来場することが
よくあったのだ。
試合は1ラウンドA君のKO負け。
当時の内藤大助の強さは群を抜いていた。特にパンチ力。
リングから降りた直後A君は試合をした記憶すらなかった。
控室にもどり徐々に記憶を取り戻したのか
大きくため息をついたA君は天を仰いで吐き捨てた。
「なんだったんだよ! 永作博美って」
ごめん、A君。いまだに私もわからない。
篠井英介 「人間椅子」
 昔、舞台を観たことあるが声の通り、表現力など今回の朗読陣でも秀逸。
笛木優子 「人でなしの恋」
 とても優しい声のトーンだけれど「さ」行の摩擦音が気になった。
  島田久作 「押絵と旅する男」   
 低音利きすぎのラジカセみたいで聞きづらかった。

岸田今日子朗読の向田邦子短編集が気にいっている。
おそらく全シリーズ制覇するだろう。
そういえば「ムーミン」の声も岸田今日子だったのも思い出した。
橋爪功の「泥の河」も良かった。二時間の長さを感じない。
まさに名手。泥の河と言ったら「宮本輝」や映画版の「加賀まりこ」のイメージだったが
これからは橋爪功になりそうだ。

仕事と子育てに一心の妻をしり目に「オヤジバンド」にも加入した。
和のテイストとアイリッシュを融合させたバンド。
「和イリッシュ」
和太鼓とバンジョー、笛やピアニカなどの中にダウンピッキングでしか弾いたことのない
パンク崩れのベーシストの私が参入した。いいのか?
音符は読めないのでコード進行を書いた紙を渡されて曲を覚えていくが
なんだか音が合わない。私が訊ねる。
「ここさぁ、Cって書いてるけど合ってる?」
リーダーのKさんは紙を覗く。
同年代だからKさんもコード進行表を近くに寄せたり、遠く離してみる。
そして一言。
「山崎さん、Gって書いてますよ」
「ありゃま、ホントだ」
ベースの腕前だけでなくポンコツぶりも露呈してしまう始末。

ポンコツの進行を遅らせるために、週に二回ほど朝ジョギングをしている。
しまなみ海道の瀬戸内海を豪華宿泊型クルーズ
「ガンツー」がゆっくりと運行するのが大三島橋から見下ろせる。
客室も見えるが乱れたベッドシーツが何やら艶めかしい。
なんだか、そこだけが朝陽を避けて瀬戸内海から切り取られたように浮かび上がり
「泥の河」の舞台である旧淀川に浮かぶ家族の住む小さなポンポン船を思わせた。

そんなポンコツが九月に西日本グローブ空手なる大会に参加した。
蹴りありのルールだが拳だけで戦った。
判定は割れたが負けてしまった。
スカッと負けた経験は一回しかなく、大抵は泥仕合の末に
競り負けが多い。
「奈良判定」なら私の手が挙がるパターンだがしょうがない。
我家の山根会長、妻の尽力も及ばず、といったところか。

本業(リモーネ)で勝つためには副業(格闘技)でコツコツ負けて正負のバランスを取って
いると自分に言い含め、また別の明日の負け草を探し始める。
というのも最近になり殴られたり蹴られると、今更ながら「痛い」と思うようになってきた。

新しい歩幅で何かを始める時期に差し掛かったのかもしれない。


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2018-08-24 08:21:05 | 日記
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西日本豪雨

2018-08-21 08:48:55 | 日記
西日本豪雨
天空の彼方。織姫と彦星の間にどのような修羅場があったのか、
知る由もないが今年の七夕は大荒れだった。
豪雨に備え、崩れやすい農道のり面にはシートを被覆していたが
今回の豪雨はレベルが違った。
私の拙策をあざ笑うかのような爪痕を豪雨は園地に残した。

園地だけでなく地域一帯が被害にあった。
中でも「多々羅温泉」近辺の凄まじい土砂災害による惨状には声を失う。

自分の園地のみでなく周囲の複数人の園地がまるごと土砂に流され
跡形もなくなった。
園地上部にあった農業用水「ため池」が決壊し一気に流れた濁流が
氾濫した川と合流し畑と民家を飲み込んだらしい。
実際に決壊する数時間前、私は車で周辺を見回りしていた。
もしその瞬間に決壊していたら、と思うとぞっとする
ネーブルチェッロの原材料であった大三島ネーブルの園地であり
越冬八朔の園地でもあった。
様々な苗木も混植し収穫間近に育った樹もあったがすべてが流され跡形もない。
移住して最初に借りた園地でもあった。

喪失感の一方で吹っ切れた感がある。
実害が畑だけの自分は家を失ったり、浸水したりした地域の方の被害や
地主さんの落胆を思いはかると
「落ち込んでいる場合じゃないだろう」
喝が入る。むしろ命があるだけ良かったと感謝すべきだろう。

多々羅温泉の周辺はあまりにも規模が大きすぎて市町村ではなく県と国が復旧対応していると聞く。
役場も被災した家屋のゴミ処理の手続きのため被災証明書発行を求め
訪れる住民で混雑している。
土砂崩れはいたるところで起こっている。
緑に覆われた山や畑の中に現れる不自然なベージュ色の山肌のすそ野を見れば
土砂が堆積している。
当然、土砂の撤去作業はバス路線道や公道が優先される。
山の奥にあるみかん園地などは、こちらが報告しないかぎり後回しになるだろう。
現況を伝えるために写真に収め役場に足を運び担当者に報告する。
道をふさぐ土砂のカタマリは
遠目でも確認できるが、陥没した裏道はいつ車が落ちても不思議ではなく危険極まりない。
復旧はいつになるのだろうか。
地主でもない自分にできることは現況を役場に伝えること。
その経過を地主さんに報告すること。
もっと甚大な被害を負った農家さんもいるのは充分理解したうえで
いつになるかわからないが、撤去作業の予定に組み込んでもらうことのお願い。
もちろん人力で出来ることは試みる。
店の裏も浸水したが人力でどうにかした。
被害に遭っていない園地は草も伸び草刈りや
摘果作業も酷暑のなか行う。

一年365日のうち362日は穏やかに過ごせる瀬戸内海。
だが豪雨による土砂崩れや台風など自然災害によって
身の縮む思いをすることも数日ある。

この島で暮らす。
その想いは
天災により島で死ぬ覚悟を持つこと。
そんな悲壮な決意にいつからなったのだろう。

いつ崩れてもおかしくない我が家の裏にそびえる
小高い山を見上げると、ため息が漏れる。

豪雨からひと月が過ぎた。
島内のいたる空地には撤去した土砂が
うず高く積まれており、いまでも毎日、土砂大型トラックで
被災場所から土砂を運んでいる。

心配になり声をかけてくれた方々
物資を送ってくれた方々
買って応援!していただいた方々
ありがとうございました!
感謝です!

ある農家の昼食 惨飯 ZAN-PAN 

2018-07-01 22:14:32 | 日記
ある農家の昼食 惨飯 ZAN-PAN 
ねぇねぇ、知ってる?ラジオで聞いたんだけどぉ
マンハッタンって英語で発音すると「マン、ハ~ン」って言うんだって。
(某英会話教材のCMより)

あるラジオ番組で視聴者から相談のハガキを紹介していた。
「妻がマイホーム購入を目指し節約宣言しました。私が楽しみにしていた外食のランチも弁当になりましたが決まって前夜の残りものです。夕食を食べていると明日の弁当の中身がわかりテンションが落ちます。せめて昼食くらい自分の好きなものが食べたいのですがどうすれば良いでしょうか」
相談者は都会のサラリーマンだろう。
回答者は節約宣言前の小遣い制に戻すことを訴えて
「あえて無理目な額を奥さんに要求して、そこから満足できる額に着地させなさい」
そう答えていたが、それは交渉術に長けて成せる技。まぁ無理だろう。
マイホームを購入したら「子供のために」子供が巣立つと「老後のために」
様々な名目によって相談者の奥様による「家庭内粛清」は治まることはないだろう。

なら、どうすればよいのか。
私ならこう答える。

「地獄を楽しめ!」

偶然にもこの相談内容と我が家の事情は酷似している。
我が家の場合は島の中古物件ゆえ安く住むことができる。
だから経済的な理由ではない。
そう、妻は典型的な
「関東の一口残し」実践女子。
子供はこれまた典型的な
「オン・ザ・ライス・ボーイ」
加えて「割引シール」依存症の私が買い込む惣菜と妻が作る料理で食卓はそれなりに賑う。
夕食の終わり頃、テーブルには様々なオカズが一口だけ残っている。
子供もシメになぜか白飯にオカズをぶっかける。
そして残す。しっかり一口分。
私はそれが我慢ならない。かといって口をだすと険悪になるからタイミングを見計い
黙って皿を下げる。

冒頭の相談者にニュアンスを変えて伝えるならば
「せっかくの地獄。楽しまないか?」

不確かな情報だが世の中には
稼ぎと遊興費を妻に把握される見返りに
上げ善据え膳、至れり尽くせりの歓待を享受する男性がいるそうだ。

さて。私のある日の地獄の楽しみ方は
まず一口に残された食材を一皿にまとめる。
ここがポイント。
「ナポリタン・オン・ザ・ライズ」の真ん中にから揚げを埋没させ
その上にピザの耳を突き刺し、さらに一口かじった餃子と焼きシャケの切り身が相乗りする。面倒だから前日から冷蔵庫に眠るコンビニの焼き鳥の欠片ものせて、
昼に買ったイカフライハーフものっけちゃう。
屹立するイカフライは墓石か荒地に現れたモノリスみたいでなんだかシュール。
この時点でインド鉄道の通勤ラッシュを軽く彷彿させる。
そこにキムチとピータンが投下され、仕上げにサラダに使った旬のタケノコとコーンがまぶされる。
ぶっかけ飯は嫌いじゃない。むしろ好き。だが脈絡を外し節度も無視したぶっかけを
前にして私は腕を組む。
やっちまったかな……。

パッと見た目は「残飯」
よく見ても「残飯」
一度目を離して再び見てもやはり「残飯」

このままでは「残飯」が「惨飯」になってしまう。
「惨飯」を「燦飯」に昇華させる術を私は黙考する。
 チーズをまぶして「リゾット」にするか。 卵と炒めて「炒飯」に仕上げるか。
マンハッタンがマンハ~ンに変換されるように
ザンパンが「THE・ハ~ン」に変貌する奇跡の瞬間。
どちらにしてもまだ十二時間以上先の話だ。

朝食はコーヒーとビスケット程度の私は昼頃には
結局「腹におさまりゃ、なんでもいいわな」状態になり
前夜の「残飯」をそのまま、かっこむ。
いや、これは「残飯」ではない、「ワンプレート」なんだ。
多国籍ワンプレートランチと脳内変換を施し
行ったこともない裏原宿のカフェのメニューもこんな感じだったと想い込む。
空腹と呼ばれる調味料の前で私はいつも無力だ。
そうだ。
あのラジオの相談者には、こう提案しよう。
「前夜から絶食すれば?」







寒波襲来!

2018-04-08 20:20:14 | 日記
寒波襲来!
温暖なイメージの瀬戸内も今年は寒かった。
北陸などに比べれば程度は知れているが柑橘栽培農家にとっては破壊力のある冬だった。
寒さに震えみかん収穫に没頭し、気が付くと寒気にあたると苦みのでる八朔などの収穫が後回しになっていた。
 毎年、リモーネでは越冬させていた八朔だが
「今年くらい寒いなら前倒しで収穫した方が良いのではないか?いや樹の内側の実なら春まで待っても大丈夫じゃないか」
などと逡巡しているうちにもう春が近くなった。
 柑橘はマイナス三度で五時間程度、寒気にあたると凍害になる。
見た目は大丈夫でも中身が一度凍り溶けると果肉はパサつき苦みが口にひろがる。
レモンの場合はさらに寒さに弱く見た目にもはっきりとダメージがわかり枯死に至る場合もある。
2011年の一月末、大三島を三十年ぶりといわれるマイナス六度の寒気が覆った。
リモーネのレモン園地も大打撃を受けた。
当時、成龍酒造さんへ出張製造をしていたリモンチェッロだがその年の製造量は極端に減った。
さすがに十年も農業をしていれば同じ失敗をしてたまるか!という想いもあった。
冬に受けた寒波のせいで春になっても枯れていくレモンの樹を前に何も出来ずにいた
七年前の無力な自分を忘れていない。
まず寒気の滞留する園地のレモンは早期に収穫を済ませた。
着果の負担を軽減させることで寒さに耐性をもたせるためだ。
実をつけていない分、樹は養分を葉や枝にまわすことができる。
寒気の抜けやすい他の園地でも樹の上部や外成り果実を中心に収穫を行い
寒害を最小限にとどめる努力はした。

これだけやっても凍害被害はゼロではない。

被害果実も使えるものは加工品として使った。
凍害にあっても早期に発見し二日以内なら加工品として使える部分もある。
手間はかかるが、凍てつく風に耐えてくれたレモンへ感謝の気持ちで作業する。
作業しながら2011年の大寒波は三十年ぶりだったが同程度の今回の寒波はわずか
七年で再来した事実に溜息がでる。
 干ばつ、高温、台風、大雨、土砂災害、寒波。
どれも毎年ニュースで上書き更新される「観測記録史上初」の異常気象。
加えて獣害。農を生業にする者にとって過酷な未来が待ち受けている気がしてならない。

 スーパーで買った豆苗がある。
切って水につけておけば一週間ほどで伸びてきて再び調理できる豆苗だ。
しかし今年の冬は寒いのか豆苗の伸びもいまいち。
厳冬を知る小さな出来事。
小さな出来事をもう一つ。
我が家には猫が五匹いるが各々寝る場所のテリトリーが決まっている。
普段は各自、好きな場所で好きな相手と寝るが三匹に限っては
この冬、私の布団がブームらしい。
夜中に息苦しさに目が覚めると、広島で売られるタコのヒラキ干しのように広げた足の間に猫三匹、計15キロのカタマリが鎮座している。
時には足の上に乗っかっていることもある。ホールドされているから寝返りは打てず江戸時代の拷問でいう「石抱きの刑」さながらの寝苦しさ。
猫のいなくなった布団には大きなキャットクレーターが形成されている。
血流に悪影響を及ぼすこれが「ネコノミー症候群」
そのせいか今年はしもやけに腰痛を伴い辛い冬となった。


まぁ我が家の冬限定の風物詩である。
昨夜は猫が一匹だけだった。
そういえば冷え込みも一時期ほどではなくなった。
布団にもぐる猫の数で春の訪れを知る。
向春の終わり、暖かな陽ざしの中に佇む。
すると今まで滞っていた厄介事がホースの詰まりが解消されるがごとく何やら万事、
うまくいきそうな予感に胸が満ちてくる。
これも春のなせる業なのか。冬を越せた人間へ自然界からの褒美なのか。

経験上、幸せの予感は予感にすぎないことを知っている。
何も起きていない今こそ、実は幸せの本質であることも理解している。

悲観的な見方をしていても剪定に苗木定植。リモンチェッロの仕込みや面倒な書類仕事など、やることが多すぎてひと息つく間もない。それでも前に進むしか道はないのだな、
進むには今しかないのだな、よし、やるか。
まだ上手に唄えないウグイスのさえずりを聞きながら
そう奮い立たせてしまう陽気が春なのだろう。